G-Agenda 2023年 夏号 Vol.6

企業価値を高める「人的資本経営」

  • AGENDA TALK 圧倒的なスピードで 成長を続ける連邦経営

    株式会社マネーフォワード 代表取締役社長 CEO 辻 庸介
    株式会社グロービス グロービス・コーポレート・エデュケーション フェロー 西 恵一郎

  • Conference Report

    富士通×グロービス共催セミナー 日系5社CHROが提言

    企業価値向上につながる 人的資本経営とは

    富士通株式会社 執行役員 EVP CHRO 平松 浩樹 ×
    丸紅株式会社 執行役員 CHRO 鹿島 浩二

(会社名・役職等は取材当時)

AGENDA TALK

辻 庸介Yousuke Tsuji

1976年大阪府生まれ。2001年に京都大学農学部を卒業後、ソニー株式会社に入社。2004年にマネックス証券株式会社に参画。2011年ペンシルバニア大学ウォートン校MBA修了。2012年に株式会社マネーフォワードを設立し、2017年に東京証券取引所マザーズ市場へ上場、2021年に第一部へ市場変更(2022年4月に市場区分の見直しに伴い、プライム市場へ移行)。2018年2月 「第4回日本ベンチャー大賞」にて審査委員会特別賞受賞。新経済連盟幹事、経済同友会 幹事、シリコンバレー・ジャパン・プラットフォーム エグゼクティブ・コミッティー。

西 恵一郎Keiichiro Nishi

株式会社グロービス グロービス・コーポレート・エデュケーションフェロー。2000年三菱商事に入社。グロービスでは法人向けコンサルティング事業で、リーダー育成、組織開発を伴う組織変革に一貫して従事。2011年から中国法人立上げを行い、2017年から2023年6月まで法人事業の責任者を務める。現在は、グロービスのフェロー、富士通株式会社のCEO室 Co-Headとして全社経営戦略を担う。

圧倒的なスピードで成長を続ける連邦経営

日本におけるフィンテックベンチャーの雄、マネーフォワード。事業を軌道に乗せる速度も、そこから上場までの速度も圧巻で、現在も高い成長率を維持し、ベンチャーならではのパッションも健在です。特徴的なのは、多くのサービス・企業を傘下に収めつつ、多彩な事業展開に挑んでいること。急速な成長の秘訣、さまざまな企業をグループに迎えて可能性を引き出す考え方など、その経営の核心を、マネーフォワード創業者でCEOの辻庸介さんにグロービスの西がうかがいます。

圧倒的なスピードで上場を達成

西:まずはマネーフォワードの創業から上場に至るまでのお話をうかがいたいと思います。

辻:起業の大きなきっかけはネット証券の登場、普及です。対面や電話での取引の激減、手数料引き下げ、世界中の機関投資家の参加など、環境が激変し、カスタマーペインが明らかに変わったと感じました。当時、私はマネックス証券の社員でしたから、この変化に対応して新しいプロダクトを作りたいと考えていました。

西:マネックスの新規事業として考えていたのですね。

辻:はい。それで松本さん(マネックスグループ創業者・現マネックス証券代表取締役会長の松本 大氏)に、提案し続けていたんですが、リーマンショック後ということもあって、結局、形にはできなかった。それで起業を決めたのです。私が狙ったのは、言わばフェイスブックのマネー版で、マネーブックというものでした。

西:結果はどうでしたか。

辻:なかなか思い通りにはいきませんでした。マネーブックはユーザーの資産状況をシェアできるオープンなサービスですが、オープンと金融は相性が悪いことに気づき、クローズドに変え、またスマホに特化して、マネーフォワードME(以下、MFME)というサービスを作りました。これが少しずつ認知されてユーザーが増えていきました。

西:早くもその1年後には法人向けのクラウド会計のサービスをリリースされました。すごいスピードですね。

辻:MFMEの仕組みは会計にも活用できると思ったので、確定申告の時期に間に合わせようと3ヵ月で開発しました。社員数がまだ10人以下の頃ですから、毎日、終電までといった熱狂的な状態で仕事をしていましたね。

西:そこからは順調にユーザー数を増やしていかれた?

辻:創業以来、順調と思ったことは一度もありません。製品をリリースすると、足りない機能をユーザーからフィードバックいただく、やっと解決できたと思ったらまた新たな課題を教えていただき、その解決に取り組む。そんなサイクルを11年間、ひたすら繰り返してきた感じです。

西:2017年には東証マザーズに上場されましたね。これほど短期間での上場も驚異的です。何か秘訣のようなものはありましたか。

辻:こういう表現が的確かはわかりませんが、怖いもの知らずと言うか「無知であること」は結構大事だと思います。JAFCOさんから5億円出資していただいたとき、当時の売上高は300万円くらい。振り返れば、無知だからこそ橋を渡れたとも言えます。

西:常識にとらわれなかったということですね。その力はどこから来たのでしょう?

辻:フィンテックのIPOの第一号になろうという目標設定はしていました。お金に関するビジネスだけに、信用、資金調達、人材採用など、あらゆる点で上場のメリットは大きい。どうせ上場するなら最速でやろう、と。

西:実際にとてつもない速さで上場されたのですから順調には見えます。大変だったことは何ですか。

辻:上場前後の時期でしたが、あまりに急成長して組織がばらばらになりかけたときですね。急成長のときは現場にすごく負荷がかかる。当然、ユーザーの要望にも対応しきれない。システム的にも、一定の規模を越えると、新規機能をリリースできなくなってくる。というのは、従来からの機能で安定的に使いたいお客様が増えてくるので、そこにリソースを割くからです。それで、1年くらい新機能を出せなくて、これは苦しかったですね。それで経営のやり方を変えたんです。

西:どのように成長を作り直したのですか。

辻:二つあります。一つは企業としての価値観やカルチャーを定義し、それをみんなで共有して発信すること。もう一つは、短距離走から中距離走へとペース配分を変えることですね。立ち上げのときはパッションで前進できるけれど、ずっとその勢いでは走れないので。

西:私から見ると、今も短距離走しているようなスピード感ですよ。今でも毎年30%という成長を当たり前のようにしています。

辻:これは業界のオーガニック・グロースレートが高いこともあると思います。仮に業界の成長が平均で20%だとすれば、私たちは業界のトップを目指しているのだから、当然それ以上を、と考えるわけです。大切なのはミッションのためにやるべきことと、現実的な成長とのバランスを取ることだと思います。

グループジョインによって成長の山を作る

西:コアなプロダクトで長く経営していく方法もありますが、辻さんは違いますね。さまざまな事業をするためにM&A、辻さんの表現を借りれば、グループジョインをしていった。なぜそういう志向になったのですか。

辻:プロダクトやサービス自体の持つグロースレートはあって、そこはしっかり確保していきますが、それにプラスアルファで伸びる部分をつくる動きを、戦略的にやっているということです。名著『両利きの経営』にも、既存事業の「深化」と新規事業の「探索」が説明されていますが、あれを読んで、これこれ ! と思いましたね。

西:コア以外のプロダクトの入手や、グループジョインを行うときはどういったことを考えていますか。

辻:プロダクトや事業が成長途上のタイミングである企業とご一緒することが多いですね。当社が手がけた最初のM&Aは上場後すぐです。市場の急成長があり、このタイミングを逃したくなかったことが大きい。事業が伸びると、多数の企業が参入してきますから、企業の成長後にグループジョインを狙ってもうまくいかないと思います。社員も辞めてしまうことが多い。

西:いわゆるプロダクトライフサイクル理論でいう成長期に買うわけですね。

辻:そうです。プロダクトを作るのもグループジョインしてもらうのも“成長の山をたくさん作る”という考え方です。

西:なるほど。新たな成長曲線を作るためのグループジョインですね。

辻:私たちは自分でプロダクトを作る力を持っていますが、例えばそれをやるには2年かかるとしたら、既にそうしたプロダクトを持つ企業にグループジョインしてもらおう、という判断をすることも選択肢に入ってきます。

西:そうやってグループジョインしてもらった企業の統合ですが、一つのチームや事業部として運営するのではなく、独立した経営で良いと許容している感じですね。連邦経営というか。

辻:おっしゃる通りですね。私自身がこれまでずっと、スモールチームや権限委譲されて仕事をしてきました。その経験から言うと、ユーザーに近い人が意思決定できるほど、正確で、速く、良いプロダクトができる。小さなグループ会社が自らの意思で動くのは、まさにそれを実現することです。

西:大企業だと、グループ会社の経営に口出しすることがけっこうありますが、辻さんはあまり関与しないやり方ですね。

辻:単体でやっていけるような魅力的な企業にジョインしてもらうには、単体のとき以上の成長を実現するように私たちが役立たなくては、と思っています。大企業の新規事業やスタートアップのコンテストの審査をする機会をいただくことがありますが、アイデアに対して欠点の指摘をする様子を多く見かけるんです。指摘だけでは、そこに価値の創造はあるんだろうかと。

西:そうですね。指摘するのは簡単ですからね。

辻:本当に難しいのはエグゼキューション(実行)です。ですから私が大事だと思うのは、何かをやりたい人がそのパッションを持ち続けられるようにサポートすることと、明らかに筋の悪い部分があればそれを意見として伝えることくらいです。

西:マネーフォワードをプラットフォームとして活用してもらい、利用の仕方については各社に任せるということですね。

辻:そうです。ただマネジメントチームの能力は冷静に判断しなくてはなりません。理想論と実際にできることにはすごく差があるので、絵に描いた餅ではいけない。そのあたりは個別に対応していく、各経営陣との定期的なミーティングを通して、価値観を擦り合わせたり、戦略を練り直したりしています。

自明なことは走りながら変えていく

西:ジョインした企業の経営者にとって辻さんはどのような存在ですか。比喩的な表現でかまわないのですが。

辻:壁打ち相手みたいなものでしょうか。

西:いわゆる上司らしい感じはなくて、ポジションパワーを使わないフラットな関係ですね。

辻:人は、上から言われても、腹落ちしないことは行動に移さないものだと思っています。逆に、本人が、そうか ! と気づいて初めて行動につながります。

西:グループ会社の中からは、スマートキャンプのように上場を目指す企業も出てきました。主にガバナンスの面から親子上場には批判的な人もいますが、辻さんなりの親子上場の形ができるかもしれませんね。

辻:そうですね。私は人の可能性は無限大だと思っています。本当にやる気があれば人は変わります。特にベンチャー企業の場合、主体的に何かをやりたい人が集まり、ゼロから何かを作り、新しい価値を生み出します。その価値を社会は割と低く見積もっている気がします。また、上場に際してのミーティング一つとってもリアルMBAのような、一種の教育機会にもなっていると感じます。

西:マネーフォワードではグループジョインした企業の経営陣がグループ全体の経営に参加しています。それまでとは異なる役割に移しているわけですが、どのように人材の統合を図り、機能させていますか。

辻:皆さん、一国一城の主で来た方々で、ジョインしたときは辞める気満々という人もいます。人の気持ちを制限することはできませんが、その人が人生で何をしたいのかを聞き、当社の状況を話し、こういうポジションで助けてもらえませんか、とお願いをしています。

西:経営に携わる人材が主体的にポジションを変え、違うステージでチャレンジしていることには驚かされました。また、私は御社が社員数1,000人くらいのとき、次の年に800人を採用すると表明していたのを覚えています。これも衝撃的でした。大企業だったらできない発想です。どのように考えているのですか。

辻:戦略上、何がセンターピンなのか、人・モノ・カネのロジックに合致しているか、リスクはコントロールできる範囲なのか、といった基本的なことで、そこにはあまり迷いはありません。ただ私は既にわかっていることを決めるのに時間をかけたくないという思いが強い。しなければならないことがはっきりしているならば、走りながら直せばよいという意識があります。

西:社員数が2,000人規模でも、未だにこの疾走感はすごい。2,000人といったら大企業の事業部規模です。

辻:以前、長くお世話になっている外部の方から、当社の強みはトラスト(信頼)である、と言われました。私は、社内で売上目標を語ることはあまりありません。ひたすらユーザーフォーカスを追求してきました。そこに安心感を感じていただけるのだと思います。

西:私もここ2年ほど関与させていただいている経営合宿ですが、年に4回、と非常に大きな投資をされています。ここで拘っていることは何ですか。

辻:経営合宿には四つの目標があります。一つは、私が考えていることと現状認識の一致、つまり脳内同期。次に、経営メンバーの能力アップ、第三に、今の会社の課題について議論し、アイデアを出し、何をするかを決定すること、最後に、相互理解と信頼、つまりメンバー同士が仲良くなることです。

西:トップが考えていることを話し、経営メンバーとじっくり意見交換をする。経営合宿が、各サービスの経営チーム、グループ全体の経営メンバーの認識や考え方を揃える場になっているのですね。そしてこれを3ヵ月という短いスパンでテーマをローリングしていくことで、急速な成長がつくられていくのだと認識しています。

ユーザーと接しているときしか価値は生まれない

西:辻さんのリーダーシップのスタイルは、ユーザーと接するフロントを最も重視し、それを背後から支えるというCollective Genius(集合天才)型だと思います。

辻:ドラッカーの言葉に、「ユーザーと接しているときしか価値は生まれない」というのがあって、これはとても腹に落ちました。社内でいろいろと試行錯誤しますが、結局、お客様に伝わらなければ意味はない。ただ、うまくいっているときは背後からサポートしますが、困難な案件のときは私が自ら先頭に立ちます。難しいけれどインパクトのある新規事業は自分がやらなくては、とも思います。そこは使い分けをしていますね。また当社はCXOのクオリティがすごく高いのでありがたいと思っています。

西:まさに一人ではなく、集合天才型なのですね。さて今後についてうかがいます。規模の大きい、例えばBtoBのマーケットを狙うとなると、グループジョインも規模が大きくなるのでしょうか。また、日本で磨かれたプロダクトを海外で展開するのでしょうか。

辻:M&Aは劇薬なので、仮に大規模マーケットを目指したからといって、すぐにできることではありません。時間をかける必要があります。時間軸とマーケットを考えながらということになるでしょう。海外については、ユーザーフォーカスを重視するので当然、現地の人にやっていただくべきだと思っています。

西:最後に辻さんの理想の経営とは?

辻:売上や成長は目標ではないですね。現場の一人ひとりが、無理せずに、やるべきことをやっていると、ユーザーに素晴らしい価値を提供し、結果として自然に成長できていること。自分としては、それが可能になる戦略を作りたいと考えています。

西:本日はありがとうございました。今後の一層のご活躍を応援しています。

富士通×グロービス共催セミナー 日系5社CHROが提言 企業価値向上につながる人的資本経営とは

人材を資本として考え、企業価値の向上や成長につなげる「人的資本経営」の確立は、
今、注目のトピックであり課題です。これをテーマとしたセミナーが2023年5月16日に、
富士通とグロービスの共催により開催されました。今回は富士通株式会社 CHRO平松氏による
基調講演と、丸紅株式会社 CHRO鹿島氏、平松氏、グロービス西による
パネルディスカッションのダイジェストをお伝えします。

[基調講演]企業横断でCHROが討議 人的資本経営のフレームとは

「人的資本経営」の実践は今、喫緊の課題である。もともと日本企業は人を大切にし、長期雇用の中で時間をかけて社員に体系的教育を施すなど、人に投資をするのが特性だったはずだが、人的資本経営ができていないと評されるようになったのはなぜなのか。また情報開示の義務化が進む中、経営と人事の連携などに取り組むより、開示自体を目的にしているような傾向も見られることに私個人としては違和感もあった。

しかし理由はどうあれ、こうした課題が出てきたことは、人事にとって一つのチャンスだと考えられる。人事の戦略や施策が、企業の成長や業績向上に貢献できることをストーリーとして説明し、人材への投資をより積極的に促すことができると思うからである。しかしこうしたことは一社だけより、複数社が集まって考えた方が良いはずだ。そこで、人事の分野で先進的な取り組みをしている5社(富士通、パナソニックホールディングス、丸紅、KDDI、オムロン)のCHROに声をかけ、グロービスのファシリテーションのもと実践的な議論を行い、情報発信をすることをめざした。これが2022年3月に始めたCHRO Roundtableだ。
その成果であるCHRO Roundtable Reportの中では人的資本経営を深めていく「人的資本価値向上モデル」を提示している。これを結実させるまでの議論自体も、非常に大きな意味があったと思う。その進め方はこうだ。まず各社が持つ理念、パーパス、ビジョン、そして課題や注目事項などをどんどん出してもらい、整理していく。すると、モデル化が可能であることが見えてきた。そこで、「人的資本価値向上モデル」と名付けた一つのフレームを作り、各社の事情や条件に合わせて、人事施策、人材育成・登用などの流れをここにマッピングしていくと、一つのストーリーを考えるための体系図ができる。次にそれに必要なKPI設定、モニタリング、データ活用の在り方を議論し、決めていく。最後に、完成したモデルに合わせたストーリーで各社が人事の施策を発表し、フィードバックしてもらった。この行程は、非常に勉強になるとともにこれまでにない刺激的な挑戦だった。

こうした中で、「人的資本価値向上モデル」には二つの取り組みがあることが見えてきた。
一つは企業として成果を生むための取り組みである。企業は、理念やパーパスの実現に向けて、ビジョンや戦略を立案し、利益を上げるという活動をする。そのために、人材ポートフォリオを描き、どのような人材が何人くらい必要かという要件定義をし、人材の獲得や配置を決める。人事部門は、ビジョンや将来の業績の実現を、人材ポートフォリオによって支援するともいえる。
もう一つは、組織風土や社員のマインドに関わる持続的な効果を生む取り組みである。具体的にはエンゲージメント向上、人材流動化、個人のキャリア意識などに関わる。これは成果を生む取り組みを、より効果的にするものだ。持続的な効果を生む取り組みについては、業績との因果関係を実証することにはあまり価値はないと思っている。それよりもフレームの中で、項目同士の関係をモニタリングしたり、KPI化したりしながら、うまく管理し循環させていくことが重要である。
CHRO Roundtableでは、富士通の蓄積したデータを積極的にオープンにした。人事に関する指標(流動性など)と、業績の数字(一人当たり売上高の伸び率)などを出し、その相関を探った。それを俎上に載せ、他社のCHROと議論をしていくと、要素間のさまざまな相関関係が見えてきた。さらにそれをもとにして富士通の人的資本経営のイメージをストーリーとして組み立てた。富士通には、DXカンパニーへと転換し、持続的成長をめざすというパーパスがあり、それに必要な事業ポートフォリオがある。このことを前提に、求められる人材ビジョン、人材ポートフォリオを明確にし、それらを実現するための人事施策、人事管理、教育などを検討した。例えば、エンゲージメント向上には、個人の意欲、組織ビジョンの共有などが有効ということが定量的に証明されたことで、それに必要な施策を講じる、といった考え方である。

今回のようなモデル、手法ができたことによって、人事施策をわかりやすく、一貫性のある形で説明でき、理解を促進できたと感じている。CHRO Roundtableでは人的資本経営について各社のCHROから客観的な意見と知恵をもらうことができた。同時に自社の強みも再認識できた。そして何より今後の改革への勇気をいただく貴重な経験ができたことを深く感謝している。

[パネルディスカッション]CHRO Roundtableを経て見えてきた、人的資本経営の本質と可能性

経営戦略とつながる人材戦略の意味

西:まずパネリストのお二人に日本企業におけるCHROの役割についてのお考えをうかがえればと思います。

平松:私は富士通の執行役員・人事本部長でしたが、CXO 体制になり、CHROを拝命しました。CHROは経営戦略の中の人材戦略をCEOや他のCXOとともに作り、実行に責任を持ち、障害があれば改革します。これに加え、戦略的人事を行うのもCHROの役割だと思っています。

鹿島:丸紅で2017年から6年間人事部長を務め、この4月から当社初のCHROとなりました。私は経営戦略と人材戦略をつないでいく役職だと思っています。そして、人材戦略の新たな策定に加えて、作った人材戦略が経営戦略から乖離しないようにすることが大切だと認識しています。まだまだこれからですが、模索しながら前進していきたいですね。

西:「人的資本経営」というキーワードが出てきたのは数年前ですが、それが出てくる前と、今求められていることを比べたときの違いはどうですか。

鹿島:確かに人事部長時代にも人材戦略を作り、社内に説明していました。しかし当時は、人材戦略を経営戦略上の必要性から説明することはあまり意識していませんでした。経営視点からの説明に関係する部分はわずかで、人事の行った制度改革を人事の視点で説明することが大部分でした。そこが現在の人的資本経営との大きな違いですね。

平松:当社が実施している投資家向けのESG 説明会で、人材戦略について聞きたいと言われたことがあります。そのとき社外の投資家に理解していただけるほど練りあげた人材戦略があるのかと考えざるを得ませんでした。また人への投資は意識していましたが、業績や成長というリターンを想定して人材へ先行投資する発想は乏しかったことに気づきました。この二つが大きな変化ですね。

西:人材戦略についてプレゼンしたとき、投資家が投資したくなるような説得力を持つか。つまり、この会社が中・長期的に成長すると判断できるような、ロジカルな人材戦略やストーリーがあるかが課題です。しかしこれを可視化して説明するのは難しいですよね。

鹿島:一義的には投資家向けの説明なのかもしれませんが、私は実は社員もこういう説明を求めていたのではないかと、最近、特に思うようになりました。

西:今、さまざまな企業が、可視化や説明責任を果たす努力をされていますね。そうした中で、過去との違いを踏まえて現在の人材戦略や施策について話していただけますか。

平松:富士通がパーパスドリブン企業になると決断した頃から人事にも変化が出てきました。従来は現状の課題を見て、対症療法的に施策を出していたのですが、ありたい姿や将来の世界像からバックキャストして、人材像を描く、人材戦略を策定するといった姿勢になってきたと思います。みんなが向かう方向を信じて進むにはこのやりかたでないと難しいことがわかってきたんですね。

鹿島:CHRO Roundtableが始まった頃、富士通のデータを見せていただいて圧倒されました。当社ではとても、ここまでのデータを蓄積できていませんから、ここから始めなくては、と考えました。今、行っていることとしては、エンゲージメントサーベイの結果などを深掘りすることです。組織と個人の間にはエンゲージメントが存在しているので、それがどうなっているかを明らかにすることは人事のアウトプットとして有効だと考えたからです。部署、階層、年齢、性別などによるクロス集計、分析をしていきます。エンゲージメントと言うと、どうしても全社平均スコアが何点、といったことが注目されがちですが、部署や階層ごとに考えることがとても大切です。例えば部署ごとの課題を発見したら、改善プロジェクトを走らせます。従来はここまで細やかな対応はしていなかったので新しい成果であると思います。

人的資本経営をデータで可視化、ストーリーで語る

西:この5、6年は組織や人のデータの可視化が進み、企業がそれをどう経営に活かすかを考えるフェーズに入ってきたと思います。CHRO Roundtableの5社だけでなく、日本企業全体が変わっていけばと考えているので、5社に限らず、他社でも再現できるノウハウ、プロセス設計、課題などは今回のレポートですべて開示しています。

平松:初回はいつか日本の企業の参考になるアウトプットができたら、くらいの思いでしたが、CHROの方々と議論し、アイデアを熟成させ、考えれば、成果は出るものだと実感しましたね。

西:個人的には、人的資本経営を一つのモデルに落とし込めたのは最初のブレイクスルーだったと感じています。ファシリテーターを務めて感じたのは、5社のCHROはいろいろな試みをしてきたこと、そしてそれらを構造化してから見ると、大きく二種類があることです。一つは「土壌づくり」で、ESGのSの中のエンゲージメントなどです。P.11 図2の赤の部分ですね。もう一つは種を蒔いて収穫する、つまり「成果創出」で、青の部分です。これらを可視化できたことが有効だったと思います。

鹿島:この気づきは非常に大きかったですね。それぞれの項目のつながりもかなり議論したので、ストーリーに落とし込みやすくなったと思います。

西:CHRO Roundtableが成果を出すうえで大きかったのは、平松さんが富士通のデータをすべて開示してくださったこと。そこには平松さんの思いがあったのですか。

平松:人事はデータを豊富に持っていますが、それを人材施策やビジネス戦略に活かしきれていないことは感じていました。もう一つ、データ分析自体は本質ではないと思ったので、あまり時間をかけたくなかったんです。本質は専門性を持つ方々を巻き込んでデータを活用、ナレッジを蓄積し、それを使いこなして戦略や施策を立案すること。ならば、さまざまな知恵、経験を持つCHROの方々に素材として使ってもらうことが望ましいし、その方が私たちにとっても大きなメリットがあると考えました。

鹿島:実際の分析や結果を目の当たりにしたことには大変インパクトがありました。データに基づいた人材戦略はこれからの人事の機能として、社内でやるか社外に出すかはさておき、必須だと思いました。

西:必ずしもきれいなデータが取れるとは限らないなど懸念もありましたが、平松さんはどうお感じでしたか。

平松:データ分析作業に携わった方々は試行錯誤で大変だったと思います。まずはどういうデータが必要かというより、とりあえず使えそうなデータだけでやってみたわけです。そこから今度は人事データとしてこれを使いたい、という欲が出てくる。そうなれば絞り込めるという感じですね。

西:モデルで一度、試作をし、仮説を立ててから取るべきデータを考えた方が効率的ということですね。さて、今回はこのように、人事と経営の指標の相関関係までは導くことができました。次のステップはどう考えていますか。

平松:ここまで来たら、因果関係の把握にチャレンジしたいですね。年数が経てばさらにデータやフィードバックも増えるので、可能かと思います。

鹿島:当社は、まずは十分なデータを整備するのが最優先ですね。それとデータを扱う人員をそろえることに力を入れたいと考えています。

西:人事戦略において、ストーリーを作成することの意味や力についてはどう捉えていますか。

鹿島:説明する側から聞く側に回って、人事制度を経営戦略と結びつけて説明していただいたことは刺激的でした。社内外でこれを実践していきたいです。

平松:対内的には、社員は、さまざまな人事制度や人事施策に対してそれが何の役に立つのか、曖昧にしかわからない感じがあったと思います。ストーリーを立てることで、それが腹落ちして理解できるようになると思います。また対外的には投資家、就職志望の方々などに、より魅力的な説明ができることを期待しています。

西:同じ社内の事業部長や部門長に対しても、数字、ストーリーが一体となった形で人事施策を説明すれば、より理解を得やすくなるし、結果として実行しやすくなると思います。今後、今回出てきた知見を、ぜひ各社で活用いただき、その成果を語っていただきたいと思います。

【モデレーター】西 恵一郎

株式会社グロービス
グロービス・コーポレート・エデュケーション フェロー

2000年三菱商事に入社。グロービスでは法人向けコンサルティング事業で、リーダー育成、組織開発を伴う組織変革に一貫して従事。2011年から中国法人立ち上げを行い、2017年から2023年6月まで法人事業の責任者を務める。現在は、グロービスのフェロー、富士通株式会社のCEO室 Co-Headとして全社経営戦略を担う。

【パネリスト】平松 浩樹

富士通株式会社 執行役員 EVP CHRO

1989年富士通株式会社に入社。2009年より役員人事の担当部長として、指名報酬委員会の立ち上げに参画。2018年より人事本部人事部長として2020年4月に導入したジョブ型人事制度の企画・導入を主導。2020年4月より執行役員常務として、ジョブ型人事制度、ニューノーマル時代の働き方・オフィス改革に取り組み、2021年より現職。

【パネリスト】 鹿島 浩二

丸紅株式会社 執行役員 CHRO

1989年丸紅株式会社に入社。以後、一貫して人事業務に従事。2001年から米国・二ューヨーク、2013年から中国・北京に駐在。2017年4月に人事部長、2023年4月執行役員CHROに就任。人財戦略として、「マーケットバリューが高い人財が集い、活き、繋がる丸紅人財エコシステムの形成」を掲げ、処遇、タレントマネジメント、働く環境の三つの視点から人事制度改革に取り組んでいる。

全編動画はこちらhttps://globis.jp/article/58029