“志/生き様”の醸成~グローバルエグゼクティブのインタビューからの示唆~

2011.12.19

先回は、これまで聖域とされてきたエグゼクティブ教育をなぜ今一度真剣に考えなければいけないのか、その問題意識の背景について説明した。

いま、エグゼクティブは大きなチャレンジに直面している。戦後の貧しい生活から抜け出したい、欧米社会や欧米企業に追いつきたいと、日本国民共通の目標が明確にあった時代から、80年代の欧米企業への経済的キャッチアップにより、それまでの目標を失った。その後、バブル崩壊とグローバル化、多様化、スピードアップという環境の質的変化により、未体験の状況が次々に現れ、その中で日本企業は自ら方向性を決めなければならない状況に立たされた。しかし、「失われた20年」と言われる間、日本企業は方向性を決められずにもたもたしているうちに、韓国や台湾といったアジア諸国が日本を追い抜かしていった。

事業経営において、本来、資本は手段でしかなく、経営陣が示すべきはまずその目的であるはずだ。それには、エグゼクティブは、「世界規模での時代の変化潮流を洞察しながらも、混沌な環境のなかで、最後は“自分”はどうしたい、どうありたいかという自らの“志/生き様”を明確に持つこと」、そして「会社の理念をエグゼクティブ自らの“志”に昇華させ、自らの“生き様”として語り、行動すること」が必要なのだと考える。

理念を共有し、その理念を自らの“志”に昇華させることが、今後のグローバル競争で勝ち残っていく上でどれだけ重要なのか。またそもそも“志/生き様”を研いでゆくためにはどうしたらよいのか。この2点を明らかにするために、わたしは日本を代表するグローバル企業数社の海外現法社長にインタビューを試みた。どの方も、海外という、「アウェイ」の市場で実績を出されている。

連載第2回の今回は、このグローバル・エグゼクティブのインタビューを通じて、上述の2つの視点から得られた以下5つの示唆について順に見ていきたい。

■理念共有とその理念を自らの“志”に昇華させることの必要性

・示唆1.異質性/多様性ある組織の求心力向上のためには、明確な理念の定義とその共有がより強く求められる

・示唆2.理念を自らの“志”にまで昇華させ“生き様”として示すことで、はじめて他者や組織を動かす力となる

■“志/生き様”の醸成はどのように行ったらよいか

・示唆3.異質性/多様性のある環境に身を置き、自己の客観視化を図る

・示唆4.逆境下でも、メンターを鏡に自らの価値観を問いなおす

・示唆5.自分の過去を振り返り、今後の“生き様”につなげるようなポジティブな意味あいを見出す

執筆者プロフィール
芹沢 宗一郎 | Serizawa Soichiro
芹沢 宗一郎

一橋大学商学部経営学科卒。米国ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院修士課程(MBA)修了。
外資系石油会社にて、研究所の研究効率向上プロジェクト等の組織開発に携わった後、コントローラー部門で、全社予算方針策定、設備投資評価、株主レポーティング、リエンジニアリングプロジェクト等に従事。グロービスでは、法人クライアントの経営者育成を手掛けるコーポレート・エデュケーション部門代表、経営管理本部長(人事、経理財務、システム)、グロービス・エグゼクティブ・スクールの責任者を歴任。現在は、エグゼクティブスクール、企業研修、グロービス経営大学院で人/組織系領域の講師や研究活動、クライアント企業の経営者育成や理念策定/浸透などのプロセスコンサルティングに従事。
共著・訳書に『変革人事入門』(労務行政)、『MBAリーダーシップ』(ダイヤモンド社)、『個を活かす企業』(ダイヤモンド社)、『MITスローン・スクール 戦略論』(東洋経済新報社)などがある。


インタビュー内容(前半)
北米公文社長 楠澤秀樹氏 (聞き手:グロービス 芹沢宗一郎) (2011/6実施)

芹沢: 公文さんにご入社の動機は?

楠澤秀樹氏(以降敬称略):
大学時代は工学部で化学を専攻していましたので、ある繊維メーカーに技術者として入社したんです。しかし、全然自分には合わなくて半年で会社を辞めてしまいました(笑)。それでもとにかく食べていくために仕事はしないといけないと思いまして、たまたま手にした就職情報誌で「公文数学研究会」という名前を目にしました。公文という名前は知りませんでしたが、理系だし数学なら何とかやっていけるかなと、そんな動機で応募してしまったんです。当時は特段、教育への興味があったわけではありません。倍倍ゲームで会社が急成長している時期でしたので、たまたま運良く採用されたんですよ。

芹沢:子供の教育の面白さをはじめて実感されたのは?

楠澤:
はじめに配属された千葉の教室での経験です。そこで直接子供に教育をした経験が大きいです。自分もまだ22歳で大学時代の家庭教師くらいしか経験はありませんでした。子供というのは思った以上に伸びる、変化する。そんな子供たちと触れる機会がドンドン増えて、この仕事は面白いなと思うようになりました。やりたいことがやれるっていう、居心地の良さもあって、自分の感性にあったんだと思いました。

芹沢:ご自身のやられていることが、単なる面白さから使命に昇華されていく変化を感じられたことは?

楠澤:
子供たちが伸びていって、保護者の方からも「どうも本当にありがとうございました」というふうに、感謝をされる。自分がかかわったその子が伸びていくということが一番嬉しい。一方で、うまくいかなかったこともあって、その子の自信を無くさせたかもしれない、もしかしたら人生をダメにしてしまったかもしれない、そう問うことでギルティというか、自分みたいないい加減な人間では申し訳ないという気持ちを持つようになりましたね。公文式の価値を具現化できないままにやめていく子供たちもいたわけで、自分自身に対する悔しさも感じました。この感情はやっぱりいいものを知っているからこそなんでしょうね。現場をみていましたから、優秀な教室、優秀な先生と接する機会がたくさんあった。ちゃんとやればこんなによくなるのに、それも人の能力ではなくて意識の差によって、こんなにもアウトプットが違うのか、ということが分かるに従って、自分はいい加減なサービスを提供してはいけないと、本気で強く感じるようになりました。

■解釈1:千葉の教室での経験

楠澤氏の“思い”の発露としては、はじめに配属された千葉の教室にあった。そこで公文式によって子供たちが大きな変化/成長を遂げてゆく姿を目の当たりにみるとともに、保護者や子供から感謝される経験をする。この現場経験から、楠澤氏は教育というこの仕事が自分の性にあった喜びにつながるものだと気づきはじめる。(志/生き様の起点)

この“思い”を実現するために、楠澤氏はどうすべきか“考える”わけだが、彼が意識したのは優秀な教室や優秀な先生をしっかり観察することだった。よい教育とはどのような要因から生み出されるのか、それを自らの目で確認することで合理的に導き出そうとした。彼の鋭い観察力、分析力がそれを可能にしたといえる。(志/生き様の実現法について成功事例を観察・分析して“考える”)

さらに彼はそうしたロールモデルを確信をもって実践することで、うまくいかない子供をみると、その子の人生を台無しにしてしまったかもしれないという自らが担う責任の重さ、使命感をより高めていった。そして、ついには公文の教育理念を少しでも実践できていない場面に遭遇すると、自らの“志”に背くものとして絶対に許せないというレベルにまで深化させていったのである。(“行動する”ことで、責任感をともなった志/生き様へ深化)

<“志/生き様”の醸成プロセス>

インタビュー内容(つづき)

芹沢:海外勤務のきっかけは何だったのですか?

楠澤:千葉で5年ほど仕事をしていまして、結婚も早かったんですが、新婚旅行でヨーロッパに行ったんです。実は学生時代から音楽が好きでバンドもやっていたし、海外で生活してみるのも面白いかなぁと思い始めて海外のポジションに希望を出しました。もともと創設者の公文公(くもんとおる)会長が、この学習方法は海外でも受け入れられるという信念をもたれており、本格的に海外展開を始めた頃でした。当時私がまだ29歳で、その時の上司は自動車会社出身で駐米経験のある58歳の方。二人でヒューストンのオフィスを開けたというのが私の海外経験スタートでした。当時、英語は会社の中でも最低点。全然だめでした(笑)。

芹沢:海外勤務が楠澤さんの成長をどう後押ししたのか、重要だったと思われるご経験をお話し下さい。

楠澤:
まず、最初の海外赴任で「会社経営」を経験したことでしょうかね。二人で会社をまわさなければいけません。まだパソコンもない時代ですよ。理系だし経理なんか全く分からないのに、給料の計算も全部電卓でやりました。しかもアメリカでいうと州税とかソーシャルセキュリティーとかを弁護士に相談する必要もありました。教材の調達は日本から輸入していましたから、在庫をどうやって管理するとか、倉庫をどう設計するかとかも考える。つまり会社の全機能を自分でやらなければならないのです。その時は年間3,000時間働きました(笑)。でも面白かったし、この経験は大きかったですね。

また、2回目の海外赴任も思い出深いです。そのとき一番感じたのは、アメリカという国の多様性と面積の広さです。そして、一人の人間にできることは本当に小さく、限界があるということ。毎月100時間の残業を1年間ずっと続けていましたから、もうこれじゃいけないと思って、何が必要なんだろうかと考えました。その結果、自分のメンバーを信じて任せるしかない、という結論に行きつきました。どこまで首を突っ込めばいいか、どうやって気づきを促すコミュニケーションをとるべきかなど、要は信じて任せる方法を考えていったのです。

■解釈2:海外での経験

はじめての海外赴任で、楠澤氏は会社の全機能を自分で担わざるをえない状況に立たされる。仕事はハードを極め、寝る時間も惜しんで仕事に没頭するが、彼は「面白かった」と当時を振り返っている。ここに何にでも興味をもって未知の領域に挑戦していこうとする彼のポジティブな姿勢がうかがえる。逆境に対しても好奇心をもってポジティブに臨むことで、経験から多くを学び、彼の“志”にさらに経営的視座が加わることで、より深化していったと考えられる。(好奇心をもちポジティブに“行動”することで、経営的視座に立った志/生き様への深化)

さらに2回目の海外赴任では、ビジネスの規模の大きさから、「自分が全部やる」という、これまでの彼のやり方が通用しなくなる。ここで彼がすごいのは、自分が醸成してきた“志”実現のためには、自分ひとりの力には限界があることを悟り、自己否定を厭わなかったことだ。これは“志”という大義/目的に立ち返って常に考えてきたからこそできたことだろう。楠澤氏は言及しなかったが、「人を信じて任せるしかない」という彼が行きついた答えは、彼の本業である子供の教育においても大切な信念としてつながっていたのかもしれない。(志/生き様に立ち返ってゼロベースで“考える”)

<“志/生き様”の醸成プロセス>

■エグゼクティブの“志/生き様”醸成モデル

以上のように、“志/生き様”が3つのプロセスを繰り返して醸成されてゆくという仮説に立てば、

“志/生き様”の醸成力
=(志/生き様を)思う力 × (実現方法を)考える力 ×(ポジティブに)行動する力

の積で決定されると考えることができる。

さらに、このモデルを使っての測定可能性(上記3つの要素レベルの高低が測定できるという意味)や操作可能性(各要素を高めるための手段が存在するという意味)を考慮し、上記3つの力をそれぞれ以下に置き換えてみることにする。

・(志/生き様を)思う力→有意味感(Meaningfulness)※1
日々の出来事や直面したことに意味を見いだせる能力

・(実現方法を)考える力 → 結果予期(自己効力感:Self-efficacy)※2
ある具体的な状況において適切な行動を成し遂げられるという自己効力感の要素の一つで、ある行動がどのような結果を生み出すのかということ(結果を生み出すための行動)を理解する(考えられる)能力

・(ポジティブに)行動する力 → 行動予期(自己効力感:Self-efficacy)※2
自己効力感のもう一つの要素で、ある結果を生み出すために必要な行動をどの程度うまく行うことが出来るのかという自信(言い換えれば、結果を生み出すために自信をもって行動しつづけられる力。結果をもたらすための適切な行動が予め考えられていることで単なる楽観主義ではなくなる)

※1:Antonovsky A. (1987): “Unraveling the mystery of health: How people manage stress and stay well”

※2:Bandura, A.(1977): “Self-Efficacy: Toward a unifying theory of behavioral change”

すなわち、この3つ(有意味感、結果予期、行動予期)が高いエグゼクティブに率いられる組織ほど、志/生き様に昇華された理念にもとづく経営が実現しやすいという仮説が成り立つ。

またこのインタビューを通じて気づいたことがある。
楠澤氏は「思う→考える→行動する」というプロセスを繰り返すことで、自らの“志/生き様”を確固たるものにしていっただけでなく、個人的視座から経営的視座へ、経営的視座から社会的視座へと、志/生き様”をより外に向かった強い矢へとスパイラルアップさせていったことである。次回はここにフォーカスし、自らの思いが向社会性へとスパイラルアップしてゆく過程を整理してみたい。

理念共有とその理念を自らの“志”に昇華させることの必要性

■示唆1.異質性/多様性ある組織の求心力向上のためには、明確な理念の定義とその共有がより強く求められる

「各国の国民性や文化の違い、人種のダイバシティが渦巻くなかで、組織をまとめあげてゆくために、その組織の理念(ミッションやバリュー)を明確に定義しそれをしっかり共有することを迫られてきた。」海外で活躍する日本人エグゼクティブのインタビューでまず共通に聞かれたことだ。

まず三菱ケミカルホールディングス アメリカ社長 吉里彰ニ氏の言葉をご紹介しよう。
三菱ケミカルホールディングスは大型事業の本社機能を海外に移転、また三菱レイヨンを子会社化するなど、前例に捉われない事業再編を数々実践され、赤字事業の脱却、業績拡大を実現している。
お話をうかがった吉里氏は、米国における管理統括機能の整備・強化のために新設された米国子会社のトップとして今春、就任された。異国の地で新設された会社をとりまとめるという難しい立場の吉里氏は、着任直後のことを次のようにお話しされた。

「着任早々私がやったことは、

(1)MCHA(Mitsubishi Chemical Holdings America)は何たる会社か

(2)わたしが組織メンバー一人ひとりに期待することは何か

(3)わたしがやることは何か

の3点について全員の前で話すということです。
まず(1)については、米国のMCHC(Mitsubishi Chemical Holdings Corporation)のグループ会社が、MCHCの基準やポリシーにしたがってコーポレートガバナンスやリスクマネジメント、コンプライアンスを正しく実行できるよう、プロフェッショナルなサービスを提供して彼らをサポートすることが我々のミッションであると話しました。このミッションを実現するために、(2)として、組織のメンバーには十分なスキルと知識を獲得するために、日々精進するようお願いしました。 (3)の僕がとにかくやんなきゃいけないことは、日本の情報をきっちり伝えること。それから僕らがアメリカで何をやっているかということを、日本にきっちり伝えることです。」

「なぜこの3つを共有するところからはじめたかというと、多様な価値観が混在する中、やはりアメリカという国は大統領を求めているのだと思うんです。私はこうするよ、私の考えではこうですよ、と明確な理念をビシッと言う強いリーダーを求めています。私が部下と面談をする時にも、部下に望むこと、部下にしてほしくないこと、私がすること、私がしないこと、これをクリアにしているんです。そうでないと、上司と部下の関係が成立しない。特に海外ではね。だから最初に明確に語ったんです。」

吉里氏の例のように、新しく会社を立ち上げた際は、その組織のミッションをトップがはっきりと社員に伝えることが、組織の凝集性を生み出すポイントとなる。特に三菱ケミカルホールディングスのようにグローバル化が進んでいる企業はグローバル化が加速すればするほど、異質な文化・国民性のなかで多様な価値観をもつ現地ナショナルスタッフを束ねるために、明確に理念を伝え共有することがより求められることとなる。

■示唆2.理念を自らの“志”にまで昇華させ“生き様”として示すことで、はじめて他者や組織を動かす力となる

ある機械メーカーの米国子会社トップであるA氏は、過去の挫折体験を交えながら次のような話をしてくださった。

入社以来、順調だったA氏のビジネスキャリアは、ある時、折り合いの合わない上司の下についたことで暗転する。言い争いを重ねた挙句、A氏は業績の悪いある子会社に出向させられることになってしまったのだ。
「そんな最悪のときにわたしに声をかけてくれたのが出向子会社のトップでした。『業績も悪く小さな会社とはいえ、君は会社全体を見られる立場で仕事ができるんだぞ。こんな貴重な経験は滅多にない。活かさない手はないじゃないか。』確かにそれまでは特定事業や機能の枠の中での仕事だったので、極めて視野は狭かったと思います。それが今度は会社全体の経営を俯瞰できるわけですから大きな違いです。

そのトップからは他にもいろいろなことを教わりました。なかでも今の自分に最も大きな影響を与えているのが、『組織を引っ張ってゆくリーダーは志をもて』という言葉でした。ただ、『志をもつ』ことが経営においてなぜ重要なのか、正直当時のわたしにはまだその意味がよくわかっていませんでした。その意味の重さを心底実感できるようになったのは数年前から、異国の地でこれだけの大きな組織を率いる立場になってからのことです。

大きな組織を率いてゆくためには大義が必要です。それが理念なわけですが、理念も本当に自分自身が腹に落ちた志レベルになっていなければ、その意味するところを想いをもって語ることもできませんし、それを相手に共感してもらうこともできません。ましてやその実現のために行動しつづけることなどできやしません。そこまでいってはじめて本当の力になることを今実感しています。経営として一番大事なことを教えていただいた当時のトップには今でも感謝しています。」

A氏の業界では米国市場は新興国の市場拡大に伴い相対的に縮小傾向にある。加えて、リーマンショックなど歴史的な環境変化を体験し、経営者としてかじ取りの難しさを実感されている。しかし、そんな難易度の高い状況でも、A氏は意気軒昂だ。それは、会社の理念が自分の腹に落ちた状態にあるためだという印象を受けた。

腹に落ちた理念とは、自分の胸に手を当てたとき、心底自分がやりたいと思える、あるいはやらないではすまないような、自然と自らの心の向く先である“志”にまで昇華されたものであり、それを自らの“生き様”として語れてはじめて大きな組織を動かす本当の力になるということだ。

組織を動かす原動力となる“志/生き様”。これはいかにして醸成されるのか?次は、海外で活躍する日本のエグゼクティブのインタビューから紐解いてみたい。

“志/生き様”の醸成はどのように行ったらよいか

■示唆3.異質性/多様性のある環境に身を置き、自己の客観視化を図る

海外で自分たちとは異なる文化や価値観をもった異質性/多様性の高いコミュニティに身を置くことで自己を客観視することになり、それが自身の“志/生き様”を見出す契機になったという話がいくつかあった。

前述のA氏は、海外駐在しながら夜間のエグゼクティブスクールに通われた。そこで彼が一番ショックだったのは、頻繁に開かれる夜のパーティでの海外のエグゼクティブとの会話だったという。パーティの席で自国の歴史や文化・芸術など幅広い教養や自分自身について熱心に語る海外エグゼ達と、かたや会社の仕事の話しかできない自分とを比較し自己嫌悪に陥ったという。彼らは明確に自分の考えを持っていて、それを表現しようとする。その姿勢自体、日本人の自分とは違うし、そこから見えてくる相手の価値観も自分とは異なっている。そんな「相手」を鏡にして、そもそも自分のアイデンティティ(これが“志/生き様”につながる)は何なのだろうと自問せざるをえなくなったというのだ。

同質的な日本社会の中にいては、実は自分自身を客観視することは難しい。多様性や違いに触れることではじめて人は自分とは何者かを意識する。いや意識せざるをえなくなる。多様性/異質性のなかにマイノリティとして自分が置かれることで、そのなかで生存してゆくために自分の存在価値について真剣に考えざるをえなくなるという生存欲求からもこれは説明できるだろう。多様性/異質性ある環境が自己のアイデンティティ→“志/生き様”の醸成を促進する。人間は他者との関係で自己確立する動物なのである。

■示唆4.逆境下でも、メンターを鏡に自らの価値観を問いなおす

インタビューさせていただいた方々にはみな大きな挫折体験があった。そして、逆境時に出会った人(メンター)の考え方が、自分自身に元々内在していた価値観を覚醒させ、その後の経営者としての“志/生き様”の源泉になっているという事例がいくつかあった。

世界的にシェアNo1商品をいくつも持つ、日本を代表する精密機器メーカーの米国トップB氏のお話しである。B氏は、30年以上も海外でのキャリアを積み重ね、現在は海外市場としては日本に次いで大きな国である米国を預かる立場となっている。

「わたしは本当に出来の悪い社員でした。入社時のペーパーテストもビリ。20代後半で組合の専従をやったんですが、そこでも成果出せず。もうどこも引き取り手がない状況でした。そんなときにたまたま声をかけてくれたのが、当時の海外のトップのかたでした。当時はまだ海外は主流ではなかったですから、海外には誰も行き手がなかったんですね。わたしには選択の余地などなく、ここからわたしの30年以上の海外キャリアがはじまることになりました。

こうしてわたしを拾ってくれたトップは、人間理解にとても長けた人でした。そんな尊敬するトップを真似ようと、わたしは彼の行動をつぶさに観察するようにしました。人のもっている可能性を信じ、決して人に対してあきらめない。人のよいところをしっかり見て、それを伸ばそうとする。一人ひとりへの対応を決していい加減にしない。相手に対してすべてをやり尽くせているかにこだわる。彼の言動から学んだことはたくさんあります。こうした人に対する姿勢、そして人間努力すれば必ず成し遂げられるという考え方は、その後のわたしの自己成長の源泉となってきました。そして、今もわたしが経営者としての使命を果たす上で一番大事にしている信念となっています。」

20代後半まで挫折の連続であった自分を拾ってくれた当時の海外トップの“人に対する考え方”。これに触れることで、その後の彼の人生は大きく変わった。「人の可能性を信じて、人をいい加減に扱わない」「人間努力すれば必ず成し遂げられる」といった信念がそれだ。しかし、いろいろお話を伺っていくと、こうした価値観は、元来彼が潜在的にもっていたもので、それが言語化され意識されていなかっただけだったようにも思える。すなわち、鏡となるメンターの“生き様”をしっかり観察することで、自らが元々もっていた価値観に気づき、その後の自身の“志/生き様”を研いでゆく上でのエネルギーの源泉にまでなっていったともいえよう。メンターとは、自分自身の価値観への気づきや自分の足らざるを知るきっかけを与えてくれる鏡的存在なのである。

しかし、メンターに出会えばそれだけで解決できるわけではない。今回のケースで大事だと思うのは、大きな挫折を経験しながらも、ご本人がメンターから必死に何かを学び取ろうとする貪欲さがあったことだろう。この逆境から学ぶという貪欲さをもてるかどうかはあくまで本人の意志次第である。

余談だが、このB氏とのインタビューは、当初は2時間の予定だったが、急遽夕食までお誘いいただき、なんと7時間もお付き合いただいた。そして翌朝6時半には御礼のメールまで頂戴した。こういうところにもこの方の“人を大切に対する姿勢”を実感した。彼は企業の誰からも慕われる人望厚い人格者だ。

■示唆5.自分の過去を振り返り、今後の“生き様”につなげるようなポジティブな意味あいを見出す

前述の某生産財メーカーのA氏は次のように話された。
「大きな挫折感を味わった時に、自分は何でこの会社に就職したんだろう?と、学生時代、そして入社当時の事を考えるようになりました。そして思いだしたんです。学生時代、わたしが漠然ともっていた夢は、途上国の開発に貢献したいということ。しかし、国の開発には環境破壊など必ず負の側面もともなうわけで、わたしはその二律背反を乗り越えられるような開発のあり方を追求してゆきたいという、もちろん当時はまだ漠然としていましたけど、そんな想いがあったことを思い出したのです。そしてそれは今のわたしのベースになっています。」

このかたは、挫折時にトップから志の重要性を説かれ、なぜ自分はこの会社に入社したのか、当時漠然と抱いていた夢を想い返すきっかけを得ることができた。そしてその想いに、その後の経験が上塗りされてゆくことで、より確かなものに研がれていっているように思う。

アップル社の創始者 故スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチに、次の一節がある。
「君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそ過去のバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない」

言い換えれば、自分の歩んできた過去の人生、経験した出来事には必ずポジティブな意味があるということだ。この一節は、20代前半の学生にとってよりも、50歳を超えたエグゼクティブ層にとってのほうがより深く心にしみるようにわたしは思う。若い世代に比べ、年齢を重ねたエグゼクティブは、生きてきた長さ、経験の多さ(ジョブスの言う“点”の多さ)は絶対に負けない。それは、“志/生き様”を定義してゆく上での豊富な素材を持ち合わせているといえるのだ。それにどのようなポジティブな“意味”を付与していくかで、将来に向けての“志/生き様”の原石が見えてくる。

以上、インタビューさせていただいたエグゼクティブの方々はみな、自分の生き方に向き合う何らかの契機があった。しかし、その一度だけの機会によって自らの“志/生き様”が確立されたわけではない。第1回で述べた「内向き志向」に陥ることなく、社会に対して自分がどうありたいかを問い続けた結果、「志」の次元が上昇していったのだ。

思い→考え→行動することで、いかに“志/生き様”が研がれていくのか、次回も引き続き、グローバルで活躍されたエグゼクティブへのインタビューを通じてご紹介したい。

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。