自らに問う力(1/6)

2007.02.27

昨年4月のスタートからこれまで都合8回にわたり、リーダーには、メンバーの「当事者意識を引き出す力」「視線を外部に向けさせる力」、そしてメンバーに「伝える力、浸透させる力」が必要であることを書いてきた。いずれも、周囲(他人)に対して働きかける力である。
今回の「自らに問う力」は、働きかける方向が、これまでとは正反対である。”自らに働きかける力”とはそもそも何か?何故、必要なのか、について考えていきたい。

執筆者プロフィール
鎌田 英治 | Eiji Kamada
鎌田 英治

株式会社グロービス
マネジング・ディレクター  
Chief Leadership Officer(CLO)

北海道大学経済学部卒業。コロンビア大学CSEP(Columbia Senior Executive Program)修了。日本長期信用銀行から1999年グロービスに転ずる。長銀では法人営業(成長支援および構造改革支援)、システム企画部(全社業務プロセスの再構築)、人事部などを経て、長銀信託銀行の営業部長としてマネジメント全般を担う。グロービスでは、人事責任者(マネジング・ディレクター)、名古屋オフィス代表、企業研修部門カンパニー・プレジデント 、グループ経営管理本部長を経て、現在はChief Leadership Officer(CLO) 兼コーポレート・エデュケーション部門マネジング・ディレクター 。講師としては、グロービス経営大学院および顧客企業向け研修にてリーダーシップのクラスを担当する。著書に『自問力のリーダーシップ』(ダイヤモンド社)がある。経済同友会会員。


はじめに

”リーダーに必要な力”とか”リーダーかくありたし”の理想像を文章で表すと「キレイごと」や「立派な話し」のオンパレードのように見えがちだ。だから、場合によっては「本当にここまでできるリーダーがどれ位いるのだろうか?」とか、「言いたいことはわかるが、それができれば誰も苦労しない」などと、「あるべき姿」を最初から「実現困難な理想」と捉えてしまう気持ちが出てくることがあるだろう。今回のテーマ:「自らに問う力」も、その例外ではない。


因みに、読者の皆さんは、この「自らに問う力」というテーマからどんな言葉を連想するだろうか。自問、自省、自戒、自責、自覚、自学、自律、自立などの言葉を連想した方も多いのではないかと思う。


確かに、これだけ自分自身に矢印が向いた言葉が並ぶと、些か逃げ場のない雰囲気になり、半身(ハンミ)の構えになってしまう読者がいるかも知れない。イチロー選手の様な求道者を連想し、一般とは縁遠い話しに感じる方がいてもおかしくはない。(いずれも取越し苦労かも知れないが。)


しかし私は、このテーマに対して仮に自ら距離をおき壁を作ってしまうとすれば、それはとても勿体無い受止め方だと思う。これから考えていきたいことは、文字通り「自らに矢印を向ける」「自分の胸に手をあてて考える」ということに他ならない。しかし、決して「キレイごと」だけを言うつもりはないし、”自らに問う力”が一部の人にとっての特別なテーマだとも思っていない。実は非常に泥臭く、あらゆるリーダー達が持つべき気構えであり、備えるべき力だと私は思っている。


以下に私がそう考えるに至った体験の幾つかを書かせてもらった。私が「自らに問う力」の大切さを感じる至った背景を、本題に入る前に読者の皆さんとシェアさせて頂きたいと思う。

長銀の破綻とグロービスへの転職

私がグロービスに入社したのは’99年10月1日である。その前日まで私は、’98年10月23日に破綻し国有化された日本長期信用銀行に勤務していた。長銀では、入行以来さまざまな部署と業務を経験させてもらった。数多くの先輩や上司など魅力的な人達に色々なことを教えてもらった。


ビジネスの見方やものの考え方、ビジネス・パーソンとしての生き方など骨太な指導と数多くの肉厚な人生訓をもらった。このコミュニティには未だに愛着があるし、これからも大切にしていきたい人間関係がある。


思えば、長銀という組織では、異なる業務経験に就く(成長の)機会が定期的に用意され(自分で積極的にそれを求めなくても)、手本になる多くの先輩が周囲にいて、そして良き上司が語ってくれるという環境が揃っていたのだ。


しかし、長銀は潰れた。理由はどうあれ、破綻した。泣こうがわめこうが、破綻の事実は変わらなかった。体制を批判したり、不良債権の経緯を憂いても、虚しい恨み節だ。他責にしても何の足しにもならないことを痛切に思い知った。誰かのせいにしても、破綻の事実は変わらないのだ。これから自分が自分の力で道を拓いて行かなければならないという事実も変わらない。自立とはどういうことかを痛感した。これからは死ぬまで勉強し自らを鍛え続けなければならないと直感的に感じた。同時に、破綻に至るまで体制批判に甘んじ、体を張ってでも体制を変えようとしなかった自分自身を悔いた。自責の念を持った。悔いても何も始まらず、「自己責任の原則」という言葉が持つ、本当の厳しい意味を身をもって知った様な気がする。

部門責任者として持った自覚=2種類の自問の必要性

「鶏口牛後」という言葉があるが、小さな会社ながらも組織を率いる立場になると確かに日々勉強の連続である。人・カネなどの経営リソースに恵まれた大組織では余り考える必要が無いようなことも、経営の立場でどう考えるかに頭を使い真剣に悩むというのは、貴重な自己成長の機会となる。


そんな日々を通じて、私なりに持ったリーダーとしての自覚と自問について紹介したい。
ひとつ目は「組織の成長は、その組織の長の器の大きさで決まる」という自覚である。
リーダーとして、これを考えない訳にはいかない。ある程度出来上がった大組織なら余りそうした感覚は持たなかったかも知れないが。。。常に自らをチャレンジの機会に押し出し、守りに入ることなく攻め続けることを強く意識するようになった。


また事業責任を負う立場になればなるほど、果すべきは「事業成長」という包括的な役割になってくる。だが、自らの人事異動など明確な役割変更などのトリガーが無いときでも、自らの役割レベルを適時塗り替えて、より高みを目指して行くのがリーダーの役目と感じている。要するに、事業を任せられているということは、社長から細かい指示などないのであって、高い基準を自分で決め、自らが事業家の自覚で仕事をすることが大切なのだ。


私は、リーダーは自分の次元を高め、自己成長させつつ、ミッションレベルを高めていけるかが問われると思う。だが、それは誰も教えてくれない。「今、何をすべきか?新たなミッションは何か?」この答えは、自らに問い続けるしかないのである。自らを一段高める自問、これがひとつ目である。


そして、もうひとつが、リーダー自身が求められている役割を全うしているかどうかを自己チェックする為の自問である。


リーダーは、メンバーが上に対して何でも率直に言える組織風土を醸成すべきとか、リーダーの非をいさめることが出来る諫言(かんげん)の士を持て、という指摘を良く聞く。


その通りだと思う。ただ、リーダーの至らない点をタイミングを逃さずにフィードバックできる人には、そう簡単にお目にかかれないだろう。職責が高くなればなるほど、耳に痛い厳しいことを指摘してくれる人は少なくなるものなのだ。だからこそ、陥りやすいリーダーの失敗を回避できる策を、少なくとも自分自身で考えておく必要がある。その為の自問を持つべきだと思うのである。


以上が私自身の体験を通じた問題意識である。次回以降は、こうした認識をもとに、・リーダーの自己成長を促し、ミッション・レベルを一段高める自問・リーダーがあるべき基準を充たしているかを自己チェックする自問、役割遂行上、陥りがちな難所をクリアする為の自問について具体的に考えて行こうと思う。


次回も引き続き「自らに問う力」を考えます)

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。