あなたは放っておけますか?
- 経営人材育成
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河尻 陽一郎
グロービス講師
ある研修の朝の光景を思い浮かべてほしい。参加は20名程度。面識がないのか、互いに話をする様子はない。時計は研修開始時刻を告げる。あなたは挨拶をするために、そんな20名の前に立つ。一人一人の顔に視線を投げる。しかし、視線が合わない。「おはようございます!」、投げかけるあなたの声に、返ってくるのはわずかばかりの弱々しい声。さて、あなたなら次にどんなメッセージを発するだろうか?
諦めの境地
「まさかうちの研修でそんな状況はありえない」という読者が多いことを信じる。ただ、同じような状況ではないにせよ、研修に対する動機付けに悩む読者は多いはずだ。では、あなたは研修冒頭の挨拶でどんなメッセージを発しているだろうか。たとえば:
「階層別研修の一環であり、昇格前の必須研修なので、きちんと受けてください」
若手向けの研修に多いパターンである。”叱咤激励タイプ”と言えよう。あるいは:
「お忙しいところお集まりいただきありがとうございます」
ミドルからシニア向け研修に見られるパターンだ。こちらは”お願いタイプ”だ。
皆さんはどちらのタイプだろうか。筆者はいずれの立場にも与したくない。いずれのメッセージの場合でも、その後、はたして参加者の顔色に変化は期待できるだろうか。研修に対して前のめりになるほどのやる気を、個々の参加者から、あるいはその個の総体であるその場の空気として感じられるだろうか。残念ながら答えはNoだ。筆者はこうした研修現場に立ち会うと、不安に駆られる。彼ら彼女らは研修に止まらず自分の仕事に対しても同じ状況に陥っていないのだろうか、と。あなたの職場の目の前に座っている人はどうだろうか。そう、この不安は特定の研修に対する動機付けに止まらない。
あるミドル向け研修で非常に前向きに取り組んでいただいたA氏。動機付けは十分だ。研修終了時に、これから取り組むことを行動計画としてまとめていただいた。ご自身の至らなさに深く感じ入り、「まとめた行動計画を必ず実現します」と力強く握手をして別れた。それから1年後、フォローアップの研修の場で再会する。1年前に作成した行動計画を振り返ってそのA氏は次のように語った:
「無意識に言い訳をしながら、やり続けなかった自分に気がついた。成果を出すことと部下育成のトレードオフに悩んでいた。日々の忙しさを理由に、部下に考えさせて任せるのではなく、自分から指示を出してやらせるという、これまでのパターンにいつの間にか戻っていた。部下ときちんと話をとる時間すら十分にとらないようになっていた。自分自身、指示型で育てられたので、心のどこかで部下に任せてもうまくいかないのではないかと思っていたのではないか。自分の意志が弱かったこと、諦めがあったことを思い知った」
A氏にはやろうという意志があった。力量も十分の方だ。しかし、やり続けられない、本来持つ力を最大限に発揮していない、くじけてしまうのだ。その理由は「諦め」だった。
筆者の不安は募る。所詮研修というなかれ。A氏は自分自身の仕事においてもこの研修の行動計画と同様、どこかで諦めているのではないか。自分自身の持つ力を最大限に発揮していないのではないか。
皆さんの職場で横に座っている人はどうだろうか。諦めていない、自分の持つ力を最大限に発揮していると自信を持って言い切れるだろうか。そして、あなた自身は?たとえば、冒頭のようなシーンに直面したときに、動機付けできないのは「仕方がない」と諦めていないだろうか。翻って、その問いの矢印は自分たちに向かう。我々グロービス自身は諦めていないか?
研修現場から見える経営教育の未来
グロービスの企業研修部門がサービスを提供し始めたのは1993年。以来15年以上が経過した。現在東名阪で約250社のお客様の人材・組織開発課題に取り組んでいる。筆者は、同企業研修部門のディレクターとして、主に商品開発、加えて講師・ファシリテータの立場でお客様の課題解決のサポートをしている。講師としては筆者自身が年間1,000名以上のビジネスパーソンと向き合う。
そんな250社の研修現場に触れると、直面する人材・組織開発課題は一見多様に見える。1,000名を越える方々の悩みも十人十色だ。しかし同時に、それら表に見える課題の底流に、共通の課題が流れていると感じる。それが、上述の「諦め」である。あるお客様からは次のようなコメントをいただいた。
「自ら”できない”枠を勝手に決めて、成長の機会を自ら止める。これぞ大企業病」
端的に言えば、自分自身の力を最大限に発揮していないのである。組織の立場から見れば、個人の力を最大限に活かしきれていないわけだ。
我々グロービスの企業研修部門はサービスの開始以来、この底流に流れる課題について、取り組んできた。1999年「個を活かす企業―自己変革を続ける組織の条件」(旧版)の翻訳・出版、2002年に筆者も執筆メンバーの一人として加わった「個を活かし企業を変える」の出版、いずれもその一例だ。そもそも我々の部門名”Organizational Learning”は、組織学習のコンセプトに由来する。組織学習を通じて、個々の企業組織の環境変化への適応力を高め、持続的成長を後押しすることを狙っている。言い換えると、組織構成員一人一人の力を最大限に高めることと、複数の構成員の相互作用によってもたらされる力を最大限に高めることが、我々のミッションなのだ(こうした理想の組織状態を、上述の書籍では、個を活かす組織、自律変革型組織、学習する組織と呼んでいる ※1)。
しかし、この15年以上を振り返ると、正直なところ、その成果はまだまだだと感じている。この理由を説明するために、ゲイリー・ハメルの著作「経営の未来」から、「マネジメントとは、誕生して100年近くが経過した、陳腐化した技術である」というコメントを引用したい。マネジメント(経営学)は、現在の企業内人材組織開発、すなわち経営教育の礎だ。したがって、経営学が陳腐化した技術であれば、当然経営教育も陳腐化した技術となりうる。
実際のところ経営教育の現状はどうだろうか。1881年に設立された最初のビジネススクール、ウォートン・スクール、1920年設立の、ビジネスにおけるケースメソッドという教育アプローチをはじめたハーバード・ビジネス・スクール、いずれのスクールもいまだに世界のトップスクールとして君臨する。ケースメソッドという教育技術も新たな技術に飲み込まれる状態までには至っていない。残念ながら「【経営教育】とは、誕生して100年近くが経過した、陳腐化した技術である」となってしまいそうだ。
21世紀に向けたマネジメントの課題について、ハメルは「戦略変更の劇的な加速」「イノベーションを全ての社員の日常業務に」「社員を奮起させ、各自の最高の力を発揮させる魅力的な環境を築く」の3つを挙げている。まさに、我々が日々研修現場で感じている問題意識と通じている。課題として掲げるということは、これまでの陳腐化した技術では太刀打ちし切れないということだ。極論を承知で言えば、これまでのマネジメント・経営教育の技術は、冒頭登場した研修の動機付けや、A氏を諦めの境地から救い出すことに対して絶対の解を提供し得ないということだ。
だからこそ我々グロービスも15年以上試行錯誤を続けている。しかし、少しずつ「経営教育の未来」が見えつつあると信じる。では、その萌芽はどこにあるのか。
昨年我々グロービスの仲間がスイスのIMDを訪問した。彼が、IMDの教授に言われた印象的な言葉がある。
「我々(経営教育機関)は企業の後追いでしかない」
筆者の心持ちも同様である。ビジネスの現場にこそ、次の時代の答えがある。であれば、グロービスとお付き合いのある250社を越えるビジネスパーソンの方々との試行錯誤の研修”現場”の中にこそ、新たな萌芽が見えるはずだ。
その萌芽を起点に、我々は本シリーズを通じて「経営教育の未来」について考えてみたい。お気づきのように、本コラムのタイトルは、ハメルの「経営の未来」が下敷きだ。そのハメルは同書執筆の目的を「経営管理の未来を予測することではなく、読者がそれを生み出す手助けをすること」だと述べている。本コラムの目的も同じであると言ってしまいたいところだが、筆者としてはもう一歩踏み出せないかチャレンジしてみたい。そこで、本シリーズでは大きな構成として:
・なぜ理想の組織が現実とならないのか(Why?)
・理想の組織を実現するためのカギは何か(What?)
・そのカギを実現するための方法は何か(How?)
という流れで議論していきたい。
いずれのパートも重要であるが、特にチャレンジしたいのはHow部分である。ゴシャールは「個を活かす企業」の中で、「いかに行われたのかということの重要性は、図や説明では十分に伝えられない」と述べている。ゴシャールをしてこうであるのに、筆者には…と尻込みしてしまうが、限界を設けずに取り組んでみたい。
あなたは放っておけますか?
最後に大言壮語を承知の上で想いを加えておく。
我々が生活する日本という国は資源が限られている。その限られた資源の中でも、最も貴重な資源が人材だと筆者は考える。では、その貴重な人材を十分に活かしきれているのか。とくに、次代を担う30~40代の中堅世代、筆者と同じ世代が、最高の力を発揮しきれていないのではと忸怩たる思いがある。上述の通り、不安を抱く場面に直面することも多い。では、そんな状態を放っておけるのか。放っておけるはずがない、それが正直な気持ちだ。では、できるのか。
企業別組合、終身雇用、年功制という日本的経営を定式化したジェームズ・アベグレンは、「日本の企業は社会組織、社員の共同体であり、共同体の 全員が将来にわたって幸福に生活できるようにすることを目標にするとともに、十分な業績を達成しようと努力している」と述べている。日本の企業は構成員一人一人の力を最大限に高めることと、複数の構成員の相互作用によってもたらされる力を最大限に高めることに努めていたといえないか。同時に、その実現方法として、「社員の採用、研修、報酬について日本独自の方法を開発した」と。
アベグレンは、グロービス経営大学院の名誉学長を務め、「日本企業経営」というクラスを担当したのち、2007年逝去された。幸いにも、振り返ると最後の授業となったクラスに筆者はアシスタントして関与する機会を得た。印象に残っているのは、彼のメッセージの底流に流れるトーンだった。それは、日本の企業の可能性への信頼であり、応援だった。アベグレンの著書「新・日本の経営」の訳者、山岡洋一が訳者あとがきで述べていることに近い。
「本書は日本の企業関係者を想定読者としているように思える。だから、日本の経営の利点を見失わないように、読者を励ますように書かれている」
昔の日本の企業のやり方に戻れ、という意図は筆者にはない。先人たちが作り上げられたように、現代の日本の企業にもイノベーションを生み出すことができるはず、そうアベグレンが応援してくれているように思える。可能性を信じ、このチャンスを楽しんでいきたい。
注)敬称略
※1:個を活かす組織、自律変革型組織、学習する組織の定義については次回。
参考)
「経営の未来」ゲイリー ハメル、日本経済新聞出版社
「新・日本の経営」ジェームス・C・アベグレン、日本経済新聞社
「【新装版】個を活かす企業―自己変革を続ける組織の条件」クリストファー A. バートレット, スマントラ・ゴシャール、ダイヤモンド社
「個を活かし企業を変える 絶えざる企業変革を促す3つの”I”」グロービスマネジメントインスティテュート、東洋経済新報社
※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。
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