広がる「変革」

2011.08.27

前回までの連載で、室井は苦労を重ねながらも漸く変革への第一歩を踏み出し、一部のメンバーによる小さな成功をつかむまでを描いた。短期的な成果は変革には重要であるが、それをさらに組織全体まで広げられなければ、変革自体は成功とは言えない。

変革に取り組む上での障害としてよく挙げられるのが、「現状に執着した組織」「限られた資源」「スタッフの意欲不足」「既得権益を守ろうとする有力者たちの 抵抗」の4つである。どれも難題である。しかし、このような厳しい障害を乗り越え、短期間で変革に成功した事例がある。1990年代後半の、ニューヨーク 市警察本部のウィリアム・ブラットンによる取り組みである。犯罪率の増加に歯止めのかからなかったニューヨークを、ブラットンは2年も待たずして全米の大 都市のなかで最も安全な街へ変えてしまった。このブラットンの変革事例を、『ブルー・オーシャン戦略』の著者であるW・チャン・キム、レネ・モボルニュが 『ティッピング・ポイント・リーダーシップ』という論文にまとめている(ティッピング・ポイントとは「臨界点」の意)。

ティッピング・ポイント・リーダーシップとは、「ある組織において、信念や内的エネルギーの強い人の数が一定の臨界点を超えると、その瞬間、組織全体に新しい考えが急速に広がり、きわめて短期間で抜本的な変化が起こる」という考え方である。
室 井の今までの取り組みは、営業5課内の、一部の成功をもたらしたにすぎない。室井の隠れたミッションである、西日本支店全体への「ABCプラン」浸透に向 けては障害が多い。そこで今回は、ティッピング・ポイント・リーダーシップを応用して「スタッフの意欲不足」という課題を克服してABCプランを推進する 室井の姿を追ってみたい。

支店長への報告

営業5課の若手による「ABCプラン」の実践により、新規受注が拡大していることを室井は早速沖田支店長に報告した。支店長と室井は「ABCプラン」の成 果を3ヶ月間で出すと握っていた。今はまだその半分も経過していない。1日3件だった訪問回数を1件まで大胆に絞ったこと、そして今まで実績のあがらな かった若手3名が予想外に早く結果を出したことに、支店長の沖田は驚きを隠せない。

支店長は、なぜ驚くような成果を出せたのか、「ABCプラン」のポイントについて室井からの説明を聞き、その効果を確信した。そして支店全体に「ABCプ ラン」を広げるために勉強会を開催してはどうかと室井に提案した。異動直後の室井であればすぐに飛びつくありがたい言葉だった。しかしこの数カ月、社内で の抵抗にあっていた室井は、このタイミングで全支店での勉強会を開催することは、時期尚早であると考えた。

営業5課内でも今回の若手の成功は一時的だとも見られている。他の課にも実績はまだ伝わっていない。支店内で広がるベースを作ったうえで、飛び道具である 「勉強会」を使って一気に展開すべきだと室井は考えた。そのためには、営業5課での拡大、そして営業5課以外の1つの課での成功事例が必要である。少なく ともあと1カ月半は必要だと室井は判断した。室井は「今のタイミングでは勉強会は時期尚早です。仕掛けるタイミングが来ましたらご相談させてください」と 支店長に返答した。

営業5課での展開

3名の若手に絞り「ABCプラン」を成功させた室井は、営業5課内での賛同者拡大に取り組んだ。メンバー全員と個別に面談を行ない、趣旨を説明する。取り 組みへの強制はせず、やりたいか、やりたくないかはあくまで本人の自主的な判断に任せた。室井との面談の結果、ベテランの2名以外は室井のやり方に賛同し た。この層は、もともと現状には問題意識があったものの、過去、新たな取り組みで失敗をしており、変革に対して躊躇している層だ。若手の成功によって 「ABCプラン」の有効性が証明されたことが、彼らが賛同した主な要因だと室井は考えた。

営業5課内での更なる「ABCプラン」推進でも、顧客を絞り込み、訪問件数を現在の3分の1に減らす施策を室井は採用した。導入当初、多くのメンバーは今 までとは違うやり方に戸惑いを隠せずにいたが、室井による丁寧なフォローもあり、徐々に定着した。2週間後には新規の受注が入り始めた。1か月後には営業 5課の「ABCプラン」は完全に軌道に乗った。

同僚へのアプローチ

営業5課内での推進と同時に、他の課への展開の可能性を室井は探っていた。西日本支店全体への「ABCプラン」浸透では、他の営業課長に積極的に取り組ん でもらうことがキモになる。しかし、同僚、というより先輩課長ばかりの他の営業課に対し、新任課長である室井がいくら「ABCプラン」の有効性を説いたと ころで、営業課長陣は聞く耳を持たない。実際に、何人もの課長と会話を交わし、「最近若手が伸びて」と、室井がいくら話しても、営業課長たちは興味を示し てこない。それでは沖田支店長から「ABCプラン」に取り組むよう、伝えればいいのだろうか。恐らく室井が言わせた、と思われるのが落ちで、逆効果だろ う。室井は自らの無力さを痛感した。

そんな折、月1回実施される新任管理職研修に室井は参加した。以前「パワーと影響力」について学んだ研修である。そこで学んだことを室井はこの数カ月、活用していた。今回の閉塞感を打ち破る、何かヒントが得られないか、室井は期待した。

今回の研修では、社会起業家のケースが取り上げられた。リソースも何もない中で、高い志を持ち、海外で起業し、社会に貢献している内容だった。そこでは、 何もない中でも、どのように自らのネットワークを広げ、社会に影響を与えていくかということを学んだ。特に、周囲に強い影響を与える人物を巻き込むこと が、影響力を広げるポイントだった。西日本支店では、室井の観察によれば、新城課長がその人であった。

ベテラン課長へのアプローチ

営業4課の新城課長は、10人の営業課長の中でも古株の課長である。西日本支店での経験も長く、今の視点では3つの営業課の課長を経験している。部下の面 倒見がよく、若手から人気がある。若手を集めて課内での勉強会も開催している。課の実績自体は支店の上位であるが、足で稼げというスタイルではなく、良い ものがあれば積極的に取り組んでいこうという姿勢がある。合理的な考え方ができそうなタイプとの室井の見立てだ。新城課長を動かしたら、西日本支店全体も 「ABCプラン」に傾く、と室井は思っている。

新城課長には、以前室井は「ABCプラン」を話題にしたものの、他の営業課長と同様、深く話すことはできないでいた。正攻法で話しても警戒されるだけだろ う。「ABCプラン」に興味を持ってもらう良い手立てはないだろうか、と考えていた室井は、ふと営業5課で既に「ABCプラン」に取り組み実績をあげ始め ている真下君が、前の課で新城課長の部下だったことを思い出した。ここはぜひ一役買ってもらいたいと、室井は真下に依頼した。真下は、早速新城課長と時間 をとって話をしてきた。真下の最近営業の実績が好調であること。それも効率的に仕事が進められていること。特に「ABCプラン」の効果が高いこと。これは 本当に役立つので、新城課長もだまされたと思ってやってみたらどうかとも伝えてくれたらしい。さらに、新城課長の課でやっている勉強会に、室井課長をス ピーカーとして呼んできますよ、との提案も真下はしてくれたそうだ。元部下の熱のこもった話しぶりに感化され、新城課長は勉強会で室井が話をすることを快 諾してくれたそうだ。

開催された勉強会は好評だった。営業4課も、他の営業課と同様、メンバーは忙しくしている。忙しい割に、努力している割に、なかなか実績が上がらないジレンマがある。昔の営業5課ほど悪くはないが、忙しすぎるのは同様だ。当然、訪問件数も多い。それを、室井が、営業5課では「1日1件」の訪問に減らすこと で実績を向上させた、というのは営業4課のメンバーにとっても驚きだったようだ。しかも、今までは西日本支店内では、営業成績面で全く目立たなかった若手の青島たちが実績をあげている。新城課長からも、ターゲッティングなどテクニカルな部分で迷った場合はどうしたらいいかとの質問もあった。室井は、課を超えて、サポートすることを申し出た。

新城課長率いる営業4課が「ABCプラン」に取り組み、実績があがり始めているという噂はすぐに西日本支店全体に広まってきた。新城課長を慕う他の営業課 のメンバーにも、「ABCプラン」を受け入れる気配が表れてきた。室井は、今こそ西日本支店での「ABCプラン」勉強会を開催すべきタイミングだと感じた。

営業課長会議

定例の視点の営業課長会議で、沖田支店長から営業4課と営業5課の実績が最近急に伸びている、とコメントがあった。支店長からは、急に伸びた秘訣は何か、 共有の機会を与えられた。室井は先輩である新城課長に説明を譲った。先に話す形になった営業4課の新城課長は、「ABCプラン」の効果を力説した。新城課長の推薦は、室井にとってありがたかった。新城課長の説明の後に室井は営業5課で取り組んできたことを手短に話した。二人の説明を聞いて沖田支店長は、支店全体でそのやり方を共有してはどうか、と提案をした。実は室井は会議の前に支店長に、今こそ勉強会を、と伝えていたのだ。多くの課長から、「面白そうだ」との賛同の声が上がった。一部のベテラン課長が乗り気ではなさそうだったことが室井は気になったが、西日本支店全体が「ABCプラン」に傾いているの は良い傾向だと考えた。

ティッピング・ポイント・リーダーシップ

冒頭にあげた「現状に執着した組織」「限られた資源」「スタッフの意欲不足」「既得権益を守ろうとする有力者たちの抵抗」W・チャン・キム、レネ・モボルニュによれば、この4つが変革を行なうために乗り越えなければならないハードルだという。
今回は、営業5課の成果に懐疑的な他の課長達やその部下である営業担当者達、つまり「意欲不足のスタッフ」に、「ABCプラン」に対し、どのようにやる気を引き起こすかを見てきた。
室井のアプローチを分析すると、3つの方法、つまり「中心人物」「金魚鉢のマネジメント」「細分化」と名付けられるものに分けられる。

「中心人物(king pin)」とは周囲から尊敬を集める、影響力のある人々のことである。ボーリングでは5番ピンを倒せば他のピンが軒並み倒れるのと同様、この中心人物の協力者にできれば、一人ひとり説得する必要がなく、一気に全体を巻き込むことが可能となる。
西日本支店での中心人物は誰であろうか? それは10人の営業課長達である。今回、室井は、他の課長からも支店長からも信頼の厚い(つまり中心人物中の中心人物である)新城課長を巻き込んだ。これがキーであった。

中心人物である営業課長達の士気を高め、モチベーションを維持するためには、彼らの行動を目立つように紹介する必要がある。これが「金魚鉢のマネジメン ト」である。今回、新城課長の業績が営業課長会議で共有されたことがこれにあたる。今後、営業課長会議で、中心人物達の成果(特に「ABCプラン」への貢 献)を評価し続けていくことが、西日本支店全体での「ABCプラン」成功の成否を握る。

中心人物達、さらにその部下である営業担当者が何に向かって取り組むかを明確にすることも、意欲を高める上で重要である。西日本支店全体で「ABCプラ ン」推進を、と言っても、各人がそれぞれ何に取り組んで良いかわからない。担当毎に訪問件数を絞り、どこの顧客で何をすべきか、室井は担当毎に取り組むべ きことを明確にしている。一人ひとり、自分の持ち場において取り組む目標を明確にすること、これが「細分化」である。

西日本支店は今、「ABCプラン」に傾いている。第5回の連載でも言及した「社会的証明」の原理も働いている。室井はどのように変革の仕上げを行なうかは次回の連載で書きたい。

※参考文献

・「ティッピング・ポイント・リーダーシップ」、ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー 2003年12月(W・チャン・キム、レネ・モボルニュ)

・『ブルー・オーシャン戦略』(W・チャン・キム、レネ・モボルニュ)

執筆者プロフィール
新村 正樹 | Nimura Masaki
新村 正樹

上智大学法学部国際関係法学科卒業、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院EDP(Executive Development Program)修了。
株式会社ジャパンエナジーにて法務、販売に従事した後、グロービスへ入社。スクール部門、ファカルティ・コンテンツ部門を経て、現在は企業研修部門にて、講師、教材、スキルサーベイのチームを統括。講師育成やコンテンツ開発のほか、グロービス・マネジメント・スクール及び企業研修において講師も務める。
主な担当科目はリーダーシップ、クリティカル・シンキング、プレゼンテーション、ファシリテーションの他、フレームワークを使った自社分析等。


※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。


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