志/生き様”の醸成(エグゼクティブ教育における実践 )(2/2)

2012.04.25

前回は、志/生き様の醸成の出発点となる「自分の価値観と向き合う」ためにはどのようなやり方が有効なのか、エグゼクティブ・インタビューで出てきたキーワードや私自身の経験を元に、OFF-JTにおける具体的な方法を幾つか紹介した。

しかし、自らの価値観の気づきから、自らのミッションを明確にするにはさらに他の刺激物を注入する必要がある。今回は、理念を生き様に昇華させるうえでもう一つ大事な、将来へのミッションを明確化してゆくための方法論について考えてみたい。本シリーズの初回にも述べたように、これだけ変化が激しく将来が読めないなかで、自分たちのミッションをいかに定義してゆくかは、内向き志向から脱却してゆくためにも欠かせない要素であり、かつエグゼクティブに今一番求められていることである。

執筆者プロフィール
芹沢 宗一郎 | Serizawa Soichiro
芹沢 宗一郎

一橋大学商学部経営学科卒。米国ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院修士課程(MBA)修了。
外資系石油会社にて、研究所の研究効率向上プロジェクト等の組織開発に携わった後、コントローラー部門で、全社予算方針策定、設備投資評価、株主レポーティング、リエンジニアリングプロジェクト等に従事。グロービスでは、法人クライアントの経営者育成を手掛けるコーポレート・エデュケーション部門代表、経営管理本部長(人事、経理財務、システム)、グロービス・エグゼクティブ・スクールの責任者を歴任。現在は、エグゼクティブスクール、企業研修、グロービス経営大学院で人/組織系領域の講師や研究活動、クライアント企業の経営者育成や理念策定/浸透などのプロセスコンサルティングに従事。
共著・訳書に『変革人事入門』(労務行政)、『MBAリーダーシップ』(ダイヤモンド社)、『個を活かす企業』(ダイヤモンド社)、『MITスローン・スクール 戦略論』(東洋経済新報社)などがある。


自社の歴史を振り返ることからはじめる

まずは社史などを使って自社の歴史を振り返るということから始めるのが一つだ。わたしは、お手伝いさせていただく企業さんの社史をお借りして目を通すのを習慣にしているが、この営みはたいへん興味深い。50年以上の歴史をもつ企業の場合、創業期、高度経済成長下の発展期、そして低成長期以降現在までの転換期と、社史はだいたい3つの時期に分けて記されている。情報量、ページ数は現代に近づくほど多くなっているのが常だが、内容のほうはそれに反比例するかのように創業に近づくほうが断然面白い。温故知新ではないが、自社の将来ミッションを考えるうえでもっともヒントとなるのが、創業期を紐解いてみることだと考えている。

具体的には、創業当時の時代背景をなるべく動画イメージで想像しながら、創業者は当時の社会の潮流をどのように読み、どのような人々のどのような満たされていないニーズに対して、どのような想いをもって業を興そうとしたのか、に思いをめぐらしてみることである。単に自らの事業を起こすという次元だけではなく、新たな産業を切り拓くといった次元にまで思いを拡げて考えてみることが大切だ。

我々は企業研修の受講者に自社の理念の理解を深めてもらうために、こうした社史を紐解いてもらうセッションを多く実施してきた。そこでの難所は、歴史というのはその後どうなったかを知ってしまっているがために、どうしても後付け的な合理的解釈をしてあたかも理解したつもりになってしまうことだ。しかし、当時の創業者はその後の時代がどう推移するのかなど知るすべもないなかで一つ一つの判断を下し行動してきたわけだ。生きるか死ぬか、いろいろな葛藤があるなかで、どのような想いや洞察をもって産業を興すまでに至ったのか、もし自分が創業者の立場であったら同じようなことができたであろうか、このレベルまで自らが当事者として深く考え疑似体験してみる。これに当時と現在との社会構造の違いといった視点を加えてみることで、未来のミッションを考えるヒントが得られる可能性がある。

「自分たち/自社がなくては社会がどう困るのか」を未来視点で考える

先回、自分の過去を振り返ることで自分の喜びの源泉や大事にしたい価値観を見出せることについて触れたが、同様に自分の仕事が社会のためにどのように役立っているかを実感した原体験から未来のミッションを考えてみることだ。

昨年3・11の大震災は、被災地の現場において自らの仕事の地域社会に果たす役割を、皮肉にも痛感させることとなった。薬がない、食糧がない、連絡が取れない、お金がおろせないなど、被災地の現場で多くの人が助けを求めている状況を目の当たりにした。そのとき被災地の現場で働く人たち(たとえば、医薬品や食品の物流、通信機器、銀行の従事者など)が実感したのは、平時にはあって当たり前でなかなか感じることのできない気持ち、すなわち「自分たちの仕事が社会のインフラを支えている。だからこそ被災者のために何とかしなければいけない」という矜持だったはずだ。「自分たち/自社がなくては社会がどう困るか」という自ら選択した職業の提供価値、社会的ミッションを肌で実感した有事での経験だった。

「自分たち/自社がなくては社会がどう困るか」ということは、今、目の前に困っている人たちが見えている有事では実感しやすい。しかし、今企業のエグゼクティブが指し示すべきことは、これに時間軸を加え、将来の変化してゆく環境や課題認識を踏まえて「自社は社会にどのような価値を提供したいのか、自社がなくなったら社会からどう困ると言われる存在でありたいのか」である。

たとえば、医薬品の卸の機能を例に考えてみよう。17年前の阪神淡路大震災のときも昨年の大震災でも、有事の際には体を張って被災者の命を救わなければならないという強いミッションによって一致団結して薬を届けようとする。困っている人たちが目の前に明確に見えているからである。

では平時のときはどうであろう。彼らは日々得意先である医療機関からの価格低下圧力や急配(得意先の都合で急遽薬の配達を求められること)などへの対応を迫られており、その先にある患者のことは忘れがちになってしまうということをよく耳にする。しかし、本来平時のときに彼らが意識すべきミッションの次元とは、10年後20年後の日本の医療の課題を踏まえたあるべき姿を描き、その姿を実現するために医薬品卸の果たすべき役割は何かを具体的に構想することだとわたしは思う。

現在の日本の医療は、医薬品メーカー、医薬品卸、医療機関とサプライチェーンを担うステークホルダーの誰もが適正利潤をあげられておらず、そのつけは最終的に患者である国民にくるという構造である。このような日本医療の課題認識を踏まえ、今後の医薬品卸としてのミッションを考えるとしたら、それはどのようなことであろうか。例えば従来までの薬の安定供給により国民のライフラインを守ることと同時に、日本医療の効率性向上のため、サプライチェーンの全体最適の視点から新たな価値を創造してゆくことだと定義してみることだ。

今後の日本医療のあるべき姿を踏まえて将来のミッションを上記のように定義することで、前述の医療機関からの急配対応などを積極的に回避する方向へ戦略も進化していく。一見すると、急配対応は患者の命を守るために物流の非効率性を無視してでも卸が果たさなければならないようにも思える。しかし、急配注文は、突き詰めると医療機関の在庫管理等がうまく機能していないという経営の非効率性の押し付けにすぎない。そして、急配対応は単に卸の経営を圧迫するだけでなく、最終的には患者の負担増として跳ね返ってくるものだ。したがって、前述のような次元でのミッションの定義をしていれば、卸は得意先である医療機関に在庫管理など経営効率を向上させる方策を提言し、サプライチェーン全体の生産性を上げてゆく気概をもつことができる。さらに、医療機関に対するそうしたバーゲニングパワーを高めていくためにも、卸は自社のシェアアップに組織のベクトルを一致させることができる。シェアアップは、単に自社の収益向上のためだけでなく、日本医療全体のためだという大義につながり、組織にワクワク感が醸成できる。すべてはミッションの定義次第なのだ。

未来の環境シナリオを複数描いてみる

ミッションとは、社会と自社(自分)との関係性の定義だとすると、今後のミッションを考える際、まずは将来の世の中がどうなっているかを洞察する必要である。しかし、これだけ環境変化が激しいと、数年先を予想することさえ難しい。したがって、今の時代に必要な予測とは将来をあてることではなく、質の異なる環境シナリオを複数描き、そのなかで自社はどうありたいか(誰のどのような満たされないニーズに対して、自社のどのような強みをどう使って価値提供してゆくか)を定義してゆくことが必要である。

複数の異なる環境シナリオを描くやりかたとして代表的なのがシナリオプランニングである。シナリオプランニングでは、自社の経営に対して大きなインパクト与え、かつ起こるか起らないかの不確実性が大きいという2つの観点から環境変数を抽出する。そのなかで質的に異なる(相互に独立した)重要変数を2つに絞り、2×2の4つの環境シナリオを描写してみるのである。企業研修でシナリオを描いてもらうことは多いのだが、実際にやってもらうとなかなか自社の経営に対して大きなインパクト与え、かつ起こるか起らないかの不確実性が大きい2つを満たす環境変数を抽出するのに苦労されている。普段から内向きになっていないか、マクロ環境に常に関心をもって過ごしているかどうかが試されるといってもよい。

異業種で新たな産業を切り拓いてきた偉人に学ぶ

自社の歴史、特に創業期における創業者の想いや思考回路に想像をめぐらしてみるというやり方については冒頭に説明した。ここで説明したいのは、異業種において新たな産業を切り拓いてきたリーダーから、環境変化の捉え方やビジネスモデルを構想するプロセスについて学ぶということだ。あえて異業種を鏡にするのは、そのほうが自らの思考の枠組みを取り払って考える訓練になるからである。

たとえば、1970年代中頃に、従来までの法人を対象にしたトラック運送事業から、新たに一般消費者を対象にした宅配という新たな産業を創造したヤマト運輸の小倉昌男氏のケース。このケースの議論から受講者が導き出す学びは、経営者の以下のような思考プロセスだ。

    1.業界の構造をしつこく考えつづけ、変化を洞察する

  • ・当時の既存のトラック輸送業界の構造を分解して、なぜそうなっているのか、今後どの変数がどう変化する可能性があるかを深く考え続けたこと
  • ・競争がない市場はないか、あるいは競争のルールを変えることはできないか考え続けたこと
  • ・旧来の常識(法人顧客のトラック運送事業と比べ、個人の宅急便の需要は偶発的なのでビジネスとしては成り立たないなど)は本当に正しいのかを常に疑ってきたこと

    2.常に外の世界に関心をもちつづける

  • ・競合のよいところをつぶさに観察しつづけたこと(当時のトラック運送事業の常識に反し、小口を拾っているところが儲かっていることや、マンハッタンではUPSが小口輸送している風景を目にしたことなど)
  • ・自分たちの強みだと思っていることが本当に強みになっているのか、現実を厳しく直視し続けたこと
  • ・吉野家のメニューの絞り込み、JALパックサービスの利用の手軽さ、FEDEXのハブアンドスポークスシステム、コンビニの物流など、異業種から経営の本質を学ぶ姿勢をもち続けたこと

    3.義憤ともいうべき社会の課題解決に対する強い想いをもちつづける

  • ・“国民の不便の解決”を強い信念とし、社会のために自社はどうすべきか?を常に思い続けたこと
  • ・社会悪である規制などには断固とした姿勢で立ち向かい続けたこと

特に、市場性やリスクも全てを見えないなか、最後の決断に導いたのは、3の本人の価値観であったであろうことを受講者は自得してゆく。

以上、自らのミッションを自己定義してゆくための方法論の代表例を説明してきたが、どの方法を選択したとしても、わたしは最後に受講者に必ず以下を問うようにしている。

「みなさんは、自社がなくなったら社会はどう困ると言われたいのか?」
「子供や孫の世代に、みなさんは何を遺しますか?」
「みなさんの会社人生をどのように語られたいですか?」
「そのために、みなさんは残りの会社人生をどう生きられますか?」

次回はいよいよ最終回、「志をもった多様性あふれるコミュニティ」のもつ可能性について述べて筆を置きたい。

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。