聖域とされてきたエグゼクティブ教育を斬る

2011.11.28

企業の組織ピラミッドのなかで最もトップに位置するエグゼクティブ層(ここでは執行役員以上クラスと定義)の教育は、企業内教育の中でも、ある意味これまで聖域化されてきた領域ともいえる。

聖域化されてきたという意味は、様々な実績や経験を積んでその地位にいるエグゼクティブ層に

・改めて強化しなければならない要件とは何なのか?

・今さらそれを教育で醸成することなどできるのか?

・相手がトップ層なだけに厳しくしてへそを曲げられたくない

などの複数の難しい要素があるなかで、あえてリスクを冒すような積極的な取り組みは行ってこなかったということである。

「失われた20年」 そういう日本にしないがためにという想いをもって、わたし自身、今から15年前に大企業を飛び出し、経営教育に汗をかいてきた。わたしがこの15年間やってきたことは、主に企業の次世代リーダー(エグゼクティブの一歩手前の部課長層クラス)の育成を中心としたお手伝いで、なかなか聖域のエグゼクティブに足を踏み入れる事はできなかった。もちろん次世代リーダー育成の効果性は高いものがあるし、企業の持続的成長のために今後もそれは続けてゆく必要がある。しかし、マクロ的な潮流が変わっていないという足元の歴然たる事実を見るにつけ、それだけでは企業は強くならないことを今痛感している。そんな自責の念と日本企業にはもうあとがないという思いで、今こそ聖域とされてきたエグゼクティブ教育の必要性を訴えたい。

今回の連載では、今エグゼクティブに求められている事は何なのか、エグゼクティブ教育に必要なものは何なのか、米国で実施したエグゼクティブへのインタビュー結果なども踏まえ提言してみたい。1回目の今回は、まずはわれわれの身の回りによく見られる現象から考えてみたい。

執筆者プロフィール
芹沢 宗一郎 | Serizawa Soichiro
芹沢 宗一郎

一橋大学商学部経営学科卒。米国ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院修士課程(MBA)修了。
外資系石油会社にて、研究所の研究効率向上プロジェクト等の組織開発に携わった後、コントローラー部門で、全社予算方針策定、設備投資評価、株主レポーティング、リエンジニアリングプロジェクト等に従事。グロービスでは、法人クライアントの経営者育成を手掛けるコーポレート・エデュケーション部門代表、経営管理本部長(人事、経理財務、システム)、グロービス・エグゼクティブ・スクールの責任者を歴任。現在は、エグゼクティブスクール、企業研修、グロービス経営大学院で人/組織系領域の講師や研究活動、クライアント企業の経営者育成や理念策定/浸透などのプロセスコンサルティングに従事。
共著・訳書に『変革人事入門』(労務行政)、『MBAリーダーシップ』(ダイヤモンド社)、『個を活かす企業』(ダイヤモンド社)、『MITスローン・スクール 戦略論』(東洋経済新報社)などがある。


日本企業に蔓延する“有楽町飲み屋症候群”

水曜日、わたしがよく通う東京有楽町の飲み屋街に、エリート風の中年のサラリーマンのグループが夕方から飲んでいる姿を見かける。どうも大企業の部長さんのグループのようだ。(最近の部長さんは忙しくて、水曜の夕方から飲みに行ける事なんて少なくなっているかもしれないが・・・)聞き耳を立てていると、唾を飛ばしながら不平不満をぶちまけている。どうも自分の会社のトップ・役員に対する不満のようだ。「トップが明確な方向性を示してくれないから、俺たちの部門の方向性も決められない。何と俺たちは不幸なんだ。」こんな声だ。

翌木曜日、今度は同じ飲み屋に同じ会社の課長さんのグループがやってくる。やはり会社の不平不満をぶちまけている。「うちの部長は何とかならないかなぁ。部の方向性を明確に示してくれない。これじゃうちの課の方向性も決められないじゃないか。下からは方向性を決めてくれと突き上げはくるし、俺たち中間管理職はたまったもんじゃないよなぁ。」と。

翌日は花金(ハナキン)。同じ飲み屋に同じ会社の若手社員たちが大勢やってきて大暴れ。「うちの課長は何考えてるんだろう。方向性を示してくれないからどう動いていいのかわからない。早く決断して、説明責任果たして欲しいよなぁ。こんな状態がつづくんなら、転職考えようかなぁ。」と。

本当に水曜の飲み屋には部長さんが多いのか?といった信憑性はここでは問わないでいただきたい。ただ、ここで展開されている会話をわたしは“有楽町飲み屋症候群”(新橋でもよいのだが、たまたまわたしよく訪れるのが有楽町なもので)と称していろいろな場で話をするが、聞き手の納得感は極めて高い。残念ながら、未だ多くの企業に蔓延している意識だからである。

“有楽町飲み屋症候群”にかかってしまっている部長さん、課長さん、若手さんに共通するのは以下2点である。

・誰もが自分は不幸だと思っている事。そしてその原因は他人(組織の上位職、最後はエグゼクティブ層)にあると思っている事(他責意識)

・上位職(最後はエグゼクティブ層)が、組織の方向性を明確に示しきれていない(語りきれていない)という事

後者は上位職(最後はエグゼクティブ層)の問題だが、前者の他責意識も上位職(最後はエグゼクティブ層)に原因があるともいえる。なぜなら、組織のメンバーは上位職(リーダー)の日々の言動・行動をしっかり観察している。そして、良くも悪くもそれを真似る。親を見て育つ子供と同じだ。上位職が他責の言動をするから、組織とはそういうものだと部下も刷り込まれていくのだ。「リーダーの器以上には組織は大きく成長できない」とよく言われるとおりである。この“有楽町飲み屋症候群”からもエグゼクティブ層に治療を加えないと企業は変わらないことがわかる。

もうひとつ、企業の部長研修でよく見られる光景をご紹介しよう。

企業研修でよく見られる内向き志向

“有楽町飲み屋症候群”と通ずるところがあるが、企業研修での議論を聞いていて感ずるのは、彼らの意識・発言がかなり内向きだということだ。

たとえば、10年後の企業のビジョンや戦略を考えるための部長クラスのセッションでは、よく下記のような状況が観察される。

●ビジョンの前提となる10年後の環境シナリオを考える上で重要な、自業界/自社に大きな影響を与える不確実性の高いマクロ変数を抽出させようとしてもなかなか出てこない(日々の短期成果に追われ、世界規模で時代の潮流を洞察しようとする習慣がない)

●戦略を考える上での三要素(市場、競合、自社)のうち、社内の組織体制や部門/機能間の連携の悪さなど自社に関する議論に集中し、市場/顧客視点での手触り感ある議論がなかなか展開されない(社会の、誰の、どのようなニーズに対して、どのような価値を提供したいのかという社会との関係性に対する意識が薄い)

●将来の環境シナリオを洞察するために、マクロ環境、市場、競合に関する変数をたくさん抽出できても、そこから自社はどうありたいかという、方向性を決めるための解釈がなかなかできない。結果、他社と似通った現状の延長線上の発想にとどまってしまう(複雑/混沌とした状況のなかで、自社/自分はどうしたいという明確な軸がない)

“有楽町飲み屋症候群”にしろ“部長クラスの内向き志向”にしろ、なぜ日本企業のエグゼクティブは自ら組織の方向性を示す事を不得手としてしまっているのだろうか。様々な視点からの分析が可能であろうが、わたしは、過去30年間、日本企業が直面してきたマクロ的チャレンジから説明してみたい。

過去30年間、日本企業が直面してきたマクロ的チャレンジ

戦後、日本の復興とその後の成長を支えたのは、豊かになりたい、欧米企業に少しでも追いつきたいという日本国民が共通にもっていたエネルギーであったと思う。業種業態は違えど、欧米にキャッチアップしたいという点では、日本企業に共通の方向性・目標が共有できていたといえる。そして、明確な目標に対しQC活動などの現場力により、高度経済成長という市場の量的変化への組織的対応力を向上させてきた。

そして、80年代に入り、日本企業は欧米企業にキャッチアップするまでに成長していった。日本的経営が謳歌された時代である。一方で、欧米企業にキャッチアップを果たす事は、日本企業にとっての新たなチャレンジの到来を意味した。追いつきたい相手が明確なときはそれを目標にすればよい。しかし、一旦追いついてしまうと、今度は横綱として、価値提供を果たすべき社会に対してどうありたいのか、自らの絶対価値基準をもってありたい姿・会社の方向性を再設定する必要がでてくる。しかし、それは一つ間違えると自分本位の内向き志向に陥る可能性をともなう。戦後、“主体的に”組織の方向性を示す必要のなかった日本企業にとって、これが一つ目の大きなチャレンジとなったと考える事ができる。

2つ目のチャレンジは、90年代初頭のバブルの崩壊である。
高度成長、安定成長期は基本、日本市場の右肩上がり(量的変化、規模拡大の方向性)を前提にした日本の勝ちパターンを研いできた時代とも言える。しかし、バブル崩壊は、市場のグローバル化、多様化、スピード化といった質的変化を一挙にもたらすことになった。こうした質的変化のなかで、方向性(ビジョン)を新たに構想し直すことが不可欠な状況となる。この状況は、一つ目同様、戦後経験した事のない未体験のチャレンジであったのだ。

この2つのチャレンジ(自らの絶対価値基準を持ってありたい姿・会社の方向性を再設定すること、質的変化のなかで方向性を新たに構想し直すこと)に対して、日本企業のエグゼクティブは未だ十分に対応できていない。そうした課題が解決されないまま、もたもたしている間に、競争環境では欧米企業が復権し、韓国や台湾をはじめとするアジア諸国が日本企業を抜き去る状況にまできてしまっている。

エグゼクティブに今求められること

このような混沌とした時代だからこそ、日本企業のエグゼクティブは自ら組織の方向性を示す必要がある。そのためには、まず「世界規模での時代の変化潮流を洞察しながらも、混沌とした環境のなかで、最後は“自分”はどうしたい、どうありたいか、という自らの“志/生き様”」が明確になければならないと私は考える。たとえサラリーマン経営者であっても、ひとたびその責任を負う以上は、経営者としての“志/生き様”を持ち、最終的には、それを自社の「社会における存在意義(貢献価値)」と自社の「大切にしたい価値観(判断軸)」、すなわち“企業理念”に昇華させてゆかなければ、組織のメンバーにその本気度は伝わらないし成果にもつながらないだろう。

ここ数年、「自社の理念を浸透させたいのでその方法論をアドバイスしてほしい」というご要望を日本企業の経営者のかたからたくさんいただいてきた。グローバル化、多様性への対応など、大きな環境変化がもたらす課題を本質的に解決するには、理念に立ち戻るところまでいかなければならないというのは極めて的を射ている。

しかし、理念浸透の議論は、つまるところ人間の生きざまの問題であると私は思う。経営者/エグゼクティブの想いや日々の言動/行動、すなわち生きざまが理念を体現し、組織のメンバーに伝搬していくものだ。それができないのは方法論を知らないからではない。生きること、働くこと、人を育てることの意味など、経営者自らの生きざまが明確になっているか、まずは自問する必要がある。

「理念をエグゼクティブ自らの“志/生き様”として信じ、語り、行動すること」
これが今後のグローバル競争で勝ち残っていく上でどれだけ重要なのか、またそもそも “志/生き様”を研いでゆくためにはどうしたらよいのか。その示唆を得るために、今年の6月に渡米し、グローバル化の進んでいる日本企業数社の海外現法社長にインタビューを実施させていただいた。

次回は、そのインタビューからのファインディングのいくつかをご紹介したい。

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。