日本で失われたものを世界で見た

2009.06.25

前回、たとえ外国人であっても、「自分もそのようにやってみよう」と相手に思ってもらうことが、グローバルで仕事をする上で重要であるということを述べた。その前提となる「自分」が何者かを知るための取組として、「プロジェクトX」を使って自らの価値観をあぶり出し、自分自身を語るというものをご紹介した。

Teachable Point of View

本来、私たちは一人一人に語るに足るものを持っている。それを語らないのはもったいない。ぜひ、自分自身について語れる状態を普段から作っておきたいというのが、私が訴えたいところだ。米国のリーダーシップ論に「Teachable Point of View」を持つという言い方がある。”Teachable”というのは、人に伝えることができる、教えることができるという意味だ。すなわち、リーダーは、自分自身の考えやものの見方について、人に伝えられるようにしておくことが必要ということなのだ。これはグローバルリーダーにおいては、なおさら必要な要素となる。

では、日本人が「やりたい」と感じることを外国人も同じように感じてもらえるものなのだろうか? 日本人とは価値観が異なる外国人にも、本当に私たちと同じことに共感を覚えてもらえるのだろうか?

日本のお家芸のはずが・・・

この問いに対して、私は自信をもって「Yes」と答えたい。これまでの海外経験の中で非常に印象的だったのは、日本人以上に日本らしさを実践している人々との出会いがあったからだ。

最近では、ちょうど一年前に私がシリコンバレーのスタンフォード大学経営大学院のエグゼクティブプログラムに参加した際に経験したことが印象的だった。世界各国からエグゼクティブクラスのリーダーが集まって、約1ヵ月半に渡って実施される経営者養成プログラムでの出来事だ。プログラムでは、様々な経営課題についての侃々諤々の議論や、とあるテーマについてのグループ研究を通じて、スキル・マインドを高め合う。

各国から集まったエグゼクティブとの戦略議論の中で、私の耳に何度も入ってきて、且つ、印象に残った言葉が、”Long-term Relation”という言葉だ。例えば、ケーススタディにおいて戦略オプションを出して、どのオプションが適切か?という議論をしていると、Long- term Relation(長期的な関係構築)の観点から検証しよう、という発言が意外や欧米人の口からしつこいぐらいに出てくるのだ。さらには、”Longevity”という単語も聞かれた。Longevityの直訳は長寿という意味だが、長くお付き合いすることによって得られるメリットを大事にするというニュアンスで使われるようであった。こうした常に長期的観点を意識する、長期的な視点での判断というのは、従来、日本的経営の特徴として語られることが多かったが、私が目にしたのは、むしろ、日本からの参加者のほうが近視眼的な発言が多いくらいだ。

また、ある晩のことである。プログラムの参加者は、夜遅くまで勉強をした後に、最後に寮のラウンジで酒を飲んで語り合い一日を終えるのが日課のようになっていた。夜もだいぶ更けて、三々五々自室に戻り始める頃だ。ふと見ると参加者の一人であるオーストラリアのプロフットボールチームのCEOが黙々とラウンジに散乱している空き瓶やコップを片付け、ワインのシミなどを拭いていたのだった。多くの参加者はさっさと部屋に戻ってしまうなかで、見ていると彼は毎晩誰に何を言うでもなく、黙々と後片付けをやっているのである。

「不言実行、率先垂範」。日本的な美徳として語られてきたこと、日本人の美徳として伝えて行きたいことを、普段は颯爽としたいかにもプロチームのトップという雰囲気のオーストラリア人が実践していたのだった。因みに、その後、(その寮では、翌朝メイドさんが来てちゃんときれいに掃除をしてくれるのだが)全員で後片付けをして帰ることとした。CEOの行動に触発されて、みんな嬉々として後片付けごっこ(?)を始めたのだった。

スタンフォードでのこうした情景に触れるにつけ、我々日本のリーダーの振舞い方について考えさせられた。我々日本のリーダーがグローバルな環境で意識すべきことは何かということだ。我々はいたずらに外国の文化に迎合して振る舞いを変えたり、あるいは成果を出そうとあせって近視眼に陥ったりする。しかし、我々は自信をもって、先達から伝えられた日本人としての「リーダーとしてのあるべき振舞い」を追求してよいのではないだろうか。

また、日本らしさというものを考えるとき、かつてベルギーに仕事で赴任した時の経験を思い出す。1994年にベルギーのブリュッセルに赴任した時、私の家族は妻と私の二人だけであった。当時、住んでいたアパートメントには10世帯ぐらいが入居していたが、アジア系は我々家族だけで、後は皆ベルギー人だった。
入居してからしばらくたっても、なんとなく周囲は私たち夫婦によそよそしく、受け入れられている感はあまり伝わってこなかった。欧州独特の階級意識や人種に対する差別意識のようなものをうっすらと感じていたものだった。

ところが、数年後、私の妻が妊娠をして、お腹が大きくなってきてから事情が変わり始めた。ある日、同じアパートの人から妻が聞かれた。日本に帰って出産するのか?と。いいえ、ベルギーで出産して、ベルギーで育てます!と答えた。それは素晴らしいとその方は嬉しそうにしていたそうだ。その時からである。それからというもの、これまでよそよそしかった隣のおばさんやアパートの他の住人が我々に会うたびに、向こうから声をかけてくれるようになったのだ。マダムは大丈夫か?何かあったら遠慮せずに言ってくれ!もうすぐ出産だね!などなど。また、妻がアパートのドアから出入りするときには、ドアの開け閉めをしてくたりととても親切に接してくれるようになった。そして、無事息子が生まれたときは、みんなが我がことのように喜んでくれたのだった。

この経験は我が家では一生忘れられない思い出になっている。我々若い夫婦が異国で懸命に生きる姿に対して、周囲が仲間として受け入れてくれたのだと思っている。それからというものは、CNNなどで日本の災害のニュースなどが流れると、お国は大丈夫かとか?日本にいるご家族は問題ないか?など、いろいろと気にかけてくれるようになった。当初、異国の冷たさを感じた私たちは、最後には日本以上に故郷にいるような周囲の暖かさを感じたものだ。

欧米は結果重視、成果主義であるということを言われるが、必ずしもそうではない。むしろ、頑張っている人には日本以上に褒めてくれるし、賞賛があるように感じる。ベルギーの隣人も我々夫婦がベルギーという土地にコミットしようとする姿勢や、二人で頑張る姿勢に愛情を示してくれた。
また、昨年のスタンフォードでの仲間とのやり取りでも、”結果は残念だったが、お前のこういうところはとても良かった。” “考え方についてはとても参考になる。是非、詳しく教えてくれ!”といったようなフィードバックを非常に丁寧にしてくれた。

ご紹介した一連のエピソードから伝えたいことは、我々日本人が大事にしていることの多くは、海外でも大事なこととして捉えられることが結構あるということだ。そして、我々が日本のお家芸と思っていることの多くは、実は、海外でも非常に多くの場面で見受けられる。日本らしいと我々が思い込んでいることが、必ずしも”日本だけ”らしさではないことは多いのだ。義理人情の世界だって、いくらでもある。決して決め付けて世界を見てはならない。安易にグローバルスタンダードであるとか、その国の事情であると思い込んでいることに振り回されずに、自分が信じることをしっかりと伝える、体現するということが極めて大事だとつくづく思う。

日本でも大人気となったアメリカの「24(Twenty-four)」というTVドラマを視た方も多いと思う。ドラマの主人公であるテロ対策ユニットの有能な捜査官ジャック・バウアーも義理人情に訴えることの連続だ。”頼む!俺を信じてくれ。今はこのやり方しかないんだ!” “そんなことをやっている時間はない。今回だけはこのやり方でやらせてくれ!”と周囲に訴えながら、自分の目的を達成させているではないか。

合理と情理

随分とマインド面や情の側面にフォーカスして話を続けてきた。ここで、人が動くための重要な三要素について触れておきたい。
人がよりよく動くためには、合理の世界における納得感=必要性の論理的な認識が不可欠である。そして論理性に基づいた納得感に加えて、共感を伴ったやる気といった感情面での醸成、すなわち情理が鍵となる。さらに、より良い合理とより良い情理を生み出すためには、互いの置かれた立場や前提の共有が不可欠である。この3つ(合理x情理x前提の共有)の掛け算があってこそ、組織はより強く機能する。

「24」のジャック・バウアーの情理が周囲に受け入れられるのも、常日頃からテロ対策を実施する上での極めて合理的な判断がなされ、その判断に基づき有能なメンバーが作戦を実行していく状態があるからこそなのである。そして、テロ対策ユニットが、米国に対するテロを未然に防ぎ、国家や国民に奉仕したいという強いミッションを組織として持っていることと、ミッション遂行において何が善で何が優先されるべきことかが明確に共有されている。これらの環境があって、初めて情理の部分が機能していることが伺える。

私がこれまで本コラムでグローバルリーダーに求めることとして述べてきたのは、この3つの要素の整理をもとに、リーダーシップを発揮すべきということだ。情理に訴えることが大切であるとともに、そのために自分が持っている情理は何かを合理的に説明できなくてはならない。
そして忘れてはならないのは、合理の世界で判断すべきことを情理の世界に持ち込むなということである。合理と情理と前提の共有という3つの要素をごっちゃにしてはならない。特にグローバル環境においては、合理の世界と情理の世界が混同されがちで、ビジネスの難所の多くは、それに起因しているというのが私の問題意識だった。第2回目以降でお話してきた3つのギャップ認識の話である。
この難所を乗り越え、日本人が持つ情理の世界をグローバルに理解してもらうためには、一方で、合理の世界をしっかりと築いておくことが極めて重要になってくるのである。

さて、自分自身をふり返ってみよう。我々は、合理の世界で、物事を論理的に捉え構造化する力があるだろうか? その力をしっかりと発揮した上で、我々日本人が大事にしている価値観や自分たちの組織が大事にしている価値観を捉えているだろうか。合理があっての情理。我々の持つ情理をよりよく伝え、残して行くためには、同時に合理を扱う力が問われる。ビジネス、特にグローバルにおいては、こうした枠組で、自分の組織はどこが弱いのかをしっかり見ておくことが大事なのである。

執筆者プロフィール
高橋 亨 | Takahashi Toru
高橋 亨

上智大学経済学部卒業。スタンフォード経営大学院SEP修了。大学卒業後、丸紅株式会社にて、機械メーカーとの海外事業展開に従事。7年間の海外勤務では、イランにてインフラ整備プロジェクトに携わった後、在ベルギーの欧州・中東・アフリカ地域統括会社にて、同地域における事業の立ち上げ、出資先、取引先への経営支援、ファイナンス供与などグローバルビジネスに広く携わる。現在は、グロービスの在シンガポール海外拠点GLOBIS Asia Pacific Pte. Ltd. 並びにGLOBIS THAILAND CO., LTD.の代表を務め、アジア地域での人材育成、組織変革事業を推進する。グロービス経営大学院MBAプログラム(日本語・英語)にて、グローバル・パースペクティブ、グローバル化戦略等の講師、また、企業研修においては、海外展開時における企業理念・戦略の浸透、海外拠点の現地化に伴う戦略策定、課題解決、リーダーシップ等の講師業務に携わる。共著に『MBAマネジメントブック2』(ダイヤモンド社)がある。


※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。