リーダーの自己成長と組織発展を導く自問力の探求
- 次世代リーダー育成
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鎌田 英治
グロービス講師
リーダーシップに質的変化がおきている背景
求められるリーダーシップに質的な変化が生じている。「リーダーの教科書に、これまでとは異なる履修範囲が加わった」のである。背景にあるポイントを3点に集約してみたい。
1:競争環境の激化
第一が、競争環境の激化である。競争の土俵はグローバル化し、競争のルールそのものがどんどん塗り替えられていく。また、商品開発や顧客対応など主たる企業活動においてスピードと質が厳しく問われている。
2:従業員の多様化
第二に、従業員の多様性–世代、性別、国籍、それにともなう価値観や労働観の多様性–が急激に高まることで、組織運営の複雑性が一層増している。組織の一体感醸成、経営理念など基盤となる考え方の共有・浸透が一筋縄ではいかなくなっている。
3:差別化の源泉の変化
そして第三は、差異化の源泉(=価値創出の源泉)が、目に見えるモノという資源から、人の「知恵」や組織風土などのソフト・イシューに移ってきたことである。こうした無形資産をいかにマネージし、その質的向上を図っていくかが問われている。
これからのリーダーシップとは
戦略の寿命が短く、市場の変化に現場が自律的かつタイムリーに適応することが求められる時代には、かつての「組織管理」の発想は通用しない。企画部門が立案した戦略を上意下達で徹底する”中央集権スタイル”。「予定通り数値目標は達成しているか」に軸足を置いた”予実差異コントロール型のマネジメント”。「やり方は実践を通じて俺から盗め、後は自分で考えろ」といった”背中のみで語る、お任せリーダーシップ一辺倒”。これらが、現代の競争環境では全く機能しないのは周知の通りだ。
これからは、社員一人ひとりが持つ可能性を十分に引き出すことのできない企業は継続的な競争優位性を築くことが出来なくなるだろう。個人のモチベーション(当事者意識やコミットメント)と能力(特に問題解決能力や創造力、対人関係力、協働力など)を最大限に高め、それを企業目標の達成に向け束ねられた企業のみが大きな優位性を構築できるのだ。3Mやトヨタ、 J&Jといった、個人尊重の姿勢を重視している企業が長年にわたって優れた業績を残しているのは決して偶然ではない。そして、組織全体が変化に即応するのみならず、変化を予想して手を打つことが出来る経営の柔軟性を高めていくことが大事になっている。
本シリーズでは、こうした時代認識に基づき、今日「リーダーが発揮すべきチカラ」を次の4点から浮き彫りにしていきたい。
- 人々の当事者意識を引出す力
- 人々の関心、視線を常に外部に向けさせる力
- 人々に伝える力、浸透させる力
- 自らに問う力
当事者意識を引出す力
現代こそ、現場の「当事者意識」を積極的に引出していく必要が高まっている
議論の便宜上、「当事者意識」を定義しておこう。ここでは「組織の問題を、自らの問題として捉え、自律的かつ本気で知恵を出し、問題発見や問題解決に向けて本気で行動しようとする意識」と捉えたい。
単純化すると、当事者意識があれば、「言われなくても考え動ける」ので経営のスピードが上がり、「本気になって考え行動する」からアウトプットの質と成功の確率が高まる、ということだ。社員の当事者意識を高めることは経営の質を高める特効薬である。
勿論、当事者意識が重要なのは、何も今に始まったことではないのだが、この古くて新しい問題に、今こそ改めて向き合っていく必要が高いのだ。
「人工知能の失敗」という話がある。脳科学者の茂木健一郎氏によると「人間の知能・知性は、ルールの集合体(著者注:ロジックで組まれたプログラム)では書けない。人間の脳がどう判断するかは、ルールで書けないことが常態化している」と語っている。
以前よりも問題が複雑化し非定型が常となった今日のビジネスも然り。予め組み込まれたプログラム(戦略)を基本の型として戦いつつ、市場に接する最前線には、状況に応じて知恵を絞り、判断を下して微修正と改善を重ねる「知のバージョンアップ(更新)能力」が必要になっている。そして、この自律的な「知の更新能力」は、現場の当事者意識が無ければ生まれないのである。
一方、顧客ニーズの高度化と相俟って、組織内の分業体制も専門化と細分化が一層進展している。或いは、競争がグローバル・ベースの「団体戦」と化してきている中では、個々人の任務・役割が大きな枠組みの中で矮小化されて捉えられる嫌いも強まっている。また就労感の多様化によって、公私の線引きをより明確に捉える人も増えているかも知れない。
つまり、当事者意識は以前よりも一層重要性が高まっているにも拘わらず、構成員の当事者意識はむしろ希薄化し易い慣性が働いているのである。だからこそ当事者意識が芽生えてくるのを辛抱強く待つのではなく、意図的に「引出すこと」に、それこそ“本気”で取り組むべきなのである。
人々の当事者意識を引出す力とは?
当事者意識が引出すうえで、最も大事なことは「任せる」ことである。つまり「責任を持たせる」ことが大切だ。ただ、この「任せる」ことと「責任をしっかり認識させる」ことは、口で言うほど簡単ではない。
たとえば、自社のリーダー達は、仕事を任せる際にどんなことを意識しているのか、何をどこまで任せたらよいかを判断する基準をもっているのか、等々あらためて考えてみると色々と疑問がわいてくる。
相手によって任せ方も当然変わってくる。では、その相手のことを十分に理解しているだろうか?これから仕事を任せようとする相手の力量を的確に把握するための具体的な問いかけを持っているだろうか?相手の力量に応じて業務を適切に分割し付与することがリーダーの腕の見せどころ、とは言え、そこまできっちり考えて業務付与に向き合っているリーダーがどれだけいるだろうか?
「任せる」ことと「丸投げ」の差はどこにあるか理解しているだろうか?任せた側が責任を全うするとは何をすることか、リーダー達は具体的イメージをもっているだろうか?
任せる側のリーダーには、自らの結果責任への覚悟を持ちつつ、任せた相手に対しては執行責任をしっかり自覚させる説明能力も必要となる。任せた相手の当事者意識を刺激しつつ、フォローし、コーチし、成果を出させると同時に育成をはかっていくための具体的行動がとれるかどうかが問われるのだ。
当事者意識を引出す際の留意点
前回、「仕事を任せた相手に本人が担うべき執行責任を明確に自覚させる」ことがリーダーには必要と書いたが、「責任を自覚させる」ためにリーダーは何をすればいいのか?「責任」を言葉で伝えることはできても、真に自覚させるのは実は簡単ではない。
しかし、リーダーがここをきっちりやるかどうかで、「うわべだけで理解した責任感」で留まるか、「真の当事者意識」を引出すかの差に繋がる。そして、それは最終的には成果の質そのものの違いとなって表れるのである。
当事者意識の自覚を促す方法論
自覚を促す方法論は、「責任を全うするということは、その仕事の目的・意義をどう捉え、何をどうすることなのか」をとことん考えさせ、本人自らの言葉で語れる様に導くことだと私は考えている。
責任という言葉の持つニュアンスを、あるべき行動の動画イメージで認識できる様になると、人間はそれを実践するに相応しくあろうと意識が高まる。これが当事者意識が覚醒されるプロセスだと考えている。勿論、本人がやりたがらない仕事の場合、このアプローチも機能しにくいだろう。
「お前はどうしたいんだ」と常に問い続けることがリーダーの重要な仕事だとよくいわれる。「一人称で考えさせ続ける」ことによって、人間が根源的に持っている主体性や、やりたいという動機に火をつけ、当事者意識を引出そうとするのである。別の言い方をすれば、これも「人間主体」が本来持つ「責任感」を引出す営みとみることができよう。
当事者意識の醸成で注意すべきこと
さて、それなりに当事者意識を引出して仕事を任せることが出来た場合でも、注意しなければならないことがある。それは、任せた(一定の)範囲で閉じてしまう”狭い当事者意識”への対処である。いわば”日常接点を持つ同僚達との間でのみ通用する部分最適”で良しとしてしまう意識”とも表現できるだろう。
そもそも組織がある程度の規模になれば、個人は、組織の中で自分の役割を見失いがちになる。その結果、自分の仕事がその組織自体の存続とどう結びついているのかの因果関係を明確に認識しにくくなるのだ。
与えられた範囲の役割を自覚しつつも、組織全体の方向性や存続ということに対するコミットが薄くなってしまうのである。放っておくと、全体を見ない”個人事業主”が組織の至る所に出没しかねない。
言うまでもなく”部分最適で満足した個人事業主の寄り合い所帯”では、組織の真の競争力は高まらない。同時に、狭い範囲に閉じた役割に上限を定めてしまうことは、個人の持つポテンシャルを顕在化できずに無駄にしている。実に大きな損失だ。
自覚を促すためにリーダーがすべきこと
そうさせない為にリーダーがすべきことは、本人達と共有する情報の質と量を高めることにある。人間の思考の前提となるのは知識や情報であるが、相手が自らの仕事の意義を全体の中で考えることが出来る経営情報に触れさせ、同時にそれが相手にとってどんな意味合いを持つのかを、本人に引き寄せて考えさせることがリーダーの役目である。
更に、組織全体視点から相手の仕事への期待の眼差しを向けることもして行きたい。たとえば「全体にとって新たな顧客開拓の試金石として意義のあるこの仕事で、君が大いに貢献してくれることをあてにしている」といった期待感をリーダーの口からしっかり伝えることが、一段高い当事者意識を引出すポイントと言える。
当事者意識が薄い社員への対処
最後に、必ずしも前向きな話ではないが、当事者意識とは程遠い「ぶら下がり社員」や「寄生社員」への対応も考えておこう。
あって欲しくないと思っていても、組織には一定確率で発生しうるケースである。この問題への対処法をシンプルに言ってしまうと、相手の「本気」「自尊心」を如何にして目覚めさせるか、ということだと思う。
相手のタイプにもよるが、「悔しい」とか「恥ずかしい」と言った人間の根源的感情部分に刺激を与えるのが近道だろう。つまりは「ズバリ言うわよ!」の領域である。
従い、受け手がメッセージを正しく受信できる環境や文脈を作ることが大事であるが、もっと大事なことは、メッセージを明確に伝えること。根底には期待と愛情を持ちつつも率直さを持って伝えるべきと私は思う。
具体的なイメージとしては「今の君は、組織の平均値を下げている」というメッセージを率直に伝えるのだ。そして、それを伝えても結果として、意識と行動に変化が出ない場合は、バスから降りてもらうしかないだろう。それを言われる側は勿論辛いが、伝える側も実に辛い。
リーダーには、厳しい現実に向き合えるだけの精神的なタフネスも求められる。厳しくとも、相手の可能性を信じてやるしかない。リーダーとしてこれを看過し、現実から逃避することは、当事者意識を持った他の社員に対する裏切りであり、不作為の罪と心得るべきだと私は思う。
以上、様々な角度から、リーダーが如何にして当事者意識を引出すかを考えてきたが、ポイントは、個々人が持つ可能性を信じつつ、彼等に考えさせる刺激を徹底して与え続けるということだ。
そうした存在になることが今のリーダーには求められている。個々人を徹底的に考える環境に明るく追い込み、組織の中で何ができるのか、何をしなければならないのか、何をしたいのかを気付かせるサポーターの役割を担っているのである。リーダーの意識的な関与があることで、個人は自らの意思と責任に相応しく成長しようとし、また組織に対する能動的関与が高まっていくのである。
結局、こうした刺激を与えられる技量とタフネスを持ったリーダー達を、組織のあらゆる階層でどれだけ数多く育成・確保できているかが、厳しい競争を勝ち続ける源泉とも言えるだろう。
人々の関心、視線を常に外部に向けさせる力
仕事柄、企業の経営者、或いは経営層の方々とのディスカッションを通じて、彼らの社員に寄せる期待や想いに接する機会が多い。業種や事業環境の違いによって様々な考えがあるのは事実だが、一方でよくよく耳を澄ましてみると、究極的に経営者が社員に期待していることは、至ってシンプルかつ本質的な以下の2点に集約される様に思う。その第一は、「社員が主体的に自らの頭で考える」ことへの期待だ。別な言い方をすると、前回までのコラムで考えてきた「当事者意識を持て」ということになる。そして、もう一点これと比肩するのが「社内に閉じるな。外を見よ」ということだ。今回と次回では、このニ番目の観点、「人々の関心、視線を常に外部に向けさせる」ということの意味と、更にその為にリーダー達はどんな力を発揮する必要があるのかについて考えてみたい。
「関心と視線を外部に向ける」と何が良いのか?そうしないと何がまずいのか?
最初に、外に目を向ける必要性を整理しておこう。一見すると敢えて議論するまでもない様にも感じるのだが、その必要性を分解整理したうえで具体的に実感しておくと、人間は「当たり前を実現する」ために、自覚的に一層の努力を払うようになるものだ。
例えば、人間の脳の働きに置き換えて考えてみる。
我々は五感を通じて外部の様々な現象や事実を「受信」する。受信情報は刺激として脳へのインプットとなる。脳は、それらの刺激を認識し、解釈し、何をするか/しないかを考える=いわば「計算」するのだ。計算結果は、各筋肉(口、目、手足・・・)の「運動」としてアウトプットされる。更にこの「運動」(アクション)の結果によって生じる刺激が次のインプットとして受信され・・・、となる。
養老孟司氏によると、このサイクルが「計算」機能の強化(学習と進化、成長)に繋がっていくのだという。もしも、この「受信」自体なかったらどうなるのか。「受信がない」(=インプットとしての刺激がない)ということは、何も起きない(アウトプットがない)し、脳の「計算」機能の強化(学習と進化、成長)もない。単純な話だが、脳の機能は「停滞」もしくは「低迷」を余儀なくされるだろう。
さて、ビジネスの現実に話を戻そう。世はグローバル・ベースの大競争時代だ。競争相手は必死に凌ぎを削っている。お客さんの要求水準も高まるし、ニ-ズそのものがあっという間に変わってしまうことも頻繁だ。
そんな気が抜けない状況下、「本当に顧客起点で考えているのか」とか「世の中の動きにしっかりアンテナを張っておけ」といった現場に対する厳しい指摘を聞くことが多い。これこそまさに「受信障害」が起きていることを物語っている。
受信していない(知らない、外を見ていない)ことによって、然るべきアクション(アウトプット)が無いのである。環境変化の激しい現在、こうした何もしない事態を「停滞」という言葉で片付けることは出来ない。周囲が変わっている中で「何もしない」ことは、むしろ相対的「退化」や「劣化」が生じており、大きなリスクと捉えるべきである。
もうひとつ、よく耳にする声がある。「旧来の発想ややり方から脱却できない」「過去の経験に頼った直感や思い込みのみで動いている」「”AといえばB”のパターン化された直線思考に陥っている」といったものだ。これらも、例外なくどんな企業でも聞かれることである。(余談になるが、”クリティカル・シンキング”などの思考力強化プログラムへの学習ニーズが高まっている背景にはこうした事実がある。)
既にお分かりの通り、これも受信障害によるものだ。結局「計算」機能の進化と成長が促されず、「思考の固定化」を招いているのである。変化の激しい知識集約型社会の現代では、「思考の固定化」は、むしろ「脳疾患」あるいは「機能不全」といった方が事態を正しく描写しているのかも知れない。
以上、見てきたとおり、外部に目を向けず、内向き思考に陥ると、変化を看過し、変化に適切に対処できなくなる。視野狭窄によって、ビジネスのやり方、戦い方が固定化し、いずれは立ち行かなくなる。ここに「外部に目を向ける」ことの必要性がある。
人は何故、内向き思考に陥るのか、視野狭窄は何故生じるのか?
では、外に関心が向かない理由はどんなことが考えられるのだろうか。ここでは三点あげておきたい。
一つ目は、外に関心を持とうという意識がそもそも無い、つまり必要を自覚していない状態である。簡単に言えば、現状に満足しきっているということだ。
今の状態に不都合を感じない、或いは周囲から小言すら言われない状態だとすれば、それは外に意識を向けずに、現状に閉じてしまうことを良しする。日本の社会全体が、経済的に豊かになり、「ハングリー精神」という言葉も聞かなくなった今、(意図せざる結果として)「平和ボケ」に浸りきって、感度が鈍くなっている職場(茹で蛙症候群)はかなりある筈だ。
自己満足が更に昂じると、慢心や奢りが出てくる。
成功体験、それに伴う自信、これらにはひたすら我が道を行くという頑迷さを強め、外部に学ぶという意識を弱める落とし穴がある。過去ヒット商品を生み出したという自尊心が、市場の声に耳を傾けようとする謙虚さの邪魔となるのだ。真のニーズとずれた、独りよがりの研究に耽るR&D部門。これもありがちな話しだろう。
二つ目は、外への関心を持ちたくない、変化を目の当たりにしたくない、という状態だ。
環境変化に合わせて、いずれは自らを変えなければならない、ということは頭で理解していても、変化にかかる「コスト」の大きさから、変化に目をつぶろうとしているのだ。面倒なものは見たくない、関わりたくない、という抵抗とも言える。
この抵抗は、変化によって失う”既得権”を大きく捉え、現状維持のリスクを小さく捉えている(或いは知らない)ことから生じる。
好景気を良いことに、営業や生産の現場では、深く考えずに「従来同様路線で行ける所まで突き進め!」との思考停止に陥っていることも多いのではないだろうか。よくよく考えれば、本当に今のままで良いはずがないのに。。。 皮肉なことだが、「良好」とは「変化の阻害要因」にもなり得るのである。
そして最後は、外に関心を持つ必要を理解していても、それが出来ない状態である。
「やるべきことが多すぎて、なかなか外に意識を向ける時間が作れない」という話を聞く。この例は「外部に意識を向ける」ことは「やるべき仕事」には入らないということを図らずも言っていて、「じゃ、あなたの仕事は一体何なのか」と聞きたくなる様な笑えない話だ。だが現実は、往々にして社内の仕事を社外(お客様を含む)との仕事に優先しているケースがある。「顧客優先」という模範回答を知らない社員はいない。でも、実際の時間配分は社内>社外。このことも多くの方の実感に近いのではなかろうか。
原因は何か?
原因のひとつは、「社員の意識を、内向きにさせてしまう上司」にその原因を見出すことができる。(ただ、上司は社員に悪影響を与えていることに無自覚なことが多いので性質が悪い。)
例えばこんな話しだ。
”関係者への配慮とコンセンサス重視”が意思決定構造の多層化を生み、無意味な社内調整に社員を巻き添えにしている。”
”ピリッとした緊張感のある職場作り”が行き過ぎて、社員を萎縮させ、常に上司の顔色を窺うような組織になってしまう。”
”柔軟性重視”を志向する余り、ころころと方針が変わり、社内のコミュニケーション・コストが高くついてしまう。”
”スピード優先”のつもりが、拙速につながり、手戻り修正やムダな作業がやたらと多い。”
”現場の声を聞く”という美名の下に、仮説検証の発想なしに繰り返し要求される本部報告に多くの時間消費を強いられている。”
残念ながら、多くの企業で横行している現実であろう。こんな状態で、外部に意識を向ける時間は捻出しようもない。
如何にして、人々の関心を外部に向けさせるのか?
自己満足や慢心、更に変化への抵抗から社員の目を覚ますには「健全な危機感」をひたすら高めることである。
現状の延長上に成功が約束されていると信じる人がいるとすれば、それは単に「現実を知らなすぎる」のだ。顧客は、実は現状に不満を持ち新たな欲求を持っていること、競合が虎視眈々と新たな挑戦を仕掛けようとしていること、社会構造の変化や技術革新など大きな潮目の変化がじわじわと起きつつある事など、知っておくべき事実を教え、変化の意味合いを自らに引き寄せて考えさせることが大事になる。
「情報収集を怠ることの怖さ、アンテナの感度が鈍いことがもたらす危機、外部に目を向ける必要性」を社員にしみじみと実感させるのがリーダーの務めである。
職場内で、顧客や競合、社会動向に関する情報がいつも交わされる雰囲気も作りたい。
良い風土は、リーダーの率先垂範があって始めて組織に根付くものであろう。職場の問題を自然と焙り出す有力な手法として「見える化」が注目されているが、その前提として不可欠なことは「見ようとする化」である。見えるかどうかは、情報の受け手次第だからだ。社員に知らないことを知ろうとする意識を持たせることが先決なのである。
外に関心を向けさせるもうひとつの軸は、意味の無い社内業務(無駄な調整、無意味な過剰品質)をさせないことだ。そして、その為の特効薬は、リーダー自らが外向きの仕事に意識を集中していく事に他ならないと私は思う。
リーダーが内向きになると、常務が部長の視点でものを言い、部長が課長の仕事しはじめる。これでは社員の仕事は、どんどん小さくなっていく。社員を狭い範囲に閉じ込めることにある。そうしない為には、リーダーが”外を向いたマネジメント”を意識すべきであろう。言い換えると、リーダーは自らの役割を、社外との接点に焦点をあてて再定義して行くのである。
同時に大事なことがある。社員の仕事に対する志を高く持たせることだ。仕事を作業レベルのミクロな視点で捉えていては、世界は広がりようがない。担当業務が、その企業のミッションやビジョンと最終的にどう結びつくかを考えさせ、自らの役割を高い視点(本来の目的レベル)で考えさせるのである。
この営みは、リーダー自身が高い志をスタッフに示し、彼等の共感を得ることから始まる。共感に必要なのは、その志自体が人を惹き付ける力を持っていることである。例えば、広く世の中に価値を提供する意義を含んだもの、顧客や株主だけにとどまらず、地域や国、世界といったコミュニティとの良き関係を連想させるものであることが望ましい。
そして志を実現しようとするリーダーの具体行動が、周囲にポジティブなエネルギーを与えることで、社員の働き方と意識も、自然と広く社会に向いたものになって行く筈だ。
以上見てきた様に、リーダーには、「知らないことは危機。社員に知ろうという意識を持たせる力」や「仕事の意義と目的を志として語り、社員の視座を高められる力」が求められる。
加えて、リーダー自らが外部の事実から将来を予想する力を持つ必要がある。つまり、変化に即応するだけではなく、変化の兆しを見つけ、そこから将来の状況を予想していくべき時代なのだ。自らの経験則に基づく予想では不十分で、「自らに馴染みのない立場や、反対の立場からどうすれば良いかを考える力が必要になってきた」とカルロス・ゴーン氏は語っている。
各現場に、深い洞察眼を持って社会を見渡せるリーダーが数多く存在することで、組織の視野狭窄は防げ、組織全体が変化を感知する大きな高感度アンテナになり得るのである。
人々に伝える力、浸透させる力
当事者意識を引き出す為には、「相手に考えさせる刺激を徹底して与え続ける」リーダーの存在が有効だし、外部に視線を向けさせる為には「知らないことは危機、知ることの必要性を実感させ」「仕事の意義・目的を志として語り、社員の視座を高めさせる」数多くのリーダー達が必要なのだ。社員をあるべき姿に引き上げようとするリーダーの積極的関与が今日待望されているのである。こうした問題意識を基調に、3つ目の「伝える力、浸透させる力」について考えていきたい。
「伝える」ことの経営的意味
ビジネスの世界で結果を出しているリーダーの発言には、経験に基づく重みがある。同時に非常に示唆に富んでおり、彼等の持論に学ぶことが多い。そうした名経営者として常に名前の挙がるキヤノンの御手洗会長のコメントが、少し前の日本経済新聞に載っていた。短い記事であったが、その中で書かれていたポイントはこうだ。
「経営のスピードとクォリティは、経営者の意思が如何に深く、広く、正確に伝わるかで決まる」
企業経営において「伝える」ことがどれだけ重要かを端的に表した名言だと思う。
この言葉と出合って以来、私は事業部門の運営に際して、この一節をいつも意識するように心がけている。勿論、至らないことの方が多く、まだまだ未熟だが。具体的に意識しているのは、組織を「集団」という括り(或いは塊り)で捉えるのではなく、できるだけ集団の構成要素である「個」に照準をあてて認識するという点である。その上で、ひとりひとりの個人が納得感を高めるように、彼らの心に「深く」刻み込むように伝えること、一方で多くのメンバーそれぞれが、自分の問題として捉えることが出来るように「広く」沢山の人々に染み渡るように伝えること、更には表面的な理解に留まらず、考え方の背景や意図を含め、誤解無く「正確に」伝えること、を目標にしている。
あるべき論として表現すると特別なことを言っている訳ではないのだが、実践は難しい。
そして奥が深い。どれだけ横着をせず、どれだけ知恵を絞って工夫をし、徹底を図るかが肝なのだと日々つくづく感じている。
では、どうすれば「伝える力」が高まるのか?
読者の皆さんは、どんな観点を思い浮かべただろう?
高めるべきコミュニケーション能力として、以下の様な技術も大切だろう。
・自らの体験や伝えたいことを明快に表現する言語化能力
・聞き手の理解・定着を高められる論理構築能力
・主張や展望が、聞き手の感情にも訴求できる物語表現能力
これらは「伝えたい内容を適切に表現する為の要素技術」と言え、今日リーダーにとって不可欠な力であるのは間違いない。従い、最優先で鍛えるべき能力だが、今回の議論はスキル寄りの切り口から敢えて離れ、「伝える」側であるリーダーが、情報の受け手との関係性を考慮した場合に、どんな着眼点や意識をもって役割を果たしていくと良いのかという点を考えていきたい。なぜなら、現実社会にはスキル以前に意識や視座の問題も横たわっている様に思うからである。
以下をご覧頂きたい。こうした例が、自社のリーダー(自戒を込め我々も含む)には当てはまらない、と果たして言い切れるだろうか?
- 自分の言いたいことだけ言って、「あとはヨロシク」と役割を果たしたつもりになっている勘違い
- 1度か2度言っただけなのに、「何度言っても分かってくれない」と嘆く横着者
- いや~最近バタバタしちゃって、 といつも言い訳ばかりの口先人間
- 若い連中には結局どう言っても伝わらないものよ と勝手に決め付ける知ったかぶり
- 知りたきゃ、聞きに来るのが筋でしょうがー という筋違いの開き直りと役割放棄
些か強調した物言いで書いてみたが、実際こうしたことを無自覚にやってしまうのは案外と多いものだ。同時に、環境の変化に伴って、リーダー達の意識上の落とし穴や盲点も増えてきているのである。
経営に求められるスピード感は日増しに高速化し、一方で情報の受け手となる組織の構成員の多様性は非常に高まっている。そんな状況下でも、競争優位の源泉としての人の可能性を最大限引き出す為に、リーダーは「組織で共有したい価値観や基本的な考え方、組織のビジョン、実行すべき戦略」など経営上必要な考え方を「伝える」上でどんなことを留意すべきなのか?「深く」、「広く」、「正確に」という観点から、「伝える」「浸透させる」ことの実践的な勘所やポイントを浮き彫りにしていきたい。
深く伝える
経営に必要な考え方を伝える「深さ」は、何に影響を与えるのか?
「深さ」とは、結局は受け手一人一人の納得とコミット、つまり腹落ちの度合いだ。一人一人が組織ビジョンの実現に拘りを持ち、戦略実行の徹底を強烈に意識しているか、など詰まるところは「成果創出」の確率を大きく左右することになる。
では、受け手の意識に深く刻み込みたいと考えるリーダーは、何をすれば良いのか?
リーダーの実践行動として、先ず「フェイス・トゥ・フェイスの説明」と「繰返し伝える」ということが頭に浮かんだ読者も多いのではないだろうか。リーダーにとって、時間という貴重なリソースを惜しげもなく投入し、我が方の意図を兎に角伝え切る為に、情報伝達の直接性と伝える頻度を高めることは効果的だ。それだけでも立派な取組と言える。更に、気の効いたリーダーであれば、説明の質的充実度合いにも抜かりがないだろう。方針に関する背景情報や、複数の選択肢からその方針を選んだ理由、今後に対する展望やリスク要因など、意思決定のプロセスや先の見通しなど、受け手と視界共有を図ろうと努力するだろう。
見える化を意識した説明責任の果たし方など、ここまでやれば上出来である。勿論、コミュニケーションのプロセスにおいて、相手に意見を述べさせるなど、具体的な思考と発言を促す問いを立てつつ伝えていくことは、受け手の納得形成の重要なプロセスである。是非、励行していきたい。
でも、それで本当の意味で受け手の深く持続力のあるやる気を引き出し、実行への強い執着心を喚起させられるだろうか?もう一段の「深さ」を追求するにはどうすれば良いかも考えておきたい。
冒頭に書いた「個々人のコミット」に着眼するとどうだろう。自分自身のことを考えるとわかりやすいが、人間がコミットするのは、納得感のあるフェアなプロセスが提供されたことによる安心も大事だが、もっとベースにあることも忘れてはいけない。極めて単純だが、「やりたい」「自分にとって関心が持てる」「利益実感が湧く」、或いは、「やらないと大変なことになる」という意識を持てるかどうかが大きいのだ。それが、パーソナルな事情と結びつけばつくほど、本人のコミットは高まるものだ。
となると、リーダーは何をすべきか?多様な個々人の労働観、モチベーションの源泉、どう成長していきたいと願っているか等、相手自身を普段からしっかり理解しておくことである。
そして組織ビジョンや全体方針の中にある重要な点を要素分解・切り出して、受け手の関心と結びつける。相手にとっての仕事の意義付けを明確に導くことである。なかなか骨の折れる作業に感じられるであろうが、「個々の能力を最大限引き出す」経営とは、手間のかかる営みなのである。
広く伝える
最初に、「広く」伝わらないと何が問題かを確認しておこう。
浸透の範囲が狭いというのは、必要な情報を知っている人と知らない人が組織の中に混在する“まだら状態”である。経営方針や目標、実践方法に対する理解度にムラがある中途半端な状態では、組織間の連携は上手くいかない。意思疎通の効率も悪い。メンバーが一致団結して発揮すべき組織の実行力や経営のクォリティが高まらないのである。前回のテーマであった「深さ」と同様、「広さ」も極めて重要な論点だ。
ところで、「深さ」をもたらす鍵のひとつに、直接的な情報の伝達があった。だが、直接性を重視すれば、伝える相手の数には自ずと限界が出て来てしまう。「深さ」を重視しつつ浸透の範囲を広げることは、N数をどこまで大きくできるかという挑戦とも言える。
では「広く伝える」ために、リーダーが考えるべきこと、実践すべきことは何か?情報が広く伝わっていくプロセスを3つの段階に整理し、それぞれで必要なことを考えていきたい。
【広く伝える3段階】
N数を増やし、組織内の浸透度合いを高めていくプロセスを以下の3段階で捉えてみる。
第一段階: コア・メンバーと握る(コンセンサスを作る)
第二段階: 組織の中にブームを起こす
談三段階: 組織の常識、習慣にする
第一段階 コア・メンバーと握る(コンセンサスを作る)
最初の段階で大事なことは、伝えたい内容やコンセプトを組織のコアとなるメンバーとしっかり議論し、共有しておくことである。組織の規模にもよるが、リーダーにとって大事なディスカッション・パートナーや組織運営を共に考え実践する主要メンバーは多かれ少なかれいる筈だ(もしも、いないとすればそれ自体が問題だが)。経験的に言って、組織全体の5-15%に相当する人数になる。この層とは、徹底議論の場などの共通体験を数多く積み重ね、相互の人間理解を深めるとともに、基本的な考え方を共有しておくことが大事である。それが、組織の基盤になってくるからだ。もしも、彼等との「握り」が緩ければ、「広く伝える」「組織への浸透」は、ほぼ無理だと言っても過言ではない。なぜなら、詳細は後述するが「広く伝えきる」為の多くの語り部が不可欠で、彼等こそが強力な語り部になるべき層だからだ。
先々の語り部となる彼等とのコンセンサス作りには、リーダー自らの所信を明確に持ちながらも、前回整理した「深く」伝えるプロセスの徹底実行を重視すべきであることは言うまでもないだろう。
第二段階: 組織の中にブームを起こす
さて、コア・メンバーと握れても、それでは範囲が狭いし、組織に浸透したことにはならない。ここからが事実上のスタートであり、工夫が要る。
先ずは、メッセージそのものをどの様に表現するかがポイントになる。伝えたいメッセージをシンプルに表現することが大事だ。思いと本質を明快に伝え、無駄を削ぎ落としたシンプルなメッセージは、意図がブレずに考え方を共有しやすい。単純明快な言葉は受け手の記憶に定着しやすい。どんな言葉を使うか、すなわち”言語選択”が重要なのだ。
これを非常に上手く実践している某メーカーの事例を紹介したい。組織内の方針徹底スピードが極めて速く、考え方を浸透する力に秀でたこの会社では、メッセージやスローガンにどんな言葉を使うかをかなり吟味し、強い拘りをもっている様だ。トップが発するメッセージにも「やり遂げる執念」「リーダーの持つべき気概」など、共有すべき考え方を率直かつ力強く表す言葉を使っている。
また、「ぶっちぎり」「ガチンコ」といった印象的でインパクトのある表現を社内資料(公式文書)などでも敢えて用いることで、受け手の間で合言葉や流行語、ブームを起こすことを密かに狙っているかにも見える。「言霊」という考え方があるが、こうした拘りこそが、実は浸透には欠かせないのだろう。スマートな横文字や、流行のカタカナ言葉を連呼したところで、込めた思いを浸透出来ずに苦労している企業が少なくないが、このメーカーの事例こそ、本当に伝えることを意識した取り組みではないかと注目している。
こうした「力強く、わかりやすいメッセージ」を組織に向けて発すると、これをしっかりと受け止め、自分なりに咀嚼し、リーダーが期待する行動をとり始める人材が一定比率で必ず出てくる。彼らは、いつしかこのメッセージを与えられた言葉としてではなく、自らの日常語として使い始める。ブームが起き始めるのである。どんな企業でも、組織の階層毎に3-4人に1人位の割合でこうした勘の良い「早期適合者(アーリーアダプター)」がいる筈だ。ブームを起こす為には、彼等に訴求し、彼等を動かしたい。
同時に、ブームを起こすには組織全体に何らかの動き(モーメンタム)が必要だ。メッセージを伝えるミーティング、ロードショーを大々的に開催したり、ポスターやチラシなどキャンペーン活動を展開するなど、雰囲気や佇まいを意図的に作っていく工夫もしていきたい。こうしたことを積み重ねることで、コアメンバーと早期適合者を合わせ、組織全体の半分近くまで浸透を高めることが第二段階の目標である。
第三段階: 組織の常識、習慣にする
第二段階から更に広げていくのが実は最も重たい。組織の7-8割にまで浸透させていくには相当のエネルギーが要る。言葉を選んで明快なメッセージを発しても、シンプルにした分だけ抽象度は高くなる。従い、ある一定を超えて考え方を広げて行くには、より具体的な内容や意図・ニュアンスを伝える必要が出てくる。こうした行間を埋めていかないと、組織の多くのメンバーのアクションには繋がらない、我が事として腹落ちしない、といったことになる。
では「行間を埋める」にはどうするのか。私は「人間による語り」が最も有効だと考えている。ここで「語り部」としてのコアメンバーの出番である。しかし、彼等が、頑張っても伝えられるN数にはやはり限度がある。そこで、すべきことは「早期適合者」を「語り部」に育成していくことである。基本的考え方を共有した信頼のおける「語り部」をどれだけ増やせるか。数多くの語り部の存在が、「広く伝える」という意味で鍵を握るだろう。
最近、多くの企業でWAY、DNA、イズムなど自社で重視する価値観の浸透の必要性が喧伝されている。ここでも決め手として「語り部の育成」を重要な施策と捉えている企業が多い。因みに、語り部の育成に際しては、彼等に「深く伝える」視点が欠かせないのは言うまでもないだろう。
伝える広さを追求する上でのポイントを、最後にもうひとつだけ挙げておきたい。それは、情報の受け手のリテラシーや知識量を高めるということである。人間の理解力は、その情報を正しく理解するために基礎となる知識を有しているか否かに左右される。情報を伝える側の語り部の育成とセットで、情報を受ける側の理解力も鍛えることが効果的だ。
実は、グロービスで実践している研修に「読書会」というのがある。これは共通の書籍を参加者で読み合わせ、感想や疑問などを自由に語り合うのものだ。この研修の本来の目的は、人間性を高め相互理解を深める点に重きを置いているが、副次的効用として、書籍に謳われている考え方が構成員の共通言語となることで、組織内の意思疎通の早さと正確さが圧倒的に高まるといったことも指摘できる。例えば、こんなやり方で、巷間指摘される「共通言語」のパワーを組織に上手くインストールすることにより、浸透を加速させることが可能となるのである。
正確に伝える
まず「正確に伝える」とは、「深く伝える」と何が違うかを整理しておきたい。
「広く伝える」ことと、他の2つとの違いは敢えて説明する必要もないだろうが、「正確に伝える」というのと「深く伝える」は、捉え方によっては違いを明確に認識しづらい。
「深く伝える」(第6回のコラム)では、情報の受け手一人一人の納得とコミットを高める為に何をすべきかを考えた。具体的には、情報伝達の頻度と直接性、伝える情報の質と量、伝える際の工夫(相手に意見を言わせる、ディスカッションするなど)、更には伝える情報が受け手にとってどんな意味があり、どんな利益実感があるかといった観点も含め、重視すべきポイントを様々な角度から挙げてみた。つまり、「深さ」をどれだけ「自分の問題と受け止められるか」の当事者意識を左右する問題として捉えたのである。
では、「正確さ」では何を論点にするのか。
端的に言えば「知恵と知識・技能の理解共有度」である。言い換えると「ノウWHY=背景・理由・必要性についての理解=結局はどうしてそう考えたかの判断軸」と「ノウHOW=いかにして実践するかのやり方」の理解共有度に主たるポイントがあると私は捉えている。
「深く伝える」ことで当事者意識をもった人たちが生まれ、「広く伝え」た結果として当事者意識を持った人たちが組織の隅々に至るまで増えていき、そして、「正確に伝える」ことで彼らが裁量をもって、自律的に(その組織にとって)正しく判断し、必要なアクションを(その組織にとって)正しく実践できるようになるのだ。こうした組織は断然強い。
メンバーに任せ、裁量を与え、エンパワーしていく経営、つまり「個々人の意欲と能力を最大限引き出す経営」が、変化とスピードの時代の重要な考え方になって来ている。裁量を与える前提としてとりわけ大切になるのが、HOW以上にWHY=判断基準の徹底共有である。こうした認識から、以下では特にWHYに重きを置いて考えていく。
判断基準を浸透させる、といっても現実に徹底するのは相当難しい。実際、日頃の部下やメンバーの行動に対して、以下の様な感覚を持っている読者も多いのではないだろうか?
- 何故、あの件から先にやらないのだろう?
- どうして、今そのことにこんなに時間を費やしているのか?
- 状況が変わったのだから、さすがに同じやり方じゃマズイと思わないのはどうしてか?
- どんな理由で、そういうアクションをとったかが理解できない
- 何故、あの場面で相談なく進めてしまったのだろう?
このように、必要性の理解の食い違い、優先順位の付け方の誤解、立ち返るべき原則などの判断基準のズレ、といったことは日常的に起きている。では、こうした誤解や認識のズレは何故生じるのか?リーダー、フォロアー、それぞれに原因はあるだろうが、ここでは敢えてリーダー側の問題に絞って考えてみたい。突き詰めれば以下の3点(名づけて「リーダーの3大病」)に原因を見出すことができる。
【「正確に伝える」ことができない リーダーの3大病】
- ”言語”障害 ~ リーダーが発信すべき所信を言葉に出来ていない
- ”感覚”麻痺 ~ リーダーが伝わったかどうかに無頓着で受け手を意識できていない
- ”気骨”粗鬆 ~ リーダーが本来明確にすべきことを曖昧にしている
”言語”障害 ~ リーダーが発信すべき所信を言葉に出来ていない
リーダーの所信がそもそも打ち出されていない、というのでは「話にならん!」と思わず一喝してしまいそうになるが、案外こういう事例は多い。組織運営における初期動作として何より大事であることは頭でわかっていても、スピードが求められるビジネス環境の中、つい疎かになってしまうのである。忙しさの余り、着手先行で目の前の案件をひたすら”捌いている”、次々に生じる問題をその都度打ち返している という日常は多忙の余り、それだけで仕事をしている気分になってしまう。ところが、目先の仕事をこなす対症療法では、いつまで経っても任せることが出来ない。気がつけば、リーダー自身が組織成長のボトルネックになっていた、という思いもよらぬ辛い結果が待っている。献身的に頑張っているにも拘わらず・・・、実に報われない状態だ。
事情に同情はする。だが、ここは敢えて「それではダメだ」と明確に言うべきだと思う。
言い方は冷たいかも知れないが、個別事象、短期的な時間軸にのみ思考と行動が閉じてしまい、本来考えるべき「長い時間軸と組織を方向付ける原則」を考えていない。これでは、リーダーとして余りに無策、と言わざるを得ない。勿論、私は「べき論」を振り回して一刀両断にするつもりはないが、先ずリーダーとして、所信(進むべき方向と原則となる考え方の機軸)を打ち出すことを最大の役割と心得る必要があるのではないだろうか。
一方、所信を自分の頭の中で「構想」として思い描いていても、自分以外の人間にしっかりと伝えるレベルに言語化されていない場合もある。思いや感覚を言語化し、形式知として紙に落とし込むプロセスは、結構なエネルギーと時間投資が必要になるので、ついつい後回しになってしまう。イメージのままで留まってしまうのだ。加えて、日本社会の特性も無視できない。「阿吽の呼吸」「以心伝心」「組織の常識」ということで、前提が共有されているという思い込みも、実は言語化の大きな阻害要因として指摘できるだろう。「そんなことまで言わなくてもわかるでしょう」というやり方は、外部環境のダイナミックな変化と社員の多様性の中で、既に通用しなくなってきている。
「正確に伝える」為の第一歩は、リーダーとしての所信を「考えて、言葉にして、きちんと説明する」ことである。ひどく基礎的な話だが、この”言語障害”に実は多くのリーダーが陥っているというのが現実的課題とも言える。
”感覚”麻痺 ~ リーダーが伝わったかどうかに無頓着で受け手を意識できていない
「コミュニケーションの成立は受け手が決める」とは良く聞く名言である。情報の出し手が、いくら丁寧に、時間をかけ、適切に情報の質と量を保証しても、それで意思疎通が成立するとは限らない。これこそ、リーダーが心に刻んでおくべき大前提だ。
だからこそ、正確に伝える上で大事になるのが「受信状態の確認」である。我々は、大事な話をする時に、相手の表情や態度を注意深く観察し、どこまで理解しているのか、どの程度共感を持って聞いているのかを、本当に意識しながら伝えているだろうか?質問などで相手の思考を促し、理解を深めさせるなど、適切な刺激を十分に与えているだろうか?本人の解釈を自らの言葉で発言させつつ記憶定着を促すことを意図し、そうした機会を積極的に作っているだろうか?「もしも・・・」という問いかけなどで、前提をずらした質問を投げ掛け、相手の応用力、原則への理解度を掴もうとしているだろうか?
手間のかかるプロセスだが、判断基準は考え方の基礎になる部分なので、こうした双方向の応酬を経て、はじめて相手に正しく伝わるものだと思う。
最後に、受信状態を確認しない(できない)阻害要因として「伝えることに一生懸命になり過ぎている」という点も指摘しておきたい。私自身も時折やってしまい、自己嫌悪に陥るが自分なりに考えた所信が出来上がると、「言いたい」気持が先行する。相手にも発言を促してはいるが、実際には聞く耳を半ば失っている。受け手への配慮の感覚が麻痺した自分に時折気付いて「ハっ」とするのである。受け手を常に意識した意思疎通とは、実に難しいものだと思う。
”気骨”粗鬆 ~ リーダーが本来明確にすべきことを曖昧にしている
最後は、リーダーの指針が曖昧だったり、わかりにくいことによって、現場判断が混乱したり、更には、メンバーが不信感を持ってしまうケースについて考えたい。
ビジネスは、そもそもクロス・ファンクショナルな協働作業であって、立場が異なる人々がそれぞれ利害を調整しながら事にあたっている。調整機能がしっかりしていないと、それぞれが立場に応じて都合の良い判断をし、結果として協働作業が成り立たずバラバラになってしまう。ここにリーダーが自覚しなければいけないポイントが見えてくる。
異なる立場の利害対立を安易に回避しようとすると「足して2で割る」考え方に流れてしまう。だが、それが組織全体のあるべき判断軸かと言えば必ずしもそうではない。場合によっては敵を作りかねない、特定の関係者に嫌われる様な厳しいことを伝えなければならない場面も沢山出てくるだろう。だが、リーダーは「正確に伝える」為に、その精神的負担から逃げてはいけないのだ。常に、率直に誠実に伝えるべき論点を明確に意思表示していくことが求められてくる。曖昧に誤魔化したり、対立回避の為に二枚舌は決して使うべきではない。役割から逃げない明確な自覚を持ち続ける精神的なタフネスがリーダーには求められる。
もうひとつ求められることがある。それは「ブレない」ことであり、と同時に「柔軟に変われる」ことだ。要は「バランスの問題」という話しだが、このバランスという言葉ほど漠然としたものはない。変化の時代にあって、果たして自らの判断が正しいかどうかの確信は持ちにくい。同時に、環境変化は、これまでの考え方を一気に無力なものにもしかねない。一体どうバランスをとれば良いのだろうか。
そもそも、外部環境の変化に対して、リーダーはいつも意思決定を迫られている。そして彼等には2つの選択肢がある。一つ目が「何かを変える」であり、もうひとつが「何も変えない」だ。
「何かを変える」リーダーの意思決定と行動について、自信をもって変幻自在に柔軟な環境適応をしているリーダーのもとに混乱は生じない。しかし、環境変化にリーダーが翻弄され、何かを変えようとはしているが、右往左往している状況では、組織はまとまらない。
「何も変えない」場合も同様だ。軸がぶれずに泰然自若とした安心感を感じさせるリーダーの下には、組織としての自信が漲っている。ところが、変化に対して、意固地になって頑なな印象を与えるリーダーでは、組織に不安が蔓延るであろう。
両者の違いは何に起因しているのか。
私は、「正確な事実認識」「確かな根拠と熟考の結果としての信念」、そして「変える/変えないの一貫した判断軸」、最後は「それらの説明責任を果しているかどうか」だと思っている。
決め手は、現実直視と深い思考から得られる”気骨”なのだ。
「伝えること」を考えてきたが、スピード、多様性、複雑性が高まる時代環境の中、個々人の可能性を最大限に引き出し、経営の質を高めるポイントは、やはり「組織で共有すべき考え方を、如何に深く、広く、正確に伝えるか」に尽きる。そして、これを実践する上でリーダーが持つべき気構えや行動原則を最後に5つに絞ってまとめておきたい。
- リーダーの所信を明確に言語化する
- 一貫性のある判断軸を自己内に立て、適時修正し、現実直視を忘れない
- 伝えることはリーダーの大きな役割という強い自覚を持ち、率直さと誠実さを旨とする
- 情報の受け手に意識の重心を置き、相手の立場、知性や自尊心に敬意を払い、伝える手間隙を惜しまず、小事を決して軽んじない
- 人間心理への理解に基づいた集団コミュニケーションのメカニズムへの認識を持つ
以上が、本稿で挙げてきたポイントである。同時に、私が講師としての活動を通じて、多くの受講生の皆さんから教えて頂いた「伝え手が持つべき意識」も、このリーダーシップ議論と通底することが多いので書き添えておきたい。
それは「熱心に、丁寧に、明るく」という基本行動の徹底と、どんなに場数を重ねても「伝えるという営みが、決して簡単ではない」ということを決して忘れないことである。「伝える」ことを、間違っても甘く見ず、舐めてかからず、横着せずに常に愚直に向き合う姿勢が最も大事なのだと思う。
自らに問う力
”リーダーに必要な力”とか”リーダーかくありたし”の理想像を文章で表すと「キレイごと」や「立派な話し」のオンパレードのように見えがちだ。だから、場合によっては「本当にここまでできるリーダーがどれ位いるのだろうか?」とか、「言いたいことはわかるが、それができれば誰も苦労しない」などと、「あるべき姿」を最初から「実現困難な理想」と捉えてしまう気持ちが出てくることがあるだろう。今回のテーマ:「自らに問う力」も、その例外ではない。
因みに、読者の皆さんは、この「自らに問う力」というテーマからどんな言葉を連想するだろうか。自問、自省、自戒、自責、自覚、自学、自律、自立などの言葉を連想した方も多いのではないかと思う。
確かに、これだけ自分自身に矢印が向いた言葉が並ぶと、些か逃げ場のない雰囲気になり、半身(ハンミ)の構えになってしまう読者がいるかも知れない。イチロー選手の様な求道者を連想し、一般とは縁遠い話しに感じる方がいてもおかしくはない。(いずれも取越し苦労かも知れないが。)
しかし私は、このテーマに対して仮に自ら距離をおき壁を作ってしまうとすれば、それはとても勿体無い受止め方だと思う。これから考えていきたいことは、文字通り「自らに矢印を向ける」「自分の胸に手をあてて考える」ということに他ならない。しかし、決して「キレイごと」だけを言うつもりはないし、”自らに問う力”が一部の人にとっての特別なテーマだとも思っていない。実は非常に泥臭く、あらゆるリーダー達が持つべき気構えであり、備えるべき力だと私は思っている。
以下に私がそう考えるに至った体験の幾つかを書かせてもらった。私が「自らに問う力」の大切さを感じる至った背景を、本題に入る前に読者の皆さんとシェアさせて頂きたいと思う。
長銀の破綻とグロービスへの転職
私がグロービスに入社したのは’99年10月1日である。その前日まで私は、’98年10月23日に破綻し国有化された日本長期信用銀行に勤務していた。長銀では、入行以来さまざまな部署と業務を経験させてもらった。数多くの先輩や上司など魅力的な人達に色々なことを教えてもらった。
ビジネスの見方やものの考え方、ビジネス・パーソンとしての生き方など骨太な指導と数多くの肉厚な人生訓をもらった。このコミュニティには未だに愛着があるし、これからも大切にしていきたい人間関係がある。
思えば、長銀という組織では、異なる業務経験に就く(成長の)機会が定期的に用意され(自分で積極的にそれを求めなくても)、手本になる多くの先輩が周囲にいて、そして良き上司が語ってくれるという環境が揃っていたのだ。
しかし、長銀は潰れた。理由はどうあれ、破綻した。泣こうがわめこうが、破綻の事実は変わらなかった。体制を批判したり、不良債権の経緯を憂いても、虚しい恨み節だ。他責にしても何の足しにもならないことを痛切に思い知った。誰かのせいにしても、破綻の事実は変わらないのだ。これから自分が自分の力で道を拓いて行かなければならないという事実も変わらない。自立とはどういうことかを痛感した。これからは死ぬまで勉強し自らを鍛え続けなければならないと直感的に感じた。同時に、破綻に至るまで体制批判に甘んじ、体を張ってでも体制を変えようとしなかった自分自身を悔いた。自責の念を持った。悔いても何も始まらず、「自己責任の原則」という言葉が持つ、本当の厳しい意味を身をもって知った様な気がする。
部門責任者として持った自覚=2種類の自問の必要性
「鶏口牛後」という言葉があるが、小さな会社ながらも組織を率いる立場になると確かに日々勉強の連続である。人・カネなどの経営リソースに恵まれた大組織では余り考える必要が無いようなことも、経営の立場でどう考えるかに頭を使い真剣に悩むというのは、貴重な自己成長の機会となる。
そんな日々を通じて、私なりに持ったリーダーとしての自覚と自問について紹介したい。
ひとつ目は「組織の成長は、その組織の長の器の大きさで決まる」という自覚である。
リーダーとして、これを考えない訳にはいかない。ある程度出来上がった大組織なら余りそうした感覚は持たなかったかも知れないが。。。常に自らをチャレンジの機会に押し出し、守りに入ることなく攻め続けることを強く意識するようになった。
また事業責任を負う立場になればなるほど、果すべきは「事業成長」という包括的な役割になってくる。だが、自らの人事異動など明確な役割変更などのトリガーが無いときでも、自らの役割レベルを適時塗り替えて、より高みを目指して行くのがリーダーの役目と感じている。要するに、事業を任せられているということは、社長から細かい指示などないのであって、高い基準を自分で決め、自らが事業家の自覚で仕事をすることが大切なのだ。
私は、リーダーは自分の次元を高め、自己成長させつつ、ミッションレベルを高めていけるかが問われると思う。だが、それは誰も教えてくれない。「今、何をすべきか?新たなミッションは何か?」この答えは、自らに問い続けるしかないのである。自らを一段高める自問、これがひとつ目である。
そして、もうひとつが、リーダー自身が求められている役割を全うしているかどうかを自己チェックする為の自問である。
リーダーは、メンバーが上に対して何でも率直に言える組織風土を醸成すべきとか、リーダーの非をいさめることが出来る諫言(かんげん)の士を持て、という指摘を良く聞く。
その通りだと思う。ただ、リーダーの至らない点をタイミングを逃さずにフィードバックできる人には、そう簡単にお目にかかれないだろう。職責が高くなればなるほど、耳に痛い厳しいことを指摘してくれる人は少なくなるものなのだ。だからこそ、陥りやすいリーダーの失敗を回避できる策を、少なくとも自分自身で考えておく必要がある。その為の自問を持つべきだと思うのである。
以上が私自身の体験を通じた問題意識である。次回以降は、こうした認識をもとに、・リーダーの自己成長を促し、ミッション・レベルを一段高める自問・リーダーがあるべき基準を充たしているかを自己チェックする自問、役割遂行上、陥りがちな難所をクリアする為の自問について具体的に考えて行こうと思う。
五省
リーダー自身が、あるべき基準を満たしているかどうか自己チェックする上で大事な視点は、周囲の人がなかなか指摘しにくいポイントを、敢えて突く、ということだ。平たく言うと自分に厳しく。「やってるつもり」というレベルで安易に良しとせず、常に「本気でそう言えるか、本当にそうか」という立場から自問することが鍵だと思う。自らを虚心坦懐に省み、自らを厳しく律する、ということが出来なければ真のリーダーとは言えまい。上に立つ者が、忘れてはいけない気構えだと思う。いわば、自律自省、克己、修身。。。。さながら、士官学校の訓練を彷彿させる。
士官学校と言えば、読者の皆さんは「五省」というのをご存知だろうか。旧日本海軍の将校を養成した広島県江田島の海軍兵学校で、生徒が毎朝唱えた自らへの5つの問い掛けである。
一、 至誠に悖る(もとる)なかりしか
ニ、 言行に恥ずるなかりしか
三、 気力に缺くる(かくる)なかりしか
四、 努力に憾み(うらみ)なかりしか
五、 不精に亘る(わたる)なかりしか
(因みに、この「五省」、太平洋戦争後に日本を占領したアメリカ海軍の幹部が、その精神に感銘を受け、FIVE Reflection」として英訳しアナポリス海軍兵学校に持ち帰った由。)
個人的な話になるが、私の毎朝は自宅の神棚に手を合わせることから始まる。そしてそこで「五省」を自らに言い聞かせ黙想をするのが実は日課になっている。 80才になる私の父が往時海軍兵学校の学生(正確には、兵学校では「生徒」と呼ぶらしい)であったことが契機であるのは間違いないが、気がついた時には習慣になっていた。
江田島の兵学校と言えば、生徒同士の連帯を基盤とした精神教育が徹底していたそうだ。
きまりに違反した後輩がいれば、「修正してやるから足を開け、歯を喰いしばれ!」と先輩が声高に命令し、力一杯の鉄拳が振るわれるのだ。まさに鉄拳制度である。こうしたところから、兵学校というといかにも「軍人教育」「戦中の方法論」という印象が強く、「時代が違う」と考えがちだ。ただ、一方で「五省」には時代に朽ちない普遍性がある。
実は今日のリーダーの自問も、「五省」の考え方、スタンスが重要なのかも知れない。
そこで今日のリーダーの自問についてもう少し具体的に考えてみよう。
「良いリーダー」と「並みのリーダー」の差を生む自問
今回のシリーズで考えてきていることは、多様化、複雑化、分業化が進んだスピード社会の中で「社員ひとりひとりの可能性を引き出す組織」を創る上で、何が大切かということだ。
その観点からこれまで考えてきた「今リーダーがとるべき行動」とは以下である。
(1) 社員個々人の当事者意識を高め、能力と可能性を最大限引き出す行動
(2) 社員の視野狭窄を防ぎ、それぞれの目を外に向けさせる行動
(3) 社員に「深く、広く、正確に」考え方を伝え浸透させる行動
それぞれの行動を実践していく上での難所は何か。実際にやっているかどうかの表に見える具体行動をチェックすることも大事だが、行動が本当に効果をもたらすのは、リーダーの意識、姿勢など内面的な部分に依る所が大きい。にも拘わらず、内面的、意識的な部分は、外からは見えないので、周囲からの改善フィードバックも得にくい。実はこの意識の差こそが、「良いリーダー」と「並みのリーダー」の差を決めるのではないかと思う。だからこそ、自らその意識の有無をチェックする自問を携えておきたい。以下、各行動の実践にあたって自覚すべき意識を具体的に見ていこう。
(1)社員個々人の当事者意識を高め、能力と可能性を最大限引き出すために
社員の当事者意識を高めるうえで重要な行動のひとつが「彼等の可能性を信じて任せる」ことである。ただし、私自身そうだし、研修受講者との対話でもよく聞くのが、「任せる」勇気がなかなかもてない、という点である。スピードが求められる時代だから、自分でやってしまった方が早いし確実だ、となりがちなのである。
これは、教える手間、説明する手間をコストと捉えてしまっている意識に問題が潜んでいる。
時間というリソースを投入し、人材を育成するという視点に立ち、その結果として組織力を高め、自らはより違った視点からビジネスに向き合っていくのだ、という育成の重要性、組織の持続成長を大きな目的として認識することが大事だ。
そして、もうひとつ。「任せる怖さ」の根っこにあるのが、「自己の存在意義希薄化への恐怖」という深層心理だと思う。多くの説明は要しないだろうが、仕事を任せると、あたかも自分の仕事がなくなってしまい、自らの存在感、存在意義も薄くなってしまうのではないか、という恐れだ。これは、特にミドル・マネジメント以下の層に多くみられる意識だ。どちらかと言えば、ミッション、テーマや仕事の課題は与えられ、それをしっかり打ち返し、そして成果をあげ認められてきた経験によって、「与えられた仕事を、自分が責任を持って処理する」という強い職業観が形成される。従って、職位が上になればなるほど「仕事や課題は与えられるものではなく、自ら見つけ設定するものだ」という意識に簡単には切り替わらないのである。
あらためてここで意識したいことを2つの自問としてあげておこう。
「自分は部下の成長を心から望み、それに相応しい成長機会を創る意思があるのか」
「自分の付加価値は何か。この仕事は、果たして自分でなければ本当にできないのか」
(2)社員の視野狭窄を回避し、それぞれの目を外に向けさせる関与
社員の意識が、外に向かわず内向き思考になって良いことは何ひとつない。内輪の都合で物事が決まっていく。外部の競争環境や顧客満足への意識が低いからサービスや製品のクォリティも向上しない。そして環境の変化を見過ごし、やがては時代に取り残され立ち行かなくなる。
社員の視野狭窄を回避する上で重要なことは、社員の意識を知らず知らずに内向きにしてしまう要因を取り除くことと、より積極的な働きかけによって外向きの意識を高めることである。
前者(阻害要因の除去)については、無駄な社内調整業務をさせないことであり、その特効薬が、リーダー自らが外向きの仕事に意識を集中させることである。 同時に、より積極的な働きかけとして、リーダーが常に「仕事の意義と目的を志として語り、社員の視座をひき上げる」ことが大切だ。
では、この考え方を実践する上で、リーダーが意識すべき、或いは、乗り越えるべきポイントは何だろうか?
私は、リーダー自らが、自身の成長にコミットし、失敗や変化を恐れずドンドン外に打って出ることが大切だと思う。そして、このことが一番の難所ではないだろうか。
私自身そうだが、人は「変わらないことの居心地の良さ、楽な毎日」をややもすると選んでしまいがちだ。従って、出来るだけ自らをプッシュしていく気構えが、真のリーダーには求められる。リーダー自身が、外部に意識を向けて、チャレンジし続けていけば、組織は自ずとそのエネルギーに導かれるものだ。リーダーは決して安易な世界に逃げ込んではいけないのだ。
もうひとつの難所は、日常業務の中で、どれだけ仕事の意義や目的を語れるか、という点である。そもそも論をいちいち話している暇などない、という時間制約もあるだろうが、本質的なポイントは、リーダー自身が、仕事の意義・目的、リーダーの想い・志を語ることを、どれだけ重要視できているか、にある。「志」や「想い」を言葉にして表現することに対して、照れなどの心理抵抗を持つリーダーもいるだろう。”青臭い話”を、相手は聞いてくれるだろうか、といった不安の類が頭をかすめることがあるかも知れない。或いは、志などは言わなくても皆大体わかっている、と高を括っているリーダーもいそうだ。
照れくさくても、当たり前だと思っても、それを言葉にしてしっかり語りかけることこそがリーダーの責務だと思う。決して、横着してはいけない。
以上、社員の視野狭窄を回避し、それぞれの目を外に向けさせる上で意識していきたい自問をあげておこう。
「部下に求めるチャレンジを、自らは実践しているのか、範を垂れているか」
「自らを安易な所に置いていないか、楽をしようとしていないか」
「伝えるべきを、しっかりと言葉にすることを怠っていないか、億劫がっていないか」
(3)社員に「深く、広く、正確に」考え方を伝え浸透させる行動と関与
伝えることの重要性は、第6回のコラム以降、3回に分けて書いてきた。考える枠組としては、キヤノンの御手洗会長の以下の考え方を拝借した。
「経営のスピードとクォリティは、経営者の意思が如何に深く、広く、正確に伝わるかで決まる」
深く伝えること、広く伝えること、正確に伝えることの各要素に分解して色々と考えてきたが、実践にあたっての要諦を私なりに整理すると、5つに集約できると考えている。
- リーダーの所信を明確に言語化する
- 一貫性のある判断軸を自己内に立て、適時修正し、現実直視を忘れない
- 伝えることはリーダーの大きな役割という強い自覚を持ち、率直さと誠実さを旨とする
- 情報の受け手に意識の重心を置き、相手の立場、知性や自尊心に敬意を払い、伝える手間隙を惜しまず、小事を決して軽んじない
- 人間心理への理解に基づいた集団コミュニケーションのメカニズムへの認識を持つ
では、ここに掲げた5つのポイントをしっかり実践する上での肝は何だろうか?
私は、「コミュニケーションを通じて、”本当に相手に伝える””相手の納得を得る”のはとても難しいことである」という認識をしっかりと持ち続けることだと思っている。このことを意識し続けることこそが、グッド・コミュニケーションの大前提なのだ。
私の経験上、この認識を明確に自覚している時は、伝えるべきメッセージをクリアに絞り込む、相手の関心を想定する、どんな問い掛けをするかのプロセスを練りこむ、など事前に入念な準備を行っている。結果、意図の伝達は比較的スムーズになされ、受け手の理解・共感を得ることにつながる確率をあげることが出来たと思う。
反面で、「伝える難しさ」の認識を強く自覚できていない時は、コミュニケーションは上手く行かないものだ。中途半端な気持ちでは、なかなか理解してもらえないし、ましてや共感は得られない。それがコミュニケーションというものだ。伝えるというのは実は簡単ではないので、本気で伝えたいと心底思い、伝えることにどれだけ熱心かが問われるのである。
また、良いコミュニケーションとは双方向である。双方向のコミュニケーションが成立する前提は、相手の本音や意見を知りたい、聞きたいという気持ちを本当に持っているかどうかである。敢えてこの点をあげるのは、リーダーのコミュニケーションは、双方向の大切さを頭で理解しつつも、往々にしてリーダーの主張が中心で結論ありきの議論になりがちだ。相手の意見や言い分は聞いているようで、実は聞いていない、という過ちを犯していることがままあるのではないだろうか。隠れた難所と言えそうだ。
ここで意識しておきたい自問は2つである。
「伝えることの本当の難しさを心得ているか。伝えることに本気で熱心に取組んでいるか」
「部下の本音を、心底聞きたいと思っているか」
現代版「五省」??
リーダー自身が、あるべき基準を満たしているかどうかの自己チェックは、最終的には、個々人の特性に応じて、それこそ自分用の問いをオーダーメイドで作るべきものと思うが、今回と前回で考えてきた自問の例示は如何であったろうか?
これまで考えてきた自問、自省の中味を見てみると、前回紹介した「五省」の視点と通底するものを感じる。以下に私なりの自問を、現代版「五省」として整理してみたい。
(1)「至誠に悖る(もとる)なかりしか」
→「真心を持って誠実に人(部下)や事にあたっているか」
-自分は部下の成長を心から望み、それに相応しい成長機会を創る意思があるのか
-部下の本音を、心底聞きたいと思っているのか
(2)「言行に恥ずるなかりしか」
→「リーダーとして相応しい言動をとり、言行を一致させているか」
-部下に求めるチャレンジを、自らは実践しているか、範を垂れているか
(3)「気力に缺くる(かくる)なかりしか」
→「強い精神力をもって、立ち向かうべきものに向き合っているか、逃げていないか」
-自らを安易な所に置いていないか、楽をしようとしていないか
-自分の付加価値は何か。この仕事は果たして自分でなければ本当に出来ないのか
(4)「努力に憾み(うらみ)なかりしか」
→「課題を乗り越えるべく骨を折り、本気で汗をかいているか」
-伝えることの本当の難しさを心得ているか。伝えることに本気で熱心に取組んでいるか
(5)「不精に亘る(わたる)なかりしか」
→「怠けず、小事を疎かにしていないか」
-伝えるべきを、しっかりと言葉にすることをさぼっていないか、億劫がっていないか
「組織の成長は、リーダーの器の大きさで決まる」
よく耳にする言葉である。リーダーが持つべき自覚を端的に表していて、今回のテーマにぴったりの言葉だ。私は、この言葉が持つ意味合いを「自分が率いる組織を成長させたいのであれば、リーダーこそが最も学んでいるべきだ。そして、リーダーは自らを成長させ続け、組織に刺激を与え続けなければならない」というニュアンスで受け止めている。第9回のコラムでも少し触れたことであるが、今一度この辺りの”そもそも”から考えて行こうと思う。
元来怠け者の私が、自己成長の必要性を痛感したのは、前勤務先(長銀)の破綻という経験が大きく影響した。長銀が倒れてはじめて、「自らの力で、自らの足で立つ」ということの本当の意味、本当の厳しさがわかった気がする。生涯、貪欲に学び続け、自らを高めていかなければいけない時代なのだ、という危機感、切迫感にも似た感覚を強烈に持った。
いつの間にか無意識のうちに、組織にもたれかかっていた自分の甘さや油断に気づいた。もっと早く気づくべきことかも知れないが、会社が倒産してやっとわかったのだ。会社が潰れるまでわからない、というのも情けない話だが、これは偽らざるところである。
そして、グロービスで様々な経験をし、事業部門の責任者としてビジネス全般に対する職責を担うようになり、今度は自己成長を組織の成長と重ね合わせて意識する気持ちが強くなった。「自己成長」に対する認識が、これまでとは異なって来たのだ。それまでは、自己を高め成長させていくのは、誰の為でもなく自分自身の為という、あくまで個人の中で閉じた認識であった。
組織の看板がなくても「個」として喰っていけるのか、という問いに応える感覚である。勿論、今も「自己成長は自分自身の為」であるという意識は間違いなく残っているが、同時にそれは組織の成長の為に必要不可欠なことあり、自らを成長させることはリーダーとしての責務、使命だ、という認識が高まってきたのである。
自らが率いる組織(部であれ、課であれ、チームであれ、規模の大小を問わない)を成長させたいと思えば、リーダーたる自分自身が誰よりも成長しなければならないというのは、よくよく考えてみれば自明である。「自己の成長によって、組織の成長を促すのだ」という気構えは、リーダーにとって極めて重要な自覚だろう。ただ反面で、上記の様な体験や環境がもしもなかったら、私自身果たしてこの自覚を持つに至ったかは甚だ怪しい。未だに気がついていなかったかも知れない。
企業研修で、多くの優秀なビジネス・パーソン(ミドル・マネジャーからシニア・マネジャーを含め)と議論していると、「自己成長」の必要性に皆さん共感しつつも、「リーダーの使命としての自己成長」「自己成長に対する責任」を自分自身の問題として、深く自覚してきたかというと、必ずしもそうとは言えない。これは、多くの受講者の皆さんと接している私の肌感覚である。
「組織の成長を牽引する為に、自らが成長しなければならない」という意識を持ちにくいのは何故か?
「あなたは、ビジネス・パーソンとしてどの様に成長してきましたか?」という問いに、読者の皆さんはどの様に答えるだろうか。
・「自分は、組織の中で様々な体験をさせてもらい、周囲の刺激を受けることで成長できた」
・「組織全体の成長に伴って挑戦の機会が増え、そうしたチャンス・場を通じて自分は鍛えられた」
組織で働く人の実感に近い回答はこんなところではなかろうか。そして、成長の結果、職位があがり、責任範囲が大きくなる。ポジションに就けば就いたで成長はするのだが、この時出てくるのは「自らをもう一段高めていく」という意識以上に、「今まで育ててもらった分をしっかり恩返しする」という意識の方が勝っているケースが多いのではないだろうか。
つまり、我々は、「自分自身の成長」を「組織の成長に伴って得られたアウトプット」として理解しがちであり、「組織の成長を促す為のインプット」という側面で捉えることが少ないのではないかと思うのだ。
組織とは個の集合体なのだから、組織の成長と個の成長は、本来密接不可分でそれぞれの長は両者の相互作用の結果だ。構成員(個)の成長なくして組織の成長はないし、組織が成長するからこそ構成員も成長できる。まさに”鶏と卵”の関係と言える。ただ、ひと度自分個人の成長の話になるとどうだろう。
誰しも若い頃を思い起こせば、「組織に鍛えられ、育てられた」という紛れも無い事実があり、そうした事実の積み重ねは、人間の意識に深く刷り込まれる。だから、ある日突然、「リーダーに昇格したから、今日からは”自分自身を成長させること”が責務だ!リーダーが成長することで、組織の成長を促すのが使命だ!」と掻き立てられ、これまでとは逆の視点を持てといわれても、現実の意識ギャップ(断層)は大きい。
最近こんな話をよく聞く。「課題解決」は得意だが、「課題設定」が苦手だと。「与えられた課題を解決ることに手馴れた社員は多いのだが、自らが新たな課題を見出し、挑戦目標を設定できる人が少ない」という話だ。「自己成長」と似たような構図である。
つまり、「自己成長」も組織から与えられた機会を活かすことで実現するものであり、自らに課題を設定し、自分をPUSHしていくことで組織の成長を牽引する、と言うようにはなかなか意識できないのである。こうした意識の本質はどこにあるのだろうか。口で言うほど簡単でないのは百も承知だが、あえて厳しい言い方をすると、その人が見えている風景、持っている視点や問題意識、リーダーとしての役割自覚と主体性の問題に帰着するように思う。
「役割自覚と主体性の問題」と言ったものの、何か腑に落ちない印象を持った読者もいるだろう。組織を束ねる立場にある者として、高い責任を持って職務にあたり、自分の経験や持ち味を活かして組織に貢献し、恩返ししたいと思い必死で頑張っている企業人からすると、「これほど真面目にやっていて、人から”自覚が足りない、主体性が低い”などと言われる筋合いはない!それに逃げずに仕事に向き合うことで、様々なことを数多く学んでいる。周囲から謙虚に学ぶことの何が悪いのだ」という声だってあるだろう。事実、私自身ずっとそう考えてきた。
リーダーとして持つべき主体性を高める
ところが、ある本によって、私はこれまでの自分の考え方と異なる視点、自分の発想を広げる視点に出会うことが出来た。まさに「ハッとさせられた」のである。去年、グロービスの読書会で取り上げた「真説『陽明学』入門(林田明大氏著)」がその本である。この中に「人は賢人から学ばなければならないが、最終的には他人から学ぶという態度を克服しなければならない」という”自得(じとく)”の重要性が記されていた。
私は、「自得」という考えには、「自分で考え抜くことの重要性」「機会を自ら創り出すことの重要性」「人に依存せず自分で決断することの重要性」といった要素が込められていると考えている。これこそリーダーが持つべき「主体性」の本当の意味が表現されているように感じたのである。
※因みに、この本で陽明学をどのように表現しているかを参考までに紹介しておきたい。曰く、「心を陶冶する、鍛えることの大切さを主張した考え」であり「主体性を確立する為の人間学」である、と。
自得というと難しい概念に聞こえるが、自分で考え抜き、自ら決断するという「意思決定」は、思えば多くのビジネス・パーソンが日々実践していることでもある。そして、この意思決定は、人の成長を大いに促す原動力と言える。誰しも「自分のことは自分で決めろ」と教えられて育つが、組織の中では「他人のこと(他人にも影響すること)を決める」意思決定が大方なのである。責任は重大だ。「自分の意思決定で多くの人が動く」「この決断がチームの命運を左右する」という緊張感のある意思決定はビジネス・キャリアを積むのに比例して増えていく。
ひとつひとつの決断とその影響を深く考えれば考えるほど、責任を自覚しない訳にはいかない。『責任ある存在になるということは、真剣に仕事に取り組むということであり、仕事に相応しく成長する必要を認識するということである。』これは、ドラッカーの名言である。自分で考え抜き、責任ある意思決定を行うことの積み重ねが、その人の役割自覚と主体性を高め、一段の成長を促すのである。
以上、意思決定に真剣に向き合うことの重要性を考えてきたが、果たしてそれだけで、自らの次元をあげ、自らを成長させ続けることは可能なのか?
成長とは変わること
リーダー自身が継続して成長することを、「願望」に留めるのでなく「使命」と考える必要を前回指摘したが、そもそも「成長すること」とはどうなることなのか、を整理しておこう。この問いに対して、読者の皆さんは、どう答えるだろうか?
知識が身につく。何か新しいことが出来るようになる。これまでとは違う能力を体得する。より良くなる、より大きくなる、より強くなる。。。。様々な言い方があるだろう。どれも確かに「成長」を表現しているが、東大名誉教授の養老孟司氏が、以前あるテレビ番組で、極めて明快に説明していたのを紹介したい。曰く「成長とは変わること」であると。シンプルに本質を言い当てている。ビフォーとアフターで変化があるのが成長。勿論、「良く」変化するのが前提だ。一方、変わると言っても、これまでと180度変わる、とは限らない。ケース・バイ・ケースで変化の度合いには差はある。ただ、変わることが成長の本質という整理はわかりやすい。
成長の難所
となると、「継続的に成長する」というのは、「変わり続ける」という側面を持つことになる。簡単に「変わり続ける」と言ってはみたものの、これを実践するのはなかなか骨が折れそうだ。
責任の自覚を持ち、逃げずに、真剣勝負の意思決定を積み重ねることで、自らに多くの変化をもたらすのは確かだろう。事実認識と論点把握の精度・速度を向上させていく、自身の判断軸を確かなものへと進化させていく、より高い視点での決断が出来るよう自覚と視座を高めていく、こうした変化である。努力次第で、考えることの幅と広がり、そして深みが増す。決断の瞬発力と思考の持久力、などを鍛えることも可能だ。
とは言え現実はどうか。往々にして安易な道に流されてしまうのではないだろうか。前例踏襲の惰性や、無理せず安全を選択する、という流れに引っ張られる危惧がある。これが「成長の難所」である。継続的に変化し続け、自身を高める上での難所を一言で言えば「安住の壁」ということだと私は思う。そして、この「安住の壁」は、以下の3点に分解できると考えている。
1.新たな役割(ミッション)設定の壁
2.自己否定の壁
3.継続の壁
以下、個別にみていくことにする。
1.新たな役割(ミッション)設定の壁
第一の壁は、前回のコラムでも触れた次の話と同根だと思う。「与えられた課題を解決することに手馴れた社員は多いのだが、自らが新たな課題を見出し、挑戦目標を設定できる人が少ない」と。問題は与えられるもの、という固定的な思考に陥っているのかも知れない。
多忙を理由に、何時しか狭い範囲でしか物事を捉えられなくなっているのが原因ということもあるだろう。様々な理由が考えられるが、いずれにしても誰かに言われることなく、自分自身で新たな役割や使命を課していくというのは、案外難しいのだ。
一方で、これを難しいから仕方がない、と看過する訳にもいかない。なぜなら、リーダーは組織の成長を牽引する役割を担っており、それは次なるリーダーを育成することでもあるからだ。つまり、先頭に立つリーダーは、自身のミッション・レベルを上げ、彼の仕事は後進に任せて行かなければいけないのだ。そうでないと、組織は停滞してしまう。事業部門長であれ、部長であれ、課長であれ、チームリーダーであれ、求められる事情は全く同じ。今の職位でぬくぬくと安住することは許されないのだ。
2.自己否定の壁
これも大きな難所である。「変わる」ということは、往々にして何がしか過去のやり方なり考え方の否定を伴う可能性が高い。自分自身の成功体験や、ある種の自信にどこまで拘泥せずいられるか。柔軟に状況に応じて、過去を捨てられるかが、一皮剥ける上での難所であろう。
一般に、ポジションが上位になればなるほど、過去の自信や信念は強まり、自己否定は難しくなる。しかし、徒に過去に拘り続けるのは、厳しく言えば過去の財産に寄りかかった安住でしかないのだ。
ところで、本当に自信のある人というのは、実は非常に謙虚なことが多い。この感覚は読者の皆さんの実感にも当てはまるのではないだろうか。思うに、”謙虚さ”を伴わない”自信”は単なる”傲慢”と言い、逆に、”自信”というものが些かも感じられない”謙虚さ”というのは、実は”卑屈”な印象を与えてしまうのである。自信と謙虚、この密接不可分、表裏をなす関係を内面化できれば、自己否定の壁も越えられるのかも知れない。
3.継続の壁
最後に、継続することの難しさだが、これは多くの説明は必要ないところであろう。何事もそうだが、継続こそもっとも難しいものだ。人間ついつい楽な道、安住を選んでしまう。人生休息も必要だが、一度でも気を許して「まぁいいか」となると、途端にプチっと糸が切れて回復軌道に戻すのが一苦労である。そんな経験を持っている読者も多いだろう。大リーガーの松井選手は、こんな風に語っている。
これで大丈夫と思った瞬間にダメになる。現状維持ということはあり得ない。進んでいるか、後退しているか、2つに1つしかない。これで大丈夫、というのは進むことではないので、そう考えた瞬間から、後退が始まることになる。
弛まずに進み続けることの重要性を端的に語っている言葉だ。では、こうした壁をどの様にして越えるのか、どうしたら陥穽は回避できるのか。
自らをPUSHする自問
果たすべき意思決定に対して逃げずに向き合うことで自己成長を牽引するだけではなく、より能動的に自らを刺激する自問も考えておきたい。どの様な自問によって、自己成長を促せば良いのだろうか?
私は自己成長の肝は、正確な自己認識を確立することと、強烈な成長願望と克己心を持つことにあると捉えている。簡単に言えば「自分はまだまだ修練が足りない」ことを謙虚に自覚し、一方で「こんなもんじゃない」と不屈の向上心に火をつける、ということだ。
上記視点を踏まえた私なりの自問を紹介させて頂こう。
- この一年間の自分自身の変化、進化を具体的に言えるか?胸を張れる成長はあったか?
- 自らが組織に提供している価値が何であるかを明確に言い切れるか?リーダーとして期待はずれだと周囲に思われていないだろうか?
- 現在の使命は何か?使命を果たしたと言える成功の基準を言語化できるか?そして自分はその基準を満たしているか?
これらの自問は、いずれも「これまで」ないし「現在」に焦点をあてて、事実認識をクリアにしようとする問いだ。詰問の様に感じる方もいるだろう。ただ、ここで大事なことは、厳しく自らを問い詰め、或いは責めることではなく、曖昧さや甘さを極力排除して、今の自分自身をどれだけ正しく認識できるかにある。
問いに対してしっかりと言語化する営みを通じて、自己認識はかなり明確になるだろう。これが成長の為の第一ステップだ。私にとっては、現状に安住するな、という自戒でもある。
勿論、自省の結果落ち込む時もあるだろう。不甲斐ない自分に正面から対峙しなければならない場面もある。でも、その厳しい現実から目をそむけていても何も事態は変わらない。
読者の皆さんは、この辛く厳しい局面にうまく対処できるだろうか?現実問題として、自省、内省というのは、人によって得手不得手があるものだ。どちらかと言えば、自らを責め過ぎて落ち込んでしまう傾向が強い人もいる。ただ、落ち込むことが本来の目的ではないので、そうした自分の思考パターンや癖にも留意し、自分にあった(例えば、詰問調でない)自問を考えておくのは大事なことだ。
因みに私の場合、気持ちが落ち込むことは余り無いのだが、厳しい現実に不安を感じた場合のひとつの”脱出方法”を参考までにご紹介したい。それは、自分自身の感情を上手くコントロールする、自分なりのセルフ・マネジメントの術を持つことである。
簡単に言えば、自分自身の頭の中が「不安が高まる思考」によって支配されてきた場合は、その思考パターンに積極的に立ち向かうということである。具体的には、「明確な答えの無い悩みについて、何度も何度も心配することが何の役に立つのだろうか?建設的な考え方はないのだろうか?」という自問を投げかけるようにする。これは「EQこころの知能指数(ダニエル・ゴールマン)」という書籍の中にあった考え方だが、実に平易で単純ながらも、私にとっては有益な自問となっている。(勿論、これが万人に有効とは考えていない・・・)
さて、より正しい自己認識を確立することが出来れば、次は如何にして強烈な成長願望や克己心に火をつけるかがポイントになる。これが、自らをPUSHして次元を高めるエンジンだからである。簡単に言えば「自分は本来こんなものじゃない」という意識を刺激する自問と言える。ただ、褒められて発奮する人もいれば、悔しい思いがバネになる人もいる。刺激になる自問というのは、人によって違うが、私なりの自問を紹介したい。
- そもそも自分はどうなりたいのか?どんな価値を発揮する人間でいたいのか?
- 初志を忘れていないか?生涯を通じて成し遂げたい大志は何かを語れるか? 今、言えないとしたら、いつまでその状態に放置しておくのか?それで、自分は本当に納得しているのか?
これらはどちらかといえば「そもそも」や「これから」のあるべき姿に焦点をあてたもの。狙いは、自分自身の主体的かつ積極的な思考によって、新たな使命や目標を高い次元で設定し直すことにある。
因みに、自己認識を促すのも成長願望や克己心を刺激するのも、ひとつのコツがある。それは、自己を相対化することだ。ポイントは、外に基準を置くこと。世の中の凄い人物に触れ、一流に範を求めることが重要だ。小さな自己満足に浸っていてはいつまでたっても次元を高めることなど出来ない。上には上がいることを忘れてはいけない。
同時にこの相対化の営みは、自らの現状を嘆く為のものでなく、次なる目標を力強く掲げる原動力とすべきだ。勿論、他者と比較して一喜一憂するのは目的ではない。或いは、既に述べたように、自分自身をしっかり持つ自得の精神も重要だ。ただ、狭いところに小さく閉じてしまうことだけは、避けるようにしなければならない。
成長を楽しむ
こうしてみてくると、自らの使命のレベルを高め続け、自己成長のチャレンジに持続的に取り組むのは、決して簡単ではない。自問自答というだけでは、恐らく息が詰まってしまうだろう。それだけでは、長続きしないのではないだろうか。
従って、何より大切なことはリーダー自身が自己の成長と様々な挑戦そのものを楽しむことである。毎日が刺激に満ちて、達成感が感じられ、仲間達とも良い関係で結ばれている、そうした環境が何よりだ。成長を使命と自覚しつつも、自己成長と新たなチャレンジ(新たな使命の設定)を楽しむ、メンタリティを是非持っていたいと思う。
皆さんは、このポジティブ思考は出来そうだろうか?単純にポジティブ思考といっても、それがなかなか難しいという声をよく聞く。これも先ほどと同様にセルフ・マネジメントの問題だと思う。思考技術として物事のプラスとマイナスの両面を見る習慣を持つなども有効な手といえるだろう。ただ、実は私はもっと単純に捉えている。
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
これは、ニューヨーク・ヤンキース/松井秀喜選手の恩師である、山下智茂氏の有名な言葉だ。心の持ち方(考え方)次第で、人格も運命も変わりうるのだ。確かに、人が幸せに思うか否かは、多くの場合その人の主観に委ねられている。
▼全ては自分の心持ち次第。自分の幸せを感じられているか?
こう自問すると、私はとても大らかな気持ちになれる。なぜなら、他人を変えることよりは、自らを変える方が難易度は低く、かつコストはかからない。自分の問題であれば自分で何とかコントロールできる筈だからだ。
セルフ・マネジメントとは、まさに明るく自律自省できることだと思う。そうした気構えや能力を持ったリーダーこそが、真に成長を謳歌でき、組織やメンバーひとり一人にポジティブな影響を与えられるのだと思う。そして、そういうリーダー達が、組織のあらゆる階層で数多く光輝いている、そんな組織が私が作りたい理想の組織である。
※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。
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