細部に光を当てる「非日常の問い」

2009.12.18

「自分は自社の経営を傍観していたに過ぎなかったことを痛感しました。…(中略)…研修での仲間との議論は確かに相互に刺激し啓発し合うことができます。さらに自分達の使命感が覚醒されることで、自社をもう一段高い所に持っていける可能性が見えてくるのです。現時点では、自分が自社の変革に向けて何を目指すべきか、実はまだ模索段階です。ただ、近い将来会社を飛躍させるためには、今から地力を蓄えないとなりません。それには、まずは自部署の仕事振りを変え、スピードと効率を向上させることが、当面の自分の責務だと思っています。ともに受講した仲間たちと意識を高め合いながら、取り組んでいるところです」
ある研修参加者のコメントである。皆さんはどのように感じるだろうか。研修を終えた一時の高揚感に過ぎないのだろうか。仮に赤い炎が燃え上がったとしても、やがて消えてしまうのだろうか。私たちは、この方が抱いた炎は一瞬で消えるものではなく、小さくとも青白く力強い炎だと思っている。研修が、立ち尽くす個の心に火を点ける可能性を強く感じるのだ。

執筆者プロフィール
河尻 陽一郎 | Kawajiri Yoichiro
河尻 陽一郎

東京大学法学部卒業、ケース・ウェスタン・リザーブ大学(米国)修了 (Master of Nonprofit Organizations)。外資系戦略コンサルティングファームに入社。経営コンサルタントとして戦略立案及び実行支援を行う。その後、グロービスに入社。現在グロービス経営大学院の研究開発チームの1つ、グローバルなアジェンダにフォーカスしたグローバル・ファカルティ・グループの研究開発リーダーを務める。経営大学院におけるグローバル領域科目や、企業の経営幹部育成研修における講師も務める。共著に「個を活かし企業を変える」(東洋経済新報社)「新版MBAマネジメント・ブック 」(ダイヤモンド社)など。


前回までの議論

ここで前回までの議論を簡単に振り返っておこう。「サイロの中に閉じる」、いわば蛸壺化しがちな現代のビジネス環境がもたらす慣性が、多くの優秀な個を「思考の粗さ」「当事者意識の低さ」「可能性への信頼の弱さ」という状況の中に止めてしまっている。その結果、優秀な個人の潜在能力が最大限に発揮できず立ち尽くしている。そんな個人の心に火を点けるためのカギが、「未体験」かつ「逃げられない」修羅場経験にあると考えた。日常では体験できない修羅場を用意する1つの手段として、研修の可能性を提起した。ここで問いが寄せられるだろう。「できるのか?」一過性ではない「青白い炎」を、はたして意図的に彼らの中で発火する仕掛けを作ることができるのだろうか。

私たちは「できる」と答えたい。もちろん実務における真剣勝負としての修羅場を完璧に再現できると主張するつもりはない。この場では、次代を担う優秀な個の「思考の粗さ」「当事者意識の低さ」「可能性への信頼の弱さ」に狙いを絞る。私たちはお客様と共に作ってきた研修の現場経験から、これらの課題を打ち破る経験を生み出せると感じている。カギは「非日常の問い」と「思考を加速させる3つのドライバー」の2つ。今回はまず「非日常の問い」について考えていきたい。

非日常の問い:「未体験ゾーン」と「逃げられない」という非日常

前回、修羅場の特徴は、「未体験ゾーン」と「逃げられない」の2つであると述べた。「自分の力量では太刀打ちできない」状況でありながら、「最後の責任を自分が担わねばならない」場である。このような場を擬似的に作ろうとすると、即座に「研修の場でそんなことができるはずがない」と言われそうだ。それほど難しい。

修羅場を体験してもらう対象は、次代を担うことを期待される優秀な方々ばかりだ。こんな人々に「自分の力量で太刀打ちできない」と感じていただくレベルの機会を作れるのか、これが最初の難関だ。お客様から「成功を重ねてきた彼らの鼻を折ってほしい」という声を聞くことも多い。そんな相談があるということ自体が、「太刀打ちできない」経験を用意することが通常では簡単ではないことを物語る。

第二の壁は「逃がさない」ことにある。研修という場であれば、傍観者に止まることも容易だ。傍観者ではなく、実際に研修における「未体験」領域で素振りをしてもらってその振りの問題点を指摘しても、「本番はこんな環境にない」「本番だったらもっとできる」などいくらでも言い訳はできる。逃げ道はいくらでも作りうるのだ。もちろん、鼻を折られるような経験は気持ちの良いものではない。逃げたくなるのは当たり前。したがって、参加される方が逃げ出すのではなく、自らの足らざる点を真摯に前向きに受け止められる状況を作りたい。

これら2つの壁を越えて、「未体験」かつ「逃げられない」経験を生み出すカギの1つが「非日常の問い」である。繰り返すが、この経験は擬似的なものである。この経験を価値のあるものにできるかは、擬似的な環境にどれだけ入り込めるか次第だ。第三者の事例にせよ、自らの事例にせよ、周りの風景や関係者、問題となる事象の全てが研修の場に存在するわけではない。情報も限られる。しかし、次代を担うリーダーほどであれば、その擬似的な環境を肉付けできる経験の引き出しは豊富なはず。大切なのは、そうした引き出しを使って擬似的な環境をハッキリと鮮明に想像し、その環境に自ら飛び込むことにある。それを促すものの1つが「非日常の問い」なのだ。

この問いのメカニズムを理解いただくために、遊園地にあるジェットコースターを思い浮かべてほしい。私事ではあるが、最近私の6歳の娘が初めてジェットコースターに乗った。以前からTVの映像や、遊園地でコースターそのものや乗り降りする人の様子を見て興味を持っていたようではある。しかし、乗ってみようよと水を向けてもなかなか踏み切れずにいたのだが、ある日、ついに乗ってみると言い出したのである。チケットを買って、自ら座席に座る。スタッフにベルトを締めてもらう。合図があり、スタート。カタカタという音と共に、少しずつコースターが高度を上げていく。視界が広がる。一瞬止まったかのような感覚のあとに、一気に落ち込む、加速するスピード、次々と縦横にかかる負荷。息つく暇もない。気付くと、終点にたどり着いていた。さて、このジェットコースターと非日常の問いはどのように結びつくのか?

「非日常の問い」とジェットコースターに共通するメカニズムについて、3つのポイントで説明したい。第一に、自らの意志で座席に座る。これを「立場」を促す問いで実現する。第二に未体験の高負荷だ。これを「二律背反」の問いで生み出す。第三に逃がさずに負荷を高めるための「リズム」ある問いである。順に見ていこう。

■立場

当事者として「立場」をとるとは、特にアクションの判断を下さなくてはならないことを意味する。端的には「(この状況における、○○という役割として)あなたならどうする?」という問いによって促される。前提は、具体的な状況や自分に求められる役割をハッキリ認識すること。そこで「あなたならどうする?」と問う。よくある反応は「A案のメリットは○○、デメリットは●●、B案の・・・」と評価を連ねてアクションを示さないパターン。このような第三者的な評論や一般論、奇麗事は退け、具体的な判断へと後押しする。その自らの判断が、自分の座席になるわけだ。ここからジェットコースターが動き始める。

■二律背反

一般論で終えさせないためにさらに重要なのが、次の「二律背反」だ。経営における意思決定を詰めていくと最後は二律背反にぶつかる。総論ではなく具体的なアクションを取ろうとするがゆえに、短期/長期、部分/全体、効果/効率、関係者間などの利害の衝突が如実に見えてくる。その利害の衝突を前にさらに問う。たとえば「(ある施策に反対する)某部署の社員の気持ちを考慮しなくてよいのか?考慮してコミュニケーションするとすればどのように伝えるのか?そのコミュニケーションの結果当初の施策は実行されるのか?」組織における部分のみを担い、部分最適の発想に止まっている場合は、全体を俯瞰した上での二律背反は未体験だ。したがって前回議論したような違い(事業ステージや対象範囲、組織における役割:詳しくは「グローバルに通用するリーダーの育成とは?(第3回)」参照)を踏まえた二律背反を生み出せれば、リーダー候補達にとっての未体験の負荷となり得る。

研修という日常業務から離れた場で様々な二律背反状況が投げかけられる。いわばジェットコースターの急カーブが次々と襲ってくるイメージだ。これらの問いに窮する。逃げられず、自分の力量ではどうにも太刀打ちできないことに気付く。本来この意思決定を下すのであれば考えねばならないことを考え抜けていなかった自分、足らざる自分に気付く。

ここまでの「立場」「二律背反」を踏まえて、ある議論の風景を再現してみよう。AさんとF講師のやりとりだ(※印は筆者注釈)。

A:(登場人物のBさんがある状況に陥ってしまったのはなぜか?という問いに対し)組織全体を見ることができなかったから、視野が狭かったからだと思います[※:まだ第三者としての評価に止まる]1 F:なるほど。ではなぜ組織全体を見ることができずに、視野が狭いままに止まってしまったと思う?2
A:自分の担当部署への愛着が強かったから。3
F:ではもしあなたがBさんの立場であれば同じ状況でどうする?[※:アクションを促す]4
A:(複数の案を論評しようと試みる)5
F:(間髪入れずに)ちょっと待って。それは質問に答えていないよね。Aさん、あなたがBさんだったらどうする?まずそれを答えてもらおうか。さあどうする?6
A:(全体最適を考えた施策をコメント)7
F:なるほど。そうすると自分の部署の部下や関係する顧客、取引先からはどんな反応が想定される? [※:二律背反を生み出す]8
A:文句が出てくると思います。9
F:では、たとえば文句を言ってくる部下に、Aさんならどう説明する?[※:さらにアクションを促す]10
A:(間)・・・11
F:(他の参加者全体に問いかける)今の説明でバッチリ部下が納得できると思う人?うーん、難しそうだよね。じゃ、皆さんだったらどう部下に説明する?(間)・・・12

ごくシンプルな事例だがニュアンスが伝わるだろうか。上記5、6あたりを行ったり来たりする頃から場が張り詰めてくる。11、12の間をとっているときの沈黙を前に立つと参加されているメンバーの頭の上に「どうしたらいいんだ?」という悩みの湯気が見えるような時もある。まさに煮詰まった状態だ。このような状態を生み出すために、上記の行間から読み取ってほしいのが「リズム」だ。

■リズム

見逃されがちなことだが、リーダー候補たちにより考えを深めてもらうために、こちらからの問いを「リズム」よく刻んでいくことが大事だ。ある時は立場をとることから逃げないように畳み掛け、ある時は二律背反の狭間で熟考するために間をとる。当然それらの問いは議論しているテーマに即しつつ、相手の反応に応じながら繰り出される。ジェットコースターを思い出してほしい。一回乗った座席にきちっとベルトを締める、息つく暇もないほどその体験に没入し続けるようにカーブを続ける、大きな落差を前に一呼吸の間をとる、いずれも一連の体験に「リズム」を生み出している。こうした「リズム」が臨場感を、力量一杯の高負荷かつ逃げられない切迫感を生み出す。

正解のない「二律背反」の問いを前に「立場」をとらねばならない局面は日常のビジネスのあちこちに本来ならあるはずだ。しかし、本コラムの第1回で議論したように、次代を担うべき優秀な個ですら、このような問いを前に「立場」をとることを躊躇していはしないだろうか。もしや問いに潜んだ「二律背反」を見逃しているのではないか。神は細部に宿る。本来は日々直面しているはずの小さな「未体験かつ逃げられない問い」に光を当て、足らざる自分を振り返る。ここに立ち尽くす個に火を点ける可能性があると信じる。

しかし、「非日常の問い」だけで実現できるほど簡単ではない。「非日常の問い」を後押しする仕掛け「思考を加速させる3つのドライバー」について議論していきたい。

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。