パワーの使い方

2011.09.27

「ABCプラン」の浸透に向け、ここまで着々と地場を固めた室井。前回は新城課長というキーパーソンを巻き込み、西日本支店全体へとプラン浸透の足がかりを得た。この段階までで室井が得たものはなんであろうか?
営業5課での高い実績、まわりの課の巻き込み。その実績が室井の評判を高めていく。営業課長として、室井の実績は極めて高い。これは個人のパワーにつながる。さらに支店長からの信頼、新城課長など他の課長からの信頼。さらには本社の吉田本部長からの信頼。関係性のパワーも盤石である。そしてもともと営業5課長として持っていた室井の権限、例えば部下の査定や異動に関する権限もある(※パワーの分類については、第2回連載の中の「人を動かす3つのパワー」をご参照ください)。
室井がパワーを獲得してきた一方で、室井の進めた変革についていけない層もいる。パワーを持った室井は、変化に対応できない層に対しどのように向き合うべきか?

執筆者プロフィール
新村 正樹 | Nimura Masaki
新村 正樹

上智大学法学部国際関係法学科卒業、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院EDP(Executive Development Program)修了。
株式会社ジャパンエナジーにて法務、販売に従事した後、グロービスへ入社。スクール部門、ファカルティ・コンテンツ部門を経て、現在は企業研修部門にて、講師、教材、スキルサーベイのチームを統括。講師育成やコンテンツ開発のほか、グロービス・マネジメント・スクール及び企業研修において講師も務める。
主な担当科目はリーダーシップ、クリティカル・シンキング、プレゼンテーション、ファシリテーションの他、フレームワークを使った自社分析等。


「ABCプラン」浸透に向けて

新城課長を巻き込んだことで、室井の改革は西日本支店内に一気に広がった。営業5課、4課、そして他の課にも広がる。下期のスタートは順調で、既に上期の遅れを取り戻している。この調子でいけば、西日本支店の営業成績は予算を大幅に上回ることが可能だ。支店長、課長陣、そして支店全体が自信を持って「ABCプラン」に取り組んでいる。

西日本支店での「ABCプラン」の定着は、室井の評判を全国に轟かせた。そして、他の支店でも積極的な導入に向けての動きが活発になった。取り組みの一番遅れていた西日本支店が一気に変わったことが、他の支店の導入を後押しする形になった。西日本支店は「キングピン」であった。

室井は支店赴任当初を振り返る。全く賛同者がいない状況でのスタート。だがこの半年で状況は一変した。苦労、悩みはあったものの、今思えば、恐ろしいほど順調だった。順調だったということは、この変化が完全に根づいているということではない。ちょっとした拍子で一気に元に戻ってしまう可能性もある。西日本支店の中で、「ABCプラン」の「定着」をいかに図るかが次の課題だ、と室井は感じていた。

身内の抵抗

西日本支店に「ABCプラン」が広がったものの、室井には心配事があった。それは、営業5課のベテラン、和久がいまだに従来の営業スタイルに固執していることだった。他の課でも、ベテランを中心に新たなスタイルに馴染まない営業担当者がいた。恐らく1、2割はいるだろう。その人たちへの浸透をいかに図るか、室井にとっての新たな課題であった。

ある日室井は、営業5課のベテラン営業、和久との営業同行に行った。室井よりも10歳以上年上である和久の営業スタイルはやはり昔ながらのものであった。ソリューションを顧客に提供できている感じはなかったが、一方で顧客との人間関係がしっかり構築されていた。顧客に無理に商品を引き取ってもらっているようにも室井には見うけられた。その営業同行の帰り、室井は和久に「ABCプラン」の件を切り出した。

「和久さんはお客さんと良い人間関係が築けていますね。ここまで出来るのは素晴らしい、羨ましいことです。一方で最近、私が導入を推進してきた『ABCプラン』というのがあります。営業5課でも、他の課でも導入が進んでいます。実績も出てきていることは和久さんも承知していると思います。この考え方を是非、和久さんにも取り入れて欲しいと考えているんです。既存のお客様とは良い関係が築けている一方で、新たなお客さんも取って欲しい。そのために、しっかりターゲットを絞って、やって欲しいんです」

室井に対し和久は慎重に言葉を選びながら返事をする。「課長の言うことはよくわかります。ですが私は入社以来30年近く、このスタイルでやってきました。予算もずっとクリアし続けています。何がまずいんでしょうか?新しいやり方は説明会で聞きました。正直、私のやり方とは全く違います。顧客のニーズというが、顧客と人間関係を築いて、そして、こちらがいいと思ったものを自信を持って相手に薦めれば、買ってもらえるんです。違うやり方をして、実績が出なくなったら、それこそ私はどうなるんですか?」

「和久さんが新しい営業方法に不安を抱くのはよくわかります。一方で、今後、このスタイルがわが社でも主流になります。和久さんのやり方のいいところを残しつつ、『ABCプラン』に取り組みませんか?和久さんのように、お客様と人間関係を築いている方が、『ABCプラン』を実践したら鬼に金棒だと思っています」

室井の丁寧な説得にもかかわらず、和久は決して首を縦に振らなかった。

部下の異動の打診

下期が始まってから2か月が経過した。不思議な現象が起こった。「ABCプラン」に取り組んでいる若手を中心に営業成績が絶好調である一方、今まで実績をあげていたベテラン営業の成績が下降気味なのだ。「ABCプラン」を実践している若手に伴い相対的に低く見えているのではなく、ベテラン営業の成績は前年を下回っている。若手の底上げがあるため、全体としては大幅な伸びを記録しているが、室井にとって気になる状況だ。

「ABCプラン」の成功によって、室井は支店の中で一目置かれる存在となっていた。「実績」という「個人のパワー」を実現した結果でもある。沖田支店長からの信頼もあつい。そんな中、支店長からミーティングが設定された。実績のあがらないベテラン営業に関してだった。支店長としては、実績が落ちてきている1割程度の営業担当者を、このまま放っておくことはできないとの意見を持っており、どのように処遇するか、室井の意見を聞きたい、とのことだった。

ベテラン営業を、このまま西日本支店に営業として残すか。それとも、営業以外の仕事に配置転換を行なうか、または子会社の営業部門に異動させるかという相談であった。

自分のやり方に馴染まない部下を、異動させるべきか、それとも、今のままとどめるべきか、支店長は室井に決断を求めた。室井は暫く考えさせてほしいと答え、支店長室を出た。

変われない部下への対処

和久の異動についての支店長からの打診を室井は考えつづけた。「和久さんは西日本支店が長く、顧客を良く知っている。『ABCプラン』を本気で取り組めば、必ず実績が出るはずだし、周囲に対しても良い模範となる。一方で、『ABCプラン』に取り組まないまま営業5課に残るとしたら、他の部下に対しての示しがつかない。『ABCプラン』に取り組んでくれるのであれば残留、取り組まないのであれば異動とせざるを得ない。」

「異動」を選択した場合の影響を室井は考えた。和久さんを異動させれば、営業5課のメンバーだけでなく、支店全体に対して、「ABCプラン」を本気で取り組むメッセージになる。一方で、室井は自分のやり方にそぐわない部下を「外した」というメッセージにもなる。和久さん本人からも、「外された」との恨みがでるはずだ。先日の営業同行以来、関係はぎくしゃくしている。

「異動させない」となると、「ABCプラン」に対しての本気度が示されない。いざ、うまくいかなかったときに、甘さがあることで、一気に以前の支店に戻ってしまう可能性もある。室井自身もいつまでも西日本支店、営業5課にいるとは限らない。自分の異動の後も、「ABCプラン」を定着させつづけることを考えないといけない。そのためには、旧態依然としたやり方を極力残したくない、という気持ちもある。

異動させるべきか否か。室井は悩んだ。いくら考えても、どちらがいいか、室井は判断しかねた。どのようにしたらいいか、何か参考になることはなかったかと考えた室井は、ふと、以前研修で学んだ「影響力」の話を思い出した。「そう言えば『コミットメント』というものを学んだな。異動すべきか否か、和久さん本人に選んでもらった方がいいのではないだろうか。誠意を持って和久さんにぶつけてみよう」と考えた。

部下の選択

室井は、和久と面談を行なった。室井の気持ちを率直に伝えた。和久の過去の貢献を認めた。営業5課を今まで支えてくれたこと、そして上期、「ABCプラン」が軌道に乗る前の営業5課の数字に和久の貢献が大きかったことを素直に認めた。

一方で、最近の数字の低下は気になっており、何か気がかりなことがあれば遠慮なく話して欲しいと伝えた。

気まずい沈黙があったが、徐々に和久は話し始めた。「正直、最初は『ABCプラン』なんてうまくいくはずがないと思っていました。ですが、予想に反して実績が出はじめた。営業として向いていないと思っていた青島君にまで数字で抜かれ、正直ショックでした。やはり営業は数字ですから。そこで焦りました。今まで自分で状況を見極めてお客さんに商品を売っていたのですが、焦りがあったんだと思います。最近、大丈夫だと思っていた客先で失注することが増えました。」

正直に状況を語ってくれた和久に、室井は感謝を表しつつ室井は、周りの成功がここまで和久を追い込んでいたことに驚いた。

さらに和久は続けた。「正直言うと、最近不安なんです。若手に成績で抜かれ、自分は今後どうなるのだろうか、と。私の場合、営業一筋で数字だけあげてきました。今後も、定年までこのまま営業一本で行くのだろう、と思っていたんです。そう思っていたんですが、営業のスタイルも変わってくる中で、今後自分はいったいどうなるのか、とても不安を感じています」

正直に語ってくれた和久に室井も正直に答えた。「和久さん、正直に語って下さってありがとうございます。私も和久さんの立場だったら、そう思うと思います。さて、今回和久さんとお話しさせて頂いたのは、実は和久さんに異動の話が来ているからです。販売子会社の営業課長、というポストです。和久さんの経験と人脈がいきると先方からラブコールが来ています。私自身、お客さんをよく知っている和久さんに残留して頂きたいと思っています。残って、『ABCプラン』をマスターして、以前のようにトップセールスの座に返り咲いて欲しいと考えています。もし和久さんに残って頂けるようなら、この話はお断りしようと考えています」

「事前に意向を確認して下さったことはとてもありがたいです。そして、残って欲しいという室井課長のお気持ちはありがたいのですが、やはり、今更『ABCプラン』を自分が実践できるとは思えません。向いてないことをやるより、自分の経験が行きそうな販売子会社に行きたいと思います」と和久は答えた。

和久の異動は、室井にとってほっとした半面、心痛いものであった。「もし自分が赴任してこなければ、和久さんも今まで通り頑張れたかもしれない。一方で、『ABCプラン』浸透は全社的な営業施策。この大目的がある中で、これは致し方ないことだったのかもしれない」そう室井は考えた。

和久の送別会。通常は若手が取り仕切るものだが、室井はここまで営業を支えた功労者の送別会ならしっかり今までの貢献を称えたいと思い、準備段階から率先して仕切った。それが室井の和久に対する感謝の表し方だった。

獲得したパワーの扱い

一度獲得したパワーを行使すべきか、否か。
今回、短期間で実績を積み上げた室井であるが、このことによって室井の得たパワー、特に「個人のパワー」は強力なものになった。支店内でのネットワークも広がり、「関係性のパワー」も獲得した。もともと持っていた役職上の「公式のパワー」も加え、営業5課では室井は絶大な力を持つことになる。室井の持つパワーが増えた一方で、元々営業で実績をあげていたベテラン達はどうなのだろうか? あげた実績は変わらないものの、若手の営業が育ったこともあり、ベテランに対する依存度は相対的に下がってきた。このことは、室井とベテラン営業とのパワーバランスが逆転したことを示す。

今回、和久が営業面で焦りを感じたのも、自らのパワーが相対的に下がったことを察知したからではなかろうか。パワーを持つことは、それを行使しないまでも、パワー行使の可能性を相手にほのめかすことにもなる。行使しなくても、影響を与えることができるのである。

「恐れられるか、慕われるか」

室井が持つパワーをもってすれば、支店内の「ABCプラン」に反発するベテラン営業に対し、自らの主張を押し通すことは可能である。

パワーを行使すれば、「本気度」を示すことが可能である。パワーに押されて周りも巻き込まれる。そして周囲に「絶対に引かない相手だ」との印象を持たせることが可能だ。いざという時は戦わないといけない、それも一つの選択だ。

一方で、パワーを敢えて行使しない、という選択もある。勝てない勝負でパワーを行使するのは無謀だ。しかし今回、確実に勝てる勝負でも、室井は戦わなかった。パワーを行使すれば相手が動く場合、そのパワーを行使すべきか否か。その判断の決め手となるのは「時間軸」と「リスク」だ。緊急で対応しなければならない場合、行使すべきだろう。緊急でない場合はどうだろうか。パワーを行使することのリスク、つまり強引に進めることでの反発や、マイナスの波及があるかないかだ。特に、相手の尊厳を傷づけるような行使の仕方をした場合、どこでどのような報復があるか、わからない。

「恐れられるか、慕われるか」とはマキアヴェッリの言葉であるが、それでは終わらない。「憎まれることを避けなければならない」とマキアヴェッリは続ける。今回、室井の和久へのコミュニケーションは配慮に溢れている。過去の貢献に対しての感謝、相手の選択を尊重する姿勢。最後まで、室井らしく、ソフトなアプローチを取り続けた。室井のリーダーとしての成長が伺える。

今回までパワフル社のケースを用い、7回にわたって連載を行なってきた。室井を取り巻くパワフル社のケースは今回が最後である。次回連載(最終回)では、この連載を始めた筆者の問題意識、変革、実行に対する思いを書いて終わりたいと思う。

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。