戦略浸透への挑戦、立ちはだかる壁

2011.04.13

世界的なリーダーシップ開発機関、Center for Creative Leadership(CCL)による、128人のシニアレベルのエグゼクティブを対象とした調査がある。この調査によると、「現在の役割を超え、効果的に協働することが“極めて重要“である」と答えたのは86%にも達している一方、「実際にそれを“大変効果的に実施している”」と答えたのはわずか7% だったという※。

ビジネスの場面において個人だけの力で成し遂げられることは限られ、他者からの協力が不可欠である。特に複雑性(多様性、相互依存性)の増した現代社会では、人・組織を動かす難易度はさらに高まっている。こうした中で、ビジネスパーソンとして自らのミッション、ビジョン、目標を実現するには、「想い」や「プラン」があるだけでは不十分であり、人・組織を本当に動かす有効な行動が求められる。

今回の連載では、「実行力のリーダーシップ」と題し、ケース「パワフル社の営業改革」というケースを用い、主人公である新任課長の室井が、壁にぶつかりながらも成長し、一人では到底成し遂げられない高いあるべき姿を、自己成長しながら実現していく姿を描いていく。ケースの中では、自分のチームメンバーのみならず、上司、さらには直接的な権限の及ばない他部署までも動かしていく上で、どのような考え方・スキルが必要か、そして、人・組織が動くメカニズムは何か、を考えていきたい。

執筆者プロフィール
新村 正樹 | Nimura Masaki
新村 正樹

上智大学法学部国際関係法学科卒業、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院EDP(Executive Development Program)修了。
株式会社ジャパンエナジーにて法務、販売に従事した後、グロービスへ入社。スクール部門、ファカルティ・コンテンツ部門を経て、現在は企業研修部門にて、講師、教材、スキルサーベイのチームを統括。講師育成やコンテンツ開発のほか、グロービス・マネジメント・スクール及び企業研修において講師も務める。
主な担当科目はリーダーシップ、クリティカル・シンキング、プレゼンテーション、ファシリテーションの他、フレームワークを使った自社分析等。


ケース:「パワフル社の営業改革」

■薄い反応

「営業本部から西日本支店へ異動になった室井です。10年ぶりの支店勤務、そして営業となりますが、営業本部時代に手がけた『ABCプラン』の推進に向け、全力で取り組んでいきたいと思います。『ABCプラン』には3つのポイントがあります。1つめは顧客にフィットしたソリューション提供。顧客をセグメント毎に分け、ターゲットを絞り込み、それぞれのニーズに応えるソリューションを提供することです。2つめは“結果”ではなく“プロセス”重視。市場全体から分析的に、数値も見ながら営業活動を展開し、再現性を追求していきます。最後の3つめが、ノウハウ・事例の共有化。営業活動の各プロセスで培われたノウハウ・事例の共有化して、全員の営業力を底上げすることです。従来の経験に基づいた営業手法から脱却すべく、一生懸命取り組んでいきたいと思います」

室井の熱のこもった赴任のスピーチであったが、同席した西日本支店のメンバーの反応は薄い。スピーチはポイントを絞り込み、わかりやすくしていたと自負していただけに、室井は反応の薄さが気になった。

■パワフル社

室井の務めるパワフル社は、建材を扱う企業。業界内の競争は厳しく、シェアの上下も大きい。パワフル社は10年前まではトップシェアを誇っていたが、ここ数年業績を落としており、業界3位。市場規模が伸び悩む中、シェアアップを図ることが業界内での生き残りのため必要である。

この業界では、商品自体の違いは少なく、競合から真似されやすい。従い、どうしても価格勝負になりがちであったが、顧客からは品質への要求も強く、他社を圧倒する低価格を提示することは難しい。このため、競合他社は安易な価格勝負から提案内容の充実へシフトしてきている。実際に競合のブレイン社、ロジカル社は提案内容で違いを出し、徐々にシェアを高めている。

パワフル社でも提案内容を充実させるべく、過去から様々な取り組みを行ってきたものの、いずれも中途半端で定着していない。結果、旧態依然とした、勘と度胸、経験に頼った営業スタイルがいまだに主流を占めている。

この状況を打破すべく、昨年就任した吉田本部長以下、営業本部をあげて「ABCプラン」を立案、全社に導入したが、営業現場での浸透度が低く、以前から度々導入されてきた施策と同様、根づかないのでは、と社内では冷ややかに見られている。

■主人公:室井

室井は38歳。営業本部にて吉田本部長肝いりの「ABCプラン」立案の中心的スタッフとして活躍した。この貢献が認められ、同期トップで課長に昇進。同時に、西日本支店の営業5課の課長として異動することとなった。

室井の営業経験は入社から最初の5年間のみ。営業では目立った実績は出せなかったものの、残りの10年ほどは本社での企画系の業務に携わり本領を発揮した。新入社員の頃から理論派で通り、本社に戻ってからはアフター5でビジネススクールに通うなど、勉強熱心な面が見られる。室井の頭脳が「ABCプラン」に活かされた。

室井は、新人の頃に所属した営業組織での旧態依然としたスタイルに衝撃を受け、これを続けている限り自社には未来がないのではないかとの危機感を持った。これが今回の「ABCプラン」に没頭した背景でもあり、室井自身、何としても営業変革を遂げていきたいと考えている。

■内示

2011年3月初旬。本部長室に呼ばれた室井は、異動の内示だと直感した。吉田本部長から、「管理職への昇進おめでとう。4月から課長になってもらいます」との言葉。異例の昇進に驚く室井に対し、吉田は続ける。「君には課長として、西日本支店に行ってもらい、営業5課を見てもらいたいと思う」 突然の課長昇進、そして支店の営業への異動に驚いていると吉田本部長は続けた。

「営業課長ということで驚いていると思うが、実はこれには訳がある。『ABCプラン』のことだ。立案に向けての室井君の貢献は凄いものだった。これはとても感謝している。しかし、全社での展開を考えてみたときに、とても浸透しているとはいえない状況だ。どこの支店も、課も、営業担当も、また本社が何か言ってきた、ぐらいにしか思っていない。僕はこれを本当に浸透させたいと思っている。浸透させたい本気度を示したい。そのために、一番浸透していない支店に君に行ってもらいたいと思っている。一番浸透していない西日本支店で浸透させられたら、全国の支店にも広がるはずだ。だから、私の代わりだと思って、支店に行ってくれないか。もちろん私から最大限、サポートはする。どうだ?」

本部長の熱意に押され、室井は「本部長がそこまでおっしゃるなら喜んで行かせて頂きます。浸透に全力を注ぎたいと思います」とかろうじて答えた。

■西日本支店へ赴任

吉田本部長の期待を受けて、2011年4月、室井は西日本支店に赴任した。全支店メンバーを前にしての赴任の挨拶での感触は良くなかったものの、それは恐らく「ABCプラン」に対しての理解が少ないからだ、と考え、積極的に支店内に啓蒙していきたいと考えた。

新任課長として顧客への挨拶回り、メンバーの把握、支店内の会議など不慣れなことに時間が取られたが、支店長に直訴して支店の「ABCプラン」の説明会を開催することにした。

室井は入念な準備を行い、これだけわかりやすくすれば浸透するだろうと考えた。だが実際に当日になると、支店の全150名のメンバーのうち、3分の2が多忙を理由に欠席した。他の営業課長の多くも欠席であった。

支店の中では、「室井課長は『ABCプラン』のことばかり考えているようだが、本業の営業5課の成績はどうなっているんだ?あの課はこの支店の中でも成績の悪い方、早急に立て直す必要があるのに、こんな説明会をやっている場合じゃないのではないか?」といった声も流れ始めているようだ。

事実、室井の担当する営業5課は西日本支店の10ある営業課のうち、下から2番目の成績であった。メンバーは課長やサポートスタッフも入れ14名、中にはトップクラスの営業成績を誇るベテランもいるが、多くは入社して日の浅いメンバーや、従来の営業方式から脱却できないメンバーも多い。確かに、支店でささやかれる陰口の通り、まず自分の足元から固めないといけない。

室井は、営業本部時代に全社への「ABCプラン」浸透を思い描いた。だが、西日本支店への浸透どころか、支店のほんの一部の1つの自分の課への浸透からのスタートすることになった。「わが社は戦略不在が問題だ、だから明快な戦略を作るべきだ、そう本社時代は思っていた。だが、実際に営業現場に来てみると戦略の実行、浸透、これは想像以上に容易ではないな。これは、時間がかかりそうだな」と室井はつぶやいた。


いきなり壁に突き当たった室井。

次号ではそのような室井が、支店長とのMBO(目標管理)、営業5課への浸透といった場面、そして新任管理職研修での学びを踏まえ、困難な状況をいかに突破していくかを取り上げる予定です。


※「Boundary Spanning Leadership」Chris Ernst、Donna Chrobot-Mason著

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。