「影響力」の発揮

2011.07.28

連載開始以降、多くの読者から感想を寄せていただいている。中には『室井と同じ立場に置かれて自信喪失している』といった方もおられた。リーダーの育成の方法論として経営学者やリーダーシップ育成機関、コンサルティングファームでは、主に「チャレンジングな機会」「困難な環境」「研修などの学習機会提供」「業務を通じたフォローやフィードバック」を挙げている。これらを効果的に組み合わせれば「強いリーダー」が育つだろうと思う一方、実際には、室井の置かれたような困難な状況で溺れかけているリーダー候補も多い。従来のMBA的な知識だけではなく現実の困難な環境の中でいかに組織を動かし、変革を導けるか、本連載で多くの読者の方に具体的な行動につながるヒントが提供できればと考えている。ぜひこれからも、本連載についての感想をお聞かせいただきたい。

▼「影響力」とは
強く説得されたわけでもないが、何かに「影響」を受け、無意識のうちに意思決定をしてしまった経験はないだろうか?
例えば、

・既に同業他社の多くが導入している財務システム

・その分野で世界的な権威である研究者による推薦のある製品

・頻繁にサンプル提供を申し出るサプライヤー

といったものに対し、好ましい印象を持ち、導入/購入してしまったということはなかっただろうか。ビジネスの現場では、多数の人間が、経済合理性に基づき意思決定を行なおうとする。が、すべての意思決定の局面で、論理的、合理的に判断をしているとは言い難い。実際にはかなりの割合で、他の何かの影響によって、よく考えみると合理的ではない決定を下しているものなのである。

前回の連載では、持てる「パワー」を一点に集中して攻略することを考えた。室井の活動をさらに加速する場合に有効な考え方として、今回は「影響力」について考えてみたい。人間は、意思決定をする上で、必ずしも合理的に、論理に基づいて意思決定をするわけではなく、無意識に意思決定をしてしまう場合がある。その決定の多くは、他者からの「影響力」によるもなのだ。では「影響力」とは何か。社会心理学の研究で、返報性、権威、コミットメントと一貫性、希少性、好意、社会的証明の6種類があると言われている。冒頭の、同業他社の多くが導入する財務システムは「社会的証明」を、世界的な権威である研究者の推薦は「権威」を、頻繁なサンプル提供は「返報性」という原理の影響を受けている(※「影響力」に関する詳細説明は後述)。

今回の連載では、どのように影響力を用いれば、室井が「ABCプラン」の推進に若手を巻き込んでいけるかを考えてみたい。

執筆者プロフィール
新村 正樹 | Nimura Masaki
新村 正樹

上智大学法学部国際関係法学科卒業、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院EDP(Executive Development Program)修了。
株式会社ジャパンエナジーにて法務、販売に従事した後、グロービスへ入社。スクール部門、ファカルティ・コンテンツ部門を経て、現在は企業研修部門にて、講師、教材、スキルサーベイのチームを統括。講師育成やコンテンツ開発のほか、グロービス・マネジメント・スクール及び企業研修において講師も務める。
主な担当科目はリーダーシップ、クリティカル・シンキング、プレゼンテーション、ファシリテーションの他、フレームワークを使った自社分析等。


営業面の課題

パワフル社の営業では、それぞれの担当者が数百社の営業先担当リストを持っている。このリストには、現在取引がある企業、かつて取引のあった企業、さらには一度も取引のない企業も含まれる。取引のない企業には、過去に訪問・提案履歴があるところもあれば、アプローチすらしていない先もある。その中で営業担当者は、既存の取引を維持しつつ、新規案件を獲得していく必要がある。

今回、室井が「ABCプラン」に初めに巻き込むメンバーとして選んだ営業5課の若手メンバーは、忙しく活動しているものの、受注という成果がでていない。事前の面談を通じて室井は、若手に限らず、営業5課の営業の進め方に根本的な問題があると考えていた。室井の考える問題は、営業における「バッドサイクル」である。
営業実績を拡大するには新規受注が必要だ。しかし新規受注ができないので、多くの担当先にアプローチしようと訪問件数を増やす。訪問件数を増やすことで1社あたりを疎かにしたり、脈の少ない先にもアプローチすることになり、受注率が下がる。受注が少ないのでそれを補おうとさらに訪問件数を増やす―これが営業におけるバッドサイクルだ。特にパワフル社社内には「営業は足で稼げ」という文化が浸透しているので、このバッドサイクルに気付いていても誰も正面切って疑問を呈しづらくなっている。

問題点はある程度見えていたが、「ABCプラン」を若手メンバーに伝えるのは、今までのやりかたを頭ごなしに否定することになりかねず、相手の反発を招く恐れがある。論理的には正しいが、相手は気持ちが受け入れないだろう。西日本支店へ異動してきてから室井は、何度も、自分の考えの伝え方で痛い目にあっている。今回、どのように伝えたらいいのだろうか?

若手とのミーティング

今回、室井は、自分の意見を押し付けるのではなく、メンバーに考えさせ、自分の意見を出してもらうことで、納得感を持ってもらう進め方をしようと考えた。若手メンバー4名とのミーティングの場で室井は、「どうしたら受注に結びつく訪問ができるだろうか?」とメンバーに投げかけた。メンバーからは、「やみくもに行くよりは筋のよさそうなところに訪問した方がいい」「受注に持っていくためには事前に自分なりのストーリーを描いておくことが必要」「相手からニーズを引き出すことが重要」という発言が返ってきた。室井は、メンバーが頭ではわかっていることに、安心した。

さらに室井は「ではなぜそのような訪問が今、出来ていないのだろうか?」と問いかけた。問いかけて、詰問調に聞こえたのではないかと室井は思い、「これは、君たちを責めようということではない。むしろ、それを妨げることがあるなら取り除こうという、前向きな話なんだ」と付け加えた。

メンバーからは、「やはり何社も回らないといけないので時間が不足しがちになります」「1日3社、週に15社の訪問はどうしてもきついです」「自分たちのように実績があがらない営業は、もっと足を使えと言われて、とにかく動くしかないんです」との声が相次いだ。自分は1日3件などと一言も発していないにも関わらず、なぜこのような目標設定をしているのか、室井は疑問に思ったものの、本来のテーマについての議論に室井はフォーカスし、若手のメンバーの受注を高める工夫を引き出そうとした。

そこで室井は「15件といった頻繁な訪問活動では、1回1回あたりの提案準備が疎かになるということだな。では、何件ぐらいの訪問だったら、しっかり準備して望めそうだろうか?」と問いかけた。若手メンバーからは、「半分ぐらいでしょうか」との声があがった。

室井は「半分の訪問回数にして、準備の時間を捻出すると考えよう。では、捻出した時間を何にあてようか?具体的にはどんな準備ができるだろう?」と更に問いかけた。メンバーからは「訪問先に合いそうな提案内容を考える」との意見が出る。さらに「それはどうしたら考えられるんだろうか?」というと、「やはりお客さんのニーズをつかまないと」と答える。

そこからは「ABCプラン」の内容と同様だ。室井は「ニーズはどのようにつかむのか?」「顧客にある程度共通するニーズはあるのだろうか?あるとすればどんなことか?」「共通するニーズがありそうなお客さんはどこだろうか?」と、メンバーに問いかけ、議論を尽くした。この議論を通じて「ABCプラン」の基本的なコンセプトがメンバーに伝わったと室井は確信した。

ミーティングがほぼ終わりに近づいた時、メンバーから、「室井さん、ここまでやるんなら、半分の訪問件数でも厳しいですね、1日1件が限度だと思います」との発言が出た。他のメンバーもうなづいている。室井は「わかった。訪問は1日1件に絞ろう。その代わり、訪問した先は何がなんでも受注しよう」と答えた。

「ABCプラン」の実践

室井は、若手メンバーとの「ABCプラン」を実践し始めた。膨大な担当顧客リストからのターゲットの絞り込みでは、ターゲットの選び方の基準を室井が示し、メンバーが当てはまる企業をピックアップした。さらに、アポイントを取ったターゲット先に対しての提案内容の検討にも室井は関わった。「ABCプラン」では標準的なニーズのパターンとそれに対しての提案内容が用意されている。したがって、顧客を、以前に議論して明らかにしたニーズごとにグループ化し、そのグループに対応した提案を選択するようにした。この方法は、一社一社、ゼロからニーズを考え、その内容に応じた提案を考えるより、各段に効率があがった。

若手メンバーは、室井との取り組みにより、1週間で訪問する会社を3分の1に減らした。1日1件だ。訪問する企業を絞ることで、ABCプランで用意された提案内容から、さらにその企業特有の事情を勘案し、訪問当日のやりとりまでの綿密な準備が可能となった。実は、メンバーは活動量を減らすことに一抹の不安を感じてもいた。活動量を落とす代わりに提案の質をあげるということに、頭ではわかっていたものの、そこまで減らして本当に大丈夫か、ニーズと提案内容をここまで類型化してしまい、本当に受注できるのか、疑問は尽きなかった。しかし、最終的には自分たちで考えて決めたことであるからと、自分で自分を納得させたのであった。

一方、新たな営業活動に向け、室井も悩んでいた。若手メンバーは、最初の1週間で室井との検討を終え、翌週から訪問を本格化させることになっていた。室井は、メンバーに訪問を任せるべきか、それとも自分も可能な限り同行すべきか、迷っていた。ここで失敗はできない。後がない状態だ。室井は、何としてでも成功させるために、自分も同行することにした。

実際に室井が同行することで、室井にも新たな発見があった。顧客とのコミュニケーション手法が、若手メンバー間でもばらつきが多かったことである。嬉しい誤算は、なかなか営業成績の上がっていない若手の青島が、思いのほか、相手に問いかけ、ニーズを引き出すことがうまかった点である。彼の方法は室井自身にとっても勉強になる部分が多かった。室井は青島のやり方を他の若手3名にもそれを広げようと、営業の行き帰りに青島のやり方をもとにアドバイスしてみた。しかし、若手3名の改善はあまり見られなかった。むしろ、室井が言えば言うほど、委縮するように感じられた。

そこで室井は一計を案じた。室井が3名の若手に説明するのではなく、青島の商談の場に他の若手を順に同行させることにしてみたのだ。実際に自分と同じ若手である青島の商談している姿を見ることで、3名の若手の奮起を促す結果となった。相手からニーズを引き出した上で、それにあった順番で説明するという、ちょっとしたコツをつかみ、顧客に提案の意図を的確に伝えることができるようになった。その結果、室井も、若手メンバーも、顧客からの手ごたえをつかみ始めた。

緒戦での勝利

室井が営業5課で「ABCプラン」に本格的に取り組んで2週間、室井は可能な限り、同行した。室井と同じ時間を過ごすことで、若手のメンバーにも室井の熱意や思いが伝わっっていった。一方で、同じ課の他のメンバーからは、室井は一部の若手を集めて自分のやりたい「ABCプラン」だけをやっている、本来の職責を果たしていないのではないかとの声が聞こえて来ていた。まだ実績が出ていない状況で、この指摘は痛かった。

翌週月曜日、若手メンバー青島のもとに顧客から1本の電話が入った。顧客からの受注内定の連絡だった。報告を受けた室井は、「青島君、凄いじゃないか、受注内定だって」と隣の課にも聞こえる大きな声で青島を褒めた。たった1件の受注内定ではあったが、今まで実績を出せなかった青島が、室井のやり方で2週間で受注内定までたどり着いたことに周囲は驚いた。それまで室井のやり方に批判的だった周囲の空気を、これで落ち着かせることができた。

受注は、青島だけではなく、他の3名の若手にも広がった。訪問件数を絞った分、受注確率は格段に高まった。営業成績が低迷していた若手4名の受注実績向上は、営業5課の中でも徐々に知られるようになってきた。室井は若手の成長を頼もしく思った。

影響力の武器

冒頭で解説した「影響力」について解説したい。社会心理学者であるロバート・B・チャルディーニの研究によれば、人が無意識のうちに人に動かされてしまう原理として以下の6つがあるという。

返報性 :恩恵を受けたら報いなくてはならないと感じること
社会的証明 :他人の行動を指針とすること
好意 :好意をもつ相手ほど賛同したくなること
権威 :専門家に指示を仰ごうとすること
希少性 :手に入れにくいものほど求めたがること
コミットメントと一貫性:自分のコミットメントや価値観と一貫した行動をとろうとすること

>※ロバート・B・チャルディーニ著「影響力の武器」から加筆修正

今回、室井は「ABCプラン」を進める中で、若手メンバーから新たな営業手法や目標数値を設定する際に「コミットメントと一貫性」の原理を使っている。人は、一度自分がある決定を下すと、そのコミットメントに対し、一貫性をもって行動しようとする傾向がある。今回の場合は、若手メンバーは、営業の方法論や目標を自分で決定するよう促された。その内容が結果として「ABCプラン」に即したものだったため、今回の活動への強いコミットが生まれた。また、若手メンバーの実地教育に、同じ若手である青島の商談の様子を見学させ、自分たちのやり方の見直しを促した。これは、「社会的証明」の原理を応用したもので、自分と類似した人が示す行動に影響を受けやすい、という原理を使っている。

影響力は、自らのパワーが限られる場合、特にパワーを獲得する余裕がない中で相手に動いてもらわないといけない場合、効果的である。「限定10品」「サンプル無料」「○○大学教授の推薦」といったセールス活動を頭に思い浮かべる読者も多いだろう(順に、「希少性」「返報性」「権威」という影響力が使われている)。しかし、注意も必要である。この手の原理を「意図的に」使われたことに対して人間は不快感を抱くものでもある。「影響力の武器」を多用しすぎると、かえって「好意」を損ねたり、「個人のパワー」の源泉である「信頼性」や「人間力」を損なうことになりかねないことを私達は銘じるべきである。

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。