環境適応は罪

2009.10.28

「禅問答のようですが、理想の組織を作ろうと試行錯誤している組織が、理想の組織なのではないかと思います」

ある読者の方から上記コメントを頂いた。嬉しいかぎりである。ご指摘は、本質を突いていると思う。今回も「なぜ理想の組織が現実とならないのか」という筆者の試行錯誤にお付き合いいただきたい。

前回のコラムでは、日本の多くの優秀なミドルが、提言や意思決定の局面で立ち尽くしてしまう ‐ 多くの研修現場でそんな場面に直面した経験を通じて、私たちはその要因は3つ「思考の粗さ」「当事者意識の低さ」「可能性への信頼の弱さ」だと考えるに至った、とご紹介した。今回のコラムでは、これらの要因がなぜ生じてしまったのか?という点をさらにもう一段掘り下げたい。

まず、先日のある研修で耳にしたコメントについて、考えてみよう。

「うちの会社にサイロはないと言われているのに、今日の議論を終えて、うちの会社にもサイロがあるということに気付いた」

※サイロ:元々は農産物などを貯蔵するための長めの円筒形の倉庫の意。
転じて、組織内で、縦割りの組織体(長めの倉庫)が存在することを指す。
蛸壺とほぼ同義で使われることが多い。

サイロが真犯人?

背景をもう少し補足しよう。この研修を実施したのは、著名なブランドをいくつも抱えた消費財メーカーY社である。参加されたのは、次代を担うことを期待された30代半ば~40代半ばの面々。社内の複数の部署からやってきている。ブランドも異なれば、担当機能も営業、マーケティング、生産、財務など多種多様である。消費財ゆえ、人口動態を考えると頭打ちの日本市場において、次代のビジネスを構想する第一歩として本研修プログラムが企画された。

私が担当したのは、一連のプログラムの中で、これまで習得した考え方(主に3C[市場・競合・自社]などのフレームワーク)を実際に活かしながら、自社の課題について考察するセッションであった。一日のプログラムを終え、皆さんに感想を聞いているときに出てきたのが上記のコメントだった。

「サイロはないと言われているのに…」という上記コメントから、この発言者はネガティブな評価をしている印象を受ける。では、サイロの何をネガティブに評価しているのだろうか?縦割り組織という組織形態を否定しているのだろうか?

縦割り組織とは、専門化、分業化の進んだ組織である。専門化、分業化の進展はビジネス環境の要請によるものだ。市場の成熟に伴い、製品が多様化すれば、それにあわせて組織も多様化、専門化する。あるいは技術の進展に伴い、要素技術ごとの専門化も進む。スピードが求められれば、複数機能を一人で担うのではなく、各機能を分業することによって各々習熟を高め、組織全体としてのスピードを速める。そもそも組織とは、一人で成し得ることを超えたものを生み出すため、複数のメンバーが分業することによって生まれる。とすれば、専門化、分業化は当たり前の帰結だ。

発言者がネガティブに評価しているのは、専門化や分業化の進展そのものではなく、その結果である。専門化、分業化すれば、担当する領域が限られ、組織全体が見えにくくなる。全体最適ではなく、限られた担当領域における最適化、部分最適を目指してしまい、責任範囲も限定されてしまう。その結果、責任範囲を越えて何かに取り組むことのハードルが高くなる。

全体が見えにくくなるとどうなるか。自分のやったことがどんな結果を生むのかが見えなくなる。ビジネス全体において、自分の役割が何かがわかりにくくなる。決められたことは行えるが、結果や全体における役割を考える機会が減る。全体最適を考える必要がなくなる。その帰結として、ビジネスについてぼんやりとした画素の粗い状態でしか考えられなくなる。「思考の粗さ」だ。

責任範囲が限定されるとどうなるか。サイロとサイロの間に落ちそうなものは拾わなくなる。そんなポテンヒットを前に聞こえてくる声は「(自分には)関係ない」。自分がやらなくても誰かがやってくれるだろうと思う。さらに、下手をすれば互いに足を引っ張り合う。組織全体ではなく自分さえ良ければ、という意識である。自分が組織の最後、しんがりではないのだ。「当事者意識の低さ」だ。

責任範囲を越えることの難易度が高まるとどうなるか。仮に責任範囲を越えずに何か取り組んだとしても、全体が見えないために組織全体としての結果がわかりにくくなる。そうなると、何かを成し遂げたとしても、組織として「できた!」と実感する機会が減る。組織において、諦めずに「やればできる」と踏ん張る力が低下する。「可能性への信頼の弱さ」だ。

サイロは、前回指摘した「思考の粗さ」「当事者意識の低さ」「可能性への信頼の弱さ」を生み出しうる。だから、否定的な評価になるのだ。

・・・と、ここまでサイロを諸悪の根源のように語ってきたが、専門化、分業化という組織形態(サイロ)と、上記のように議論したその結果(例:部分最適や 3つの要因)とは、本当に必然的に結びつくのか?防ぐ方法はないのだろうか?仮にどうしても結びつくとすれば、それはなぜか?

環境適応こそが罪

現代のビジネス環境は、企業組織に専門化、分業化を要請する。グローバル化と成長への期待は、組織の規模と範囲を拡大する。同時に成果とスピードはますます求められていく。専門化、分業化は避けがたい(その先にはオープン化が待っているが、今回は議論をシンプルにするために踏み込まない)。

しかし、仮に、組織が専門化、分業化しても、全体最適を考えられるようにしたら良いではないか。責任範囲を限定せずにポテンヒットを互いに拾いあえば良いではないか。組織の壁を越えて協働した方が、組織成果としてより良いものが生まれる可能性が高いはずだ。
しかし、実際にはそうはならない。第1回の本コラムで見たように、サイロに閉じこもってしまい、「自ら”できない”枠を勝手に決めて、成長の機会を自ら止める」状態に陥ってしまう。

「サイロを越えて協働しよう!」
この掛け声だけでは、個々が自ら枠を決めずに自らの力を最大限に発揮できるような結果はなかなか生み出せない。さらに、掛け声だけでなく複数の施策を組み合わせたとしても、この望んだ結果の実現は簡単でないことを読者の皆さん自身も痛感されていることだろう。では、なぜ専門化、分業化した組織において、枠を取り払うことが難しいのか?

この難所を実感したエピソードを紹介する。先日のこと、当社のDさんがEさんと一緒のプロジェクトを担当することになった。二人とも当社に入社して10年程度と、短い歴史の当社においてはベテランの域に属する。そのDさんの一言に私は驚いた。

「Eさんとははじめて仕事するんですよ」

確かに、DさんとEさんは部門が一緒になることはなかった。しかし、当社は現在でもまだまだ小さい組織である。その小さい組織に10年前からいたということは、以前はもっと小さい組織で一緒にいたわけだ。それでも、今まで一緒に仕事をしたことがなかったというのだ。

専門化、分業化とはこういうことなのだと改めて実感した。部門が異なる人と一緒に仕事をする機会はない。当たり前だが、それが専門化、分業化だ。その環境にある人が、自ずと「サイロを越えて協働」するだろうか。何のために?よほどのことがない限りそんな力は働かないのではないか。そのままであっという間に時間は過ぎてしまう。たとえば専門化、分業化したサイロの中で、10年間懸命に働くこと、そしてその帰結を想像してみた。自らの周りの枠に慣れてしまうのではないかと思った。そのとき、枠は単なる枠でなくなり、枠の中こそが自分にとって全体になってしまうのではないだろうか。

もう一度問う。専門化、分業化した組織において、枠を取り払うこと、言い換えると自らの力を最大限に発揮することがなぜ難しいのか?私は、その最大の原因が、「人間は環境に適応する」ということだと考える。

人間はいったん環境が決まるとその環境に適応する。いつしか慣れてしまう。さらに適応しすぎてしまってその状態から抜けられなくなってしまう。「慣性」が働くのである。このサイロの事例における環境とは、専門化、分業化した組織を指す。この環境に人間が置かれると、その人間の行動や意識は自ずと自分の担当領域内、つまりサイロの中に閉じる。これが環境に適応するということだ。
この状態にいったん慣れてしまうとわざわざサイロの外に出て行くことを考えないようになっていく。その結果、自部門(サイロ)の利益のみ主張するような、環境適応の行き過ぎた状態にも到達しかねない。その状態がまずいと気づいても、すぐには止められない。専門化、分業化への「慣性」が働いているからだ。
人間は、それほど環境に適応してしまうものなのである。それほど慣性とは強いものなのである。

一見、環境に適応することそのものは、歓迎すべきことに見える。しかし、違う。環境適応は罪だったのだ。放っておくと人間は否応なく環境に適応する。そしてそこに安住してしまう。これは人間の持つ本質的な特徴だと考えている。

本田宗一郎氏も次のように語っていたという。

「50万トン級の大型タンカーが、曲がろうとして舵を切っても、曲がるまでに4~5キロメートル進んでしまう。

人間の思い込みや構造は、もっとイナーシア(inertia:慣性)が大きい。1回くらい舵を切っても、方向なんか変わらない。くどいほど、言って、言って、時間をかけないと変わらない」

解釈を加えれば、我々は人間の慣性を甘く見がちだ、ということだ。忘れがちだといっても良い。ちょっと掛け声をかけたくらいで慣性を打破できると思ってしまう。そんなことはない。

サイロの例でいえば、「サイロの中に閉じる」という方向に慣性が働く。その慣性を「サイロの中に閉じないようにしよう」という掛け声だけで打破するのは不可能に近いことなのだ。逆に、この「慣性」に狙いを定めれば、前回指摘した「思考の粗さ」「当事者意識の低さ」「可能性への信頼の弱さ」を打ち破ることができるのではないか。個人の潜在能力を最大限に発揮することができるのではないか。理想の組織に一歩近づくのではないか。では、この「慣性」は打破できるのだろうか?いかに?

次回は、この「慣性」を打破するためのカギは何か?について議論を進めていきたい。

執筆者プロフィール
河尻 陽一郎 | Kawajiri Yoichiro
河尻 陽一郎

東京大学法学部卒業、ケース・ウェスタン・リザーブ大学(米国)修了 (Master of Nonprofit Organizations)。外資系戦略コンサルティングファームに入社。経営コンサルタントとして戦略立案及び実行支援を行う。その後、グロービスに入社。現在グロービス経営大学院の研究開発チームの1つ、グローバルなアジェンダにフォーカスしたグローバル・ファカルティ・グループの研究開発リーダーを務める。経営大学院におけるグローバル領域科目や、企業の経営幹部育成研修における講師も務める。共著に「個を活かし企業を変える」(東洋経済新報社)「新版MBAマネジメント・ブック 」(ダイヤモンド社)など。


※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。

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