心に火を点ける「修羅場」

2009.11.25

「投資家を前に2時間対峙し続ける経験、あれは鍛えられた」
ある経営者の方に、「ご自身が鍛えられたと感じる経験は何か?」と問うた時に返ってきた答えである。当然自社の事業については熟知している。とは言いながら、事業の規模と範囲が広がれば、細部に渡って全てを完璧に把握しているとは言いがたい。投資家から投げられる問いに対する答えを予め知っているわけではない。想定外の問いが発せられたその瞬間に、自身の最大限の力を駆使して答える。丁々発止にやりあう。こうした問いに対峙し続ける経験こそ鍛えられると言うのだ。同時に、だからこそこうしたロードショーと言われる海外の大手投資家向けIR活動の場に、次の幹部候補を連れて行くという。
こうした経験を俗に「修羅場」と呼ぶのではないだろうか。私は、前回議論した「慣性」打破のカギがこの「修羅場」経験にあると考える。前回までに「サイロの中に閉じる」、いわば蛸壺化した状態に慣性が働きがちな現代、多くの優秀な個が「思考の粗さ」「当事者意識の低さ」「可能性への信頼の弱さ」ゆえに立ち尽くしてしまっていると述べてきた。結果、個人の潜在能力を最大限に発揮せずに止まっている。そんな立ち尽くす個の心に火を点けるためのカギが、「修羅場」経験にあると考える。では、経営における「修羅場」とは何か。皆さんはどのように説明するだろうか?

執筆者プロフィール
河尻 陽一郎 | Kawajiri Yoichiro
河尻 陽一郎

東京大学法学部卒業、ケース・ウェスタン・リザーブ大学(米国)修了 (Master of Nonprofit Organizations)。外資系戦略コンサルティングファームに入社。経営コンサルタントとして戦略立案及び実行支援を行う。その後、グロービスに入社。現在グロービス経営大学院の研究開発チームの1つ、グローバルなアジェンダにフォーカスしたグローバル・ファカルティ・グループの研究開発リーダーを務める。経営大学院におけるグローバル領域科目や、企業の経営幹部育成研修における講師も務める。共著に「個を活かし企業を変える」(東洋経済新報社)「新版MBAマネジメント・ブック 」(ダイヤモンド社)など。


経営における「修羅場」:非日常の場

冒頭の経営者の発言が例外ではなく、研修現場でお会いする百戦錬磨のマネジメントの方々と議論していると、「自分は○○といった苦労によって鍛えられ、今の自分がある」という声をよく聞く。「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」という言い伝えによるまでもなく、成長のために「千尋の谷」に相当する厳しい経験が必要だという認識に疑問の余地はないだろう。

経営における「修羅場」経験の典型的な例として、海外現地法人のマネジメント経験を挙げる方が多い。日産自動車取締役会長兼社長カルロス・ゴーンのミシュラン時代のブラジル赴任の例など枚挙に暇がない。
では、この厳しい経験を経営の現場に置き換えた「修羅場」に共通する特徴は何か。キーワードは「未体験ゾーン」と「逃げられない」の2つだと考える。

■「未体験ゾーン」

海外現地法人のマネジメント経験は、まさに「未体験ゾーン」の連続だ。多くの日本人にとって、まず文化的な背景が違う関係者とのやりとりが待ち構える。日本において意識せずに常識と思ってやっていた日常行動が必ずしも通用しない。経済環境も一変する。ゴーン氏がブラジル赴任時に起こったハイパーインフレはそんな極端な例でもある。そうしたマクロ環境に加え、ビジネスを進めるうえで、以下の3つの「違い」のいずれか、あるいはすべてに直面することが多い。
1.ビジネスの発展段階(事業ステージ)の違い
2.ビジネスの対象範囲の違い
3.組織における求められる役割の違い

※これら3つの「違い」は海外現地法人のマネジメントポジションだから直面するというわけではなく、国内におけるローテーションなどで直面する場合も多い。しかし、これまで海外赴任に伴って生じがちなこれらの「違い」を「グローバル化」の一言で括ってしまいがちであったこと、その結果問題の所在が見えないゆえこれら「違い」に対する赴任前後の対処が十分でなかったことなどから、なおさらこれら「違い」に無防備に直面しがちだったと考えられる。詳しくは「ビジネスの発展段階(事業ステージ)の違いを見る」参照

まとめると、海外現地法人マネジメントに限らず、文化などマクロ環境における違いに加え、これまで自分が担当してきた事業ステージ、特定機能、あるいはポジションを越えれば、より広く深い領域を担わねばならない。これらの違いがいずれも「未体験ゾーン」を生み出すのである。

海外現地法人のマネジメントを任命されるような方は皆優秀な方である。過去に成功体験を持ち、それらを通じてご自身なりに培われた仕事のノウハウがある。「未体験ゾーン」が意味することは、こうした過去の成功体験やノウハウが通用しないということだ。つまり、「自分の今の力量では太刀打ちできない」課題に直面することこそ、「未体験ゾーン」の特徴だ。

■「逃げられない」

冒頭の投資家向け説明、そして海外マネジメント経験に共通するもう1つの特徴は「逃げられない」ということだ。
投資家向け説明であれば、その場に会社の代表として立っているのであるから、自分が答えないという選択肢はありえない。もちろん担当者を同伴している場合もあるが、国会答弁のように「詳しくは担当から…」と繰り返していては信頼を損ねる。後ろには誰もいないのだ。これは、海外現地法人のマネジメントでも同様である。現地の顧客やスタッフから寄せられる問いに、「自分は判断できないので、本社に伺いを立てる」とばかり繰り返していてはリーダーとして認められないであろうことは想像に難くない。いずれも組織のしんがりとして、「逃げられない」状況に追い込まれるわけだ。

「逃げられない」とは何を意味するか。まず、間違えられない。極論すると、自分の判断が組織構成員の生活を左右しかねないから、決して間違いは許されないのだ。しかし、実際は完璧ではないので、間違うこともありうる。「やってみる」ことを後押しするために、失敗を許容する文化も保持していたい。したがって、最後に残るのは責任である。何は起きようともその責任を自分が担うという強い覚悟、それが「逃げられない」の意味するところだ。

■「未体験ゾーン」と「逃げられない」:非日常の場の意義

「自分の力量では太刀打ちできない」状況でありながら、「最後の責任を担わねばならない」という非日常の場に置かれたら、あなたはどうするだろうか。

考え、やってみるしかないはずだ。ただし、「思考が粗い」ままでは簡単に間違う。だからこそ、自分自身の判断が誰にどんな影響を及ぼすのかをひたすら具体的に考え抜く。自社のビジネスと人間そのものを深く深く考える。技術的な問題は識者を見つけることである程度支援を得ることは可能だ。しかし、それでも誰にもわからない領域、不確実性は残る。

そして最後に残るのが、多様な関係者、全社最適と部分最適、短期と長期などの間で互いに利害が相反する矛盾だ。こうした不確実かつ二律背反の決断において、その拠り所となるのは価値判断だ。自分以外に頼るものがなく、これまで自分が習得してきたノウハウや経験が通用しないとなれば、自分の価値判断で決めざるを得ない。自社が、そして自分が何を大事にしているのかをハッキリと見つめなおすことになる。ここまで考え抜くことは「当事者意識が低い」ままでは到底やり抜けない。

考え、やってみた結果が出る。「逃げられない」状況であれば、なおさらその結果はダイレクトに返ってくる。うまくいかないこともある。しかし、多くの場合、そこで簡単に止められない。いや、投げ出せないと思う。その厳しい現実を直視しながら、なんとかせねばとやり続ける。それまで以上に考え抜き、やり続けた結果、何らかの成果を得ることもある。こうした経験を積み重ねることで思うはずだ、「やればできる」と。「やればできる」
という「可能性への信頼」が一段強化される瞬間だ。

このように「未体験ゾーン」と「逃げられない」という非日常の「修羅場」経験は、「思考の粗さ」「当事者意識の低さ」「可能性への信頼の弱さ」という悪循環を突き抜けるきっかけとなる。その悪循環の環の中で立ち尽くす個に改めて火を点け得る。だからこそ、「修羅場」経験に意義があるのだ。では現在、企業はこのような経営における「修羅場」を、次世代リーダー養成のための経営上の施策として効果的に作り得ているのであろうか。皆さんの会社はどうだろうか?

「修羅場」を経営として作り得るか?

次世代リーダー輩出を目的に「修羅場」を生み出すために押さえるべきポイントは、「意図」「広さ」「再現性」の3つだと私は考える。

第一に、経営施策として「意図」は当然持つべきだ。その意図に照らして計画し、実行し、結果を振り返ることで改善につながるからだ。第二に、「意図」を持って次世代を託すリーダーは一人ではない。単一の世代だけでなく、複数の世代にまたがり、候補を含めると一定規模の人材プールが求められる。となると養成の対象には一定規模の「広さ」が必須だ。第三に、多くの対象者に一定の質の機会を提供することが求められる。機会の質がばらつけば、点火される火の強さもばらついてしまう。

さらに、同じ対象者に繰り返し継続的に機会を提供することも重要だ。前回議論したように、現在のビジネス環境においては、サイロ・蛸壺が普通の状態であり、その環境に適応する慣性ゆえに、優秀な個の火が消えてしまう。気付くと上記の悪循環に陥ってしまう。だから継続的に、火に薪を補充し続けねばならないのだ。したがって、多くの対象者に一定の質の機会を継続的に提供するためには「再現性」が肝要となる。

ではそれら3つのポイントはどの程度実現されているのだろうか。

まず、「意図」について考えてみよう。たとえば、前述した先人の海外現地法人のマネジメント経験が、意図的に作った「修羅場」経験だったかと問われると疑問符が残る。やむにやまれず結果としてあのような場が生まれていたというのが実態ではないか。たとえば、異動・ローテーションに、「修羅場」経験を意図的に盛り込んでいるだろうか。あるいはOJTの中で「修羅場」経験を意図的に付与しているだろうか。

次に、「広さ」だ。仮に意図あるローテーションを画策しても、海外現地法人のマネジメントやそれに類するポジションはどれくらいあるだろうか?かつてのような高度成長期と今日を比較すると、日本経済の成長鈍化と比例して、会社の規模拡大も鈍化している。そうした現状では、たとえ大組織でもその数には限りがあり、配置できる人員も限られる。加えていったん配置したら在任期間も数年はかかるだろう。とすると、一定数の次世代リーダーにローテーションによって「修羅場」経験を与えようにも、ポジションや時間的な制約から、カバーできる対象者の広さには限界がある。

最後に、「再現性」。仮に一見似たようなポジションが一定数あったとしよう。それぞれが同じレベルの「未体験ゾーン」と「逃げられない」状態を生み出すと言えるか。同じポジションでも良い。時代の変化に伴って、同じ状態を生み出す再現性を担保することは簡単ではない。ローテーションだけでなくOJTも想定してみよう。ある一定数の次世代リーダー候補に対し、その上に立つ一定数上長が付与する機会が同じような質の「未体験ゾーン」と「逃げられない」状態となり得るだろうか。ローテーション同様、簡単ではない。

ここまでの議論から、現状、経営として「意図」と「広さ」と「再現性」を持って、「修羅場」を作り上げることは簡単ではなさそうだ。もちろん異動・ローテーションやOJTを通じた実現の可能性もある。しかし、「意図」と「広さ」と「再現性」という3点をより効果的に実現するためにはもう一歩至らない、隔靴掻痒感が残る。では、いかにして「未体験ゾーン」と「逃げられない」という「非日常の場」を効果的に作り得るのだろうか。私たちは、この「非日常の場」として研修に可能性があると考えている。次回は、この「非日常の場」としての研修の可能性について議論を進めていきたい。

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。