Wayを策定する4~共通言語の欠如

2008.08.27

先月は一回お休みをいただきましたが、今月から再びWayマネジメントについて皆さんと一緒にこの連載で考えていきたいと思います。前回からは、電子デバイスメーカーY社が実際にWayを策定したプロセスの中で直面した問題を「難所」というキーワードで皆さんと共有していますが、前回ご紹介した第一の難所である「負のマインドセット」に引き続いて、今回は第二の難所「共通言語の欠如」について皆さんと考えていきたいと思います。

執筆者プロフィール
湊 岳 | Takeshi Minato
湊 岳

グロービス講師。一橋大学経済学部卒業。上海交通大学漢語科修了。
株式会社スポーツクロス 代表取締役。
大学卒業後、三井物産株式会社に入社し自動車部門にて日系自動車メーカーの中国、ロシア、東南アジアへのグローバル化プロジェクトに従事。 中国駐在時には、日中合弁企業の経営再建や自動車部品製造工場の新規立ち上げを担当。
1999年から経営教育の世界に転じ、グロービスの企業研修部門のマネジング・ディレクターとしてコンサルティングチームを統括。講師としては、リーダーシップ、新規事業、企業理念、企業変革等の分野を中心に、年間約700名の次世代リーダーの成長をサポート。
2011年、株式会社スポーツクロスを設立し、スポーツを通じて人が人生を豊かにする機会を広げていくための活動に従事。関東学生アメリカンフットボール連盟理事。
著書に『ウェイマネジメント -永続する企業になるための企業理念の作り方』(東洋経済新報社)。
共訳書に『MITスローン・スクール 戦略論』(東洋経済新報社)がある。


住む世界と見えてる風景

筆者の私事で恐縮ですが、住んでいるマンションの管理組合の理事を2年間務めたことがありました。居住者のうち未就任者が持ち回りで担当するもので、読者の皆さんの中にも経験された方は多いことと思います。初めて管理組合の会合に出て少しずつ感じた違和感がありました。それは、この会合はモノを決める集まりなのか、何かを共有する集まりなのか、共有するにしてもどんなレベルのことまで含めるのか、といったことが漠然としたまま会が進んでいくのです。

筆者の住んでいるマンションは東西南北の4棟から成っているのですが、あるときそのうちの1棟の理事から最近頻発しているイタズラ対策に防犯カメラを設置する議案が提出されました。他の理事からは「こちらの棟ではイタズラはない」「そもそもそんなイタズラがあったことすら知らない」など、疑義と異論が相次ぎ、結局このときは防犯カメラの設置には至りませんでした。このときに感じたのは、普段住んでいるところが違うと見えているものは違う、メンバー間に共通の認識が無いままに事を前に進めようとしても議論百出するばかりで難しい、ということでした。また、何かを判断したり認識する際の「判断基準」自体も共有していないと大事なことが決められないことも痛感しました。

同じ会社にいても知らないこと

前回お伝えしたように、Y社では各部門の部長クラスを中心に、課長・チームリーダークラスも混じった混成チームでWayの策定を進めていくことを決めました。このメンバーは、Y社の機能別に編成された組織体制の各部署から満遍なく人選されており、全員が一同に会したことはなくとも、社内の様々な会議体等でよく顔をあわせている同士であり、担当部門の状況はもちろんのこと、関連他部署の様子についても一定の理解はあるはずのメンバーでした。

Y社のWay策定プロジェクトがスタートし、まず最初にY社を取り巻く経営環境やY社の経営課題についてのいわゆる「環境分析」のディスカッションが始まりました。ここで現在と今後の経営環境への認識を深めた上で、そこで必要とされるWayとはどのようなものかを議論しているわけです。いわば、Wayを策定する大前提の認識あわせという位置づけです。ところが、Y社の「環境分析ディスカッション」が始まってみると、どうも噛み合わない会話があちこちの小グループで繰り返されるようになりました。

市場分析のグループで

いわゆる3C分析の「市場・顧客」の分析に取り掛かっていたあるグループでは、こんな会話がなされていました。

(製造 A氏)「市場・顧客の分析ってことだけど、ウチは家電最大手のQ社のNo.1サプライヤーでしょ?それ以上に何か議論することってあるの?Q社の業績は好調だって先日も新聞に出てたし、、、」

(営業 B氏)「Q社向け取引は堅調と言って良いと思うな。Q社のヒット商品のデジカメXシリーズは、代々ウチの製品が獲ってるからね。顧客に関しては『今後も安泰』って書いておけばいいんじゃないの?」

(技術 C氏)「え、ちょっと待ってよ。営業がそんな楽観的なこと言ってていいの?技術サイドには、Q社からウチの全製造プロセスでの環境対策に関する詳細なレポートを出せ、ってすごいプレッシャーがかかってるんだぜ。ウチは海外から調達しているパーツもあって、海外拠点には環境意識と対策が遅れているところもあるから、なかなか提出する資料もそろわないんだ。Q社の環境対策室からは、Q社の定める基準を達成できなければ、これまでにどんなに取引実績があっても継続発注できない、とまで言われてるんだぜ」

(製造 A氏)「そういえば、うちの工場にもこの間Q社の人が監査に来てたなぁ、、、 あれは、そういう流れでの訪問だったの?」

(技術 C氏)(Aも、Bも、この事実を知らないこと自体がまずいんじゃない? というか、うちの会社自体がまずいんじゃないか?、、、)

■競合分析のグループで

また別のグループでは、「競合他社」の分析を行っていましたが、話は最も手ごわい競合のZ社に及んでいました。

(総務 D氏)「競合の分析という観点では、一つ最近仕入れた情報があるんだ。この間の業界会合で、競合のZ社から聞いたんだけど、Z社では今度大々的に機構改組を行って、うちと同じ機能別組織を止めてカンパニー制に変更するらしいぞ」

(営業 E氏)「確かZ社は、機能別組織の強さを創業以来売り物にしていたはずだよな?」

(購買 F氏)「ところで、カンパニー制ってよく聞くけど、どういうもんだっけ?(笑)」

(総務 D氏)「あのねぇ、カンパニー制ってのはね、、、」

(マーケ G氏)「カンパニー制なんて90年代後半に一時ブームになったけど、今更そんなの流行らないよ。別に気にすることないと思うよ。それより、Z社が出すと噂の次世代型製品の話をしないか?」

(総務 D氏)(流行り廃りのことじゃなくて、なぜ今組織変更を行うのかという理由を議論したいのだが、、、)

結局この日は丸一日を環境分析に費やしたのですが、このような状況があちこちに生まれ、経営環境とその中で取り組むべき課題について同じ認識を持つまでには至りませんでした。

第二の難所「共通言語の欠如」

Y社の環境分析ディスカッションで起きた「あ、それ知らなかった」という各メンバーの素朴なつぶやきは、大きく二種類の異なる「欠如」に整理することができます。

(1)事実認識の欠如

上の例で言えば、市場分析のグループで起きたことがこれに当たります。企業活動の様々なところで起きている重要な変化が「事実として共有されていない」ということです。顧客のサプライヤー選定方針の中で、環境対策という項目がその比重を増していることは、Y社の技術部門だけでなく営業、工場、総務といったあらゆる企業活動に大きな影響を与える重要事項です。そしてより大きな問題は、こうした重要事項の事実認識について、社内各部署がまちまちであるということです。Wayの内容はY社がこれから大切にしていくべき行動や思考の指針なわけですから、「事実認識のギャップ」が存在したままではWay策定の大きな障害となることは自明です。

(2)経営知識の欠如

上の例で言えば、競合分析グループでの出来事がこれに当たります。競合Z社がカンパニー制を導入するという事実そのものにも認識のギャップはあったのですが、それ以上にこの場で起きていることは、たとえ事実を共有されたとしてもその事実の持つ意味合いが分からない、ということです。即ち、カンパニー制を導入するという事実を知らされた人に、「カンパニー制とは何か?」という知識が無ければ、その事実の持つ意味合いを理解できないわけです。要するに、事実を知るだけで意味があることもありますが、多くはその事実を解釈して意味合いを理解することに価値があり、その解釈のためには必要最低限の経営知識が無ければ議論自体が成り立たないのです。

Y社の環境分析ディスカッションでの混乱から、我々は何を学ぶことができるのでしょうか?それは、Wayの策定に取り組む際には、参加メンバーがそれぞれの立場や目線からの独自の意見を持つことは大切ですが、議論の前提となる「事実認識」と「経営知識」が欠如したままでは、議論が何も前に進まないということです。ここでいう経営知識とは、事実を元に仮説を組み立てたり、判断を下したりするために参考にする「定石」のような意味合いです。裏を返せば、プロジェクトメンバーを集めてただ単に議論させるのではなく、プロジェクトの初期段階では「事実認識を揃える」「定石としての経営知識を共有する」ことが不可欠だということになります。

Y社のプロジェクトでは、「事実認識」と「経営知識」の二つを合わせて『共通言語』というキーワードを当てていました。実際、プロジェクトの中で共通言語の共有が広がるに従って、参加メンバーの視界共有が進み、「同じ認識に基づいた建設的な議論」が驚くほど進んでいったのでした。

今回まで二回に亘ってWay策定上の難所についてお伝えしてきました。次回は最後の「難所」である「言語化のハードル」について皆さんと考え、その後に難所対策としての「打ち手」について考えていきたいと思います。

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。