人的資本経営とは? なぜ人的資本経営が求められているのか?

2023.01.13

人的資本経営――人事の業界ではこのキーワードを聞かない日がないほど注目されています。きっかけは2020年9月、経済産業省が公表した「持続的な企業価値向上と人的資本に関する研究会」の最終報告書(通称:人材版伊藤レポート)です。

 

筆者も2022年度に入り、「人的資本経営」というテーマでクライアントである人事や経営企画の皆さまとディスカッションさせていただく機会が増えましたが、「全体像が把握できない」「何から始めていいのかよくわからない」などの声を多くお聞きします。

 

そこで本コラムでは、人的資本経営とは何か、なぜ注目されているのかについて、その基礎をご紹介します。

執筆者プロフィール
太田 昂志 | takashi ota
太田 昂志

システムインテグレーターを経てグロービスに参画。法人向け人材育成・組織開発コンサルタント、定額制動画学習サービス「GLOBIS 学び放題」の事業開発担当マネージャーを経験。
現在はグロービス経営大学院教員として、ビジネススクールや法人研修で論理思考・人事組織系科目の教鞭を執る他、教育プログラム開発も担う。また、テックカンパニーの取締役 最高人事責任者(CHRO)、経済メディアNewsPicksのトピックスオーナーも務める。大阪大学卒業、グロービス経営大学院修了(成績優秀者表彰)


▼コラムに関連するお役立ち動画はこちら▼
人的資本経営の全体像

 

1章 
人的資本経営とは

経済産業省によれば、人的資本経営とは”人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方”と定義されています1)

この定義に最初出会った際、改めて押さえなければならないと感じたのは、次の4点でした(図1)。

  1. 1. 資本 (人的資本) とは何か?
  2. 2. 人的資本の価値とは?
  3. 3. 価値を引き出すにはどうすればいいのか?
  4. 4. 人的資本は企業価値とどうつながるのか?
図1:人的資本経営の定義と疑問点

図1:人的資本経営の定義と疑問点

「人的資本経営」を理解するには、まずはこれらの理解を深める必要があります。一つずつ確認していきましょう。

1-1. 資本 (人的資本) とは何か?

資本とは、「事業活動を行うために必要な元手」のことを言い、投資によってその価値を高めることができます。資本に関するわかりやすい例として、製造業における”工場”があります。機械の買い替えなど設備投資を行えば生産能力が上がり、工場の価値が高まります。

さて、「資本」への理解を深めるために、近しい言葉である「資源」についても見ていきたいと思います。資源とは「人間や産業等の諸活動に利用できるもの」を言い、使用することで減っていきます。わかりやすい例としては、石油・石炭があります。石油・石炭は地球上に限られた量しか存在しておらず、使えば使うほど減っていくものです。

人的資「本」と人的資「源」は何が違うのか

これら「資本」と「資源」という2つの考え方は、人的資「本」と人的資「源」の違いを明確に理解するときに役に立ちます(図2)。

図2:人的資本と人的資源の違い

図2:人的資本と人的資源の違い

人的資本も同じく、企業の価値創出を生む元手であり、従業員の能力や経験を指します。人的資本も資本である以上、投資することでその価値を更に高めることができます。従って、人的資本の現状を正しく把握し、価値を高めるためのプロセスを設計・実行していくことが重要です。

一方で人的資源とは、ヒト・モノ・カネと言われるように、経営資源の一要素です。使うことで目減りしていくため、いかに効率的に消費していくかが重要です。従って資源をいかに獲得し、いかに最適配分していくかが重要です

人的資源と人的資本の違いはHRMシステムにどう表れるか

この違いをHRMシステムに置き換えて考えてみましょう。社員の皆さまを人的資本と捉えた場合、HRMシステムで重視されるのは、資本の価値を高める「育成」、そして資本の現状を正しく把握するための「評価」です。一方で人的資源と捉えた場合、重視されるのは資源の獲得である「採用」、そしてそれら資源を最適配分するための「配置」です。この視点は、日本の企業のHRMシステムの特徴を掴む上で大いに参考になります。

日本の企業は、ある側面では長らく採用と配置を重視した運用をしてきました。すなわち、新卒一括採用で、毎年決まった期間で新卒学生を採用し、長期雇用を前提とし、様々な職場や職種を異動を通じて様々な経験を積ませることで、成長を促していました

この仕組みは今も有効に機能する部分は勿論あります。ただ、少子高齢化による労働人口の減少、コロナによる働き方の多様化、急激な環境変化によるスキルの陳腐化などによって、少しずつ限界が来ています。結果、企業としては、以前にも増して従業員に対して意図的な成長機会を作り、育成を行い、客観的かつ具体的に評価することの重要性が高まっています。こうした背景から、人的資本経営が求められているのです。

人的資本に関する理解が深まったところで、次はその人的資本が生み出す価値について見ていきましょう。

1-2. 人的資本の生み出す価値とは? 引き出すにはどうすればいいか?

人的資本の生み出す価値への理解を深めるために、インプット・スループット・アウトプットの3点で見ていきましょう(図3)。

図3:人的資本の生み出す価値

図3:人的資本の生み出す価値

インプット

まずはインプットからです。企業としては、人的資本の価値を生み出すためには何に投資する必要があるのでしょうか。真っ先に思い浮かぶのは、人材育成ではないでしょうか。

たしかに人材育成はそのひとつですが、投資対象はそれだけではありません。多様性、健康安全、労働慣行なども投資対象になり得ます。

ここで大切なことは、具体的にどんなアウトプットを出したいのか、逆算しながら必要な投資を決めるということです。

スループット

次いでスループットです。これは人材のどの要素に影響するのかであり、お分かりの通り、知識、技術・技能、姿勢・価値観などに影響を及ぼします。

アウトプット

最後にアウトプットです。これはまさに、投資によって企業がどんな効果を得られるか、です。

経済的な面では、売上向上や生産性向上などが挙げられます。加えて、非経済的な面では、社員の健康や幸福度の向上などにつながります。

さらに、副次的な効果として、人的資本への投資という活動は、労働市場に対して「人を大切にしている」というシグナルにつながります。結果、「この会社なら自分を大切にしてくれる」との共感につながり、人材を獲得しやすくなり、巡り巡って株価に影響することもあります。

さて、最後に企業価値とのつながりも見ていきましょう。

1-3. 企業価値とどうつながるのか?

そもそも企業価値とは何でしょうか? ファイナンスの観点からは、図4のように整理ができます。

図4:企業価値と人的資本の関係

図4:企業価値と人的資本の関係

本コラムでは細かい説明は省きますが、人的資本は市場付加価値 (MVA) の一部に分類されます。昨今、企業価値におけるMVAの重要性が高まっていることから、人的資本も重視されてきているというわけです

2章 
人的資本経営が注目される4つの背景

人的資本経営が注目されている背景を、4つの視点から見ていきましょう(図5)。

図5:人的資本経営が注目される4つの背景3)

図5:人的資本経営が注目される4つの背景3)

2-1. 社会的視点

ESGや持続的な社会作りへの関心は、ますます高まっています。その動きにより、株主資本主義からステークホルダー資本主義へと、ビジネスのあり方も変化を続けています。

2-2. 経済的視点

社会的視点の変化は、経済的視点にも影響を与えています。企業価値の源泉が徐々に、財務資本から非財務資本へと移行しているため、投資家の投資判断においても、非財務資本の評価を重視する傾向にあります。

2-3. 戦略的視点

産業の転換が頻繁に起こる現代においては、イノベーションの創出がますます重要になります。新規事業の創出には、創造的に働ける環境の整備も必要であり、人的資本経営が注目される一因となっています。

2-4. 世代価値観の視点

自社の将来を支えていく新しい世代(Z世代やα世代)は、SDGsなどの社会貢献活動に強い関心を抱いています。社会的・倫理的な価値観をいかに企業の経営に織り込むかが、次なる世代の人的資本の獲得につながるわけです。

3章 
人的資本が企業価値に影響を及ぼした事例

最後に、人的資本が企業価値に影響を及ぼした実例をご紹介します。

図6:Appleの株価4)

図6:Appleの株価4)

図6は2019年6月27日のAppleの株価の推移を表したグラフです。特に見て頂きたいのは、わずか2時間の間(10:00-12:00)に株価が2ドル弱も急落し、企業価値が1兆円も目減りした点です。何が起こったのでしょうか。

これは、アップルの最高デザイン責任者(CDO:Chief Design Office)であるジョナサン・アイブ氏の退職が報道されたからだと言われています。ジョナサン・アイブ氏は、iMac、iPod、iPhoneなどのヒット商品を手がけたデザイナーです。

たった1人の退職報道が、株価にここまで大きな影響を与えています。まさに人的資本の重要性を象徴する、分かりやすい事例のひとつです。

4章 
最後に

本コラムでは人的資本の理解を深めるとともに、昨今必要とされている背景を押さえてきました。人的資本という考え方はなかなか全体像が捉えづらいかと思いますが、こうしてポイントを押さえていただけると、イメージが湧きやすいのではないかと思います。

本コラムが、皆さまの会社で人的資本経営を推進する際の一助になれば幸いです。より詳細を知りたい方は、セミナー動画も公開していますので、ぜひご視聴ください。

 

▼コラムに関連するお役立ち動画はこちら▼
人的資本経営の全体像

 

引用/参考情報

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。