グローバル人材育成最前線:住友化学事業部長がアフリカ・タンザニアで学んだこと
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中井 大介
グロービス講師
国内よりも距離のハードルが高まるグローバルマーケットにおいて、我々日系企業は”現場感の欠如”をどのように埋め、直面する課題を解決していくのか。今回は、アフリカにおいて、マラリアの予防を目的とした防虫蚊帳「オリセットネット」の事業を成長に導かれた水野達男・Malaria No More Japan 専務理事(住友化学株式会社より出向)をお招きし、グロービス・コーポレート・エデュケーションのマネジャー・中井大介によるインタビュー形式でお届けします。
住友化学の常識を超えたオリセットネット事業
水野達男氏 (Malaria No More Japan 専務理事/前住友化学株式会社ベクターコントロール事業部長)
中井:連載コラム「グローバルビジネスの最前線と、そこで求められる人材とは?」の第一回では、弊社/高橋より、グローバル化を推進する我々日本企業が、人/組織の側面で3つの課題に直面しており、その課題を解決する肝は”現場感”であるとお伝えしました。今回、日本から遠く離れたアフリカの地で、これらの課題を乗り越え、事業を成長に導かれた水野様にお話を伺い、グローバルリーダーの人材要件および育成課題を、引き続き、”現場感”というキーワードで紐解いて参りたいと思います。貴重なお時間をいただき、感謝申し上げます。
中井:まずは、読者の方向けに、オリセットネット事業の概要と今回インタビューをお願いした理由を簡単に述べさせていただきます。オリセットネット事業はアフリカにおけるマラリア防除用の蚊帳を現地で生産、販売している現地企業と住友化学の合弁事業で、住友化学のCSR活動、そしてBOPビジネスの成功例として既に様々なところで取り上げられています。アフリカというと一見多くの企業に関係のない話のようにも思えますが、新興国におけるビジネスに普遍的な成功のエッセンスが詰まっています。それは現地に適したビジネスモデル、現地での生産を通じた現地社会の成長発展への寄与、経営の権限移譲などを見て感じていることです。もちろん最初から成功していたわけではなく、その成功までのプロセスにこそ、学ばせていただきたい要素が詰まっていると思います。それでは、まず始めに水野様ご自身がどのような形でオリセットネット事業に関わり始めたのかというところからお伺いできますか?
水野:私自身は、2007 年にベクターコントロール部へ異動し、その後2008 年10 月には、事業部へ昇格となり、初代ベクターコントロール事業部長に就任しました。事業運営におけるもっとも大きな決断は、2008 年2 月に、3 千万張の生産規模を6 千万張に拡大する投資を行ったことです。WHOの試算では続く二年間で2憶五千万張の需要がありました。その4割を住友化学が取りたいと考えると、増産しなければならない。私はそれを現地アフリカで行いたいと考えました。当時、社長であった米倉氏がその投資を認めてくれました。
「少しでも早く届けたい」という思いから生まれたデリバリの仕組みが、差別化の源泉となった
(写真:オリセットネットPhoto by Maggie)
中井:現地における経営の仕組みや当時の課題はどのようなものだったのでしょうか?
水野:実務に当たるジョイントベンチャーは、トップ以下基本的には現地の方々で構成されています。我々は支援する立場ではありますが、ジョイントベンチャーのトップとパートナーを組み、現地でも多くの時間を過ごしてきました。私自身は現地でのグローバル化を支援する本社側の立場であるとともに、現地のトップの一人として、事業を推進する立場でもあったということです。 大きな課題は二つありました。一つは現地の人を使っての品質向上、もう一つは製品のデリバリでした。話としては品質向上が先にありますが、中でも苦労したのは、デリバリの仕組みでした。どうやって必要な人に蚊帳を届けるか。この工夫が事業の差別化につながりました。 もともと蚊帳はアジアの文化で、アフリカにはありません。現地の方々は蚊がマラリアを媒介していることも知らないのです。今でも4割くらいの人が知らない。果物食べ過ぎとか、迷信とか、そういうことが原因と思われています。このような中で、オリセットネットをどのように普及させていくか、そこには大きな壁がありました。 また実際の物流でモノをローカルの村までどう運ぶか。その手段に苦労しました。 辿りついたのが、バウチャープログラムです。タンザニアには、クリニックが約7000あります。そのクリニックで、バウチャーというチケットをもらい、小売店に持っていくと、オリセットネットを安く買うことができます。理屈で理解してもらうより届きやすい体制を作り普及させていく。それが私たちの戦略でした。 私たちは小売店からそのバウチャーを回収し、国からお金を支払っていただきます。実は、この制度は在庫管理にもなるのです。携帯電話のSMSメールでのバウチャー番号の送受信だけで、どの小売店で売れたかがわかります。なくなりそうになったら、小売店に納めればいいのです。 その小売店までどうやって運ぶかというのも大きな問題です。アフリカはとてつもなく広い。その中で、約12500の小売店に配りたい。日本であれば住友化学が自らやる必要はないのですが、現地に物流を担ってくれる企業はありません。自分たちで180台以上の車を持ち、自分たちで運んでいます。しかも、道路はとても道路とは言えない。一度雨が降ると、車は通れなくなります。雨期と乾期で様相ががらっと代わり、道も異なり、どっちに行けばいいのかもわからない。最後はロバや人が運ぶ。但し、このデリバリは他がやってないので、ものすごいアドバンテージがあるのです。
中井:日本とは異なるやり方について、本社の理解はいかがでしたか?
水野:いろんな反応がありました。ある程度の規模の会社の管理職になると隣のやっていることが気になったり、間接的に従来のルールに照らして合わないと、非協力的なことも当然あります。この事業はトップダウンで、最初は利益も上がっていませんでした。本来、住友化学の間尺に合わない、などということを言われて、部下のモチベーションが下がったこともあります。でも、そんなことを言われてもこっちはちゃんとやっていると考えていました。ハンコが必要なときは、自分で書類を持って回ったり、トップのサポートを引き出したりと、いろいろやりました。 「少しでも早く届けたい」という思いがあったのでできたと思います。
「メーカ-が海外拠点を出すということは、現地の人を育てることがミッション」
(写真:アリューシャ工場内のカッティングライン)
中井:もう一つの課題は品質向上だったと先ほどうかがいました。アフリカでの現地生産は住友化学しかやっていないと伺ったことがあります。現地生産の難しさや品質面での課題とはどのようなことだったのでしょうか。
水野:振り返れば、工場においては想定外の連続でした。たとえば、そもそも、モノづくりにおける品質ということを全く理解していない従業員が多く、そのための説明も通じないことが多かったのです。例えば、物を折りたたむ、ということをしたことがない従業員が多く、「角を合わせて折りたたむ」ということの練習から始めました。また、折り紙の概念を活用して、それぞれのプロセスの大切さと、プロセスどうしのつなぎ目の大切さの両方を教える。仲間と分業しながらいかにきれいな作品を作るか、といったチームワークのワークショップを行い、品質向上の意識を植え付ける、といったこともしました。
中井:そのような苦労をされながらも、生産拠点としてアフリカ、現地の方で、という点にこだわられたのはどうしてなのでしょうか。
水野:アフリカの人を育てたいという思いがあったからです。辞令が出た時から、メーカーとして現地に拠点をつくるということの意味合いは、アジアと比較して遜色のないものをつくれというミッションだと考えていました。 アフリカに行ってみると、向こうの人も競合はアジアということは理解していました。一方、優秀でも今の位置でもいいというのが現地のリーダーで、この人たちに向上心を持ってもらうことが重要でした。 そこで私は現地のリーダーたちに「この蚊帳をアジアで作るかアフリカで作るかを決めるのは俺たちだ。住友化学がアフリカから撤退したとなると他の日本企業はもう進出しない」とよく言っていました。住友化学で求める品質を知ってもらうために、ベトナムの工場に彼らを視察に送りこんだこともあります。彼らも人間なので、同じ人間なのにこちらでできて、自分たちができないということを目の当たりにして、気持ちに火がついたのです。
「現地トップの仕事とは、現地で起きている問題を正確に理解すること。現地にいるイコール見えているとは限らない」
中井:一度火のついた気持ちを持続させたコツは何かありますか?
水野:やはり一つは小さなインセンティブです。勤勉にやれば我々がインセンティブを与えるので、普通はのんびり仕事をするところが、うちの工場の従業員は走っています。 ただ、実はインセンティブを理解していただくのも一苦労でした。そのために、お金に関する教育から始めたのです。彼らは貯蓄の概念がありません。給料を受け取るとスペンド・モードになります。そうすると、次の日から工場に来なくなる。もらったお金をどう使うかしか考えないのです。 そうして、お金がなくなったら、また工場に戻ってくる。そこで、節約や貯蓄の概念を教えました。給料の二割を会社側で貯蓄して、数ヶ月経ったら利子を付けてあげる。それで、溜まったお金を渡すとびっくりするのです。そういう、生活に役に立つことを教えて、変わっていきました。ここにいるといろいろ教えてくれるというわけです。
中井:文化の違う国でビジネスを進めるときに、ビジネスのことだけを見ていても解決策がみつからない問題があるのですね。
水野:そうです。現地トップの仕事として重要なのは、現場で起きていることを正確に理解することだと思っています。そのために、一緒に過ごすことを大切にしていました。共に過ごし、伴に話す。ランチを一緒に食べる。一緒に工場を歩く。この人とうまくやりたいと思ったら一対一で過ごす。相手が悩んでいるときは、話を聞く時間を大半にして、最後にポロっと「俺、こうしたらいいと思うんだけど」と言う。半年くらいしたら、その人がそういうことやりたいと言っている。こうしたいということは、ちょっとだけ言う、言い続ける。そうやってきました。急いだらダメなんです。
「解決策は現地にある。だから現地の人間と共に時間を過ごすことを大事にする」
中井大介(グロービス・コーポレート・エデュケーション)
水野: 現地にいる日本人で、この人は現地のことが見えていないなと思う人も残念ながらいました。聞いたことを上に伝えるだけの人ではだめです。問題解決をするために自分が何かしないと、という気持ちがないと何も見えません。現地の人間が、「彼がいると本社につないでくれる、彼がいると問題解決のアイデアを出してくれる」と感じると、話してくれたり、アイデアを出してくれたりする。解決策は現地にあるのです。私自身、いろいろと失敗はありましたが、現地で多くの時間を使い、現場を歩き、時間を共有したからこそ、うまくいったのだと思います。 また、現地に行った際は、できるだけ病院や診療所・クリニックに足を運ぶようにしています。マラリアで亡くなる幼い子供も、その横で落胆する若い母親も何人も見ました。この人たちにオリセットネットを届けたい。そう強く思うようになって活動してきました。
中井:現地の状況を肌で触れることで、日本のやり方をまず置いておいて、現地の本質的な問題が何かをつかみ、現地流の解決策を模索する。その営みを進めるうえで、そもそもなぜこの事業をやる必要があるのかも強烈に問われるということですね。 水野さんが企業研修で講演される際に、必ず住友化学の理念である「自利利他 公私一如」について語っていらっしゃるのですが、その背景が見えたような気がいたします。
「日本企業・日本人は一歩前に踏み出して欲しい。外に出てみて感じることがあるはず」
中井:それでは、最後にグローバルで活躍する水野様からご覧になって、日本企業がグローバル化を進める上での課題としてどのようなことをお感じになっているか、お聞かせいただけますか?また、日本企業においてグローバルリーダーの育成に取り組む方々に向けたメッセージをいただければと思います。
水野:現在、私はMalaria No More Japanに活動の場を移し、オリセットネットによる予防だけではなく、マラリアの撲滅に向けて、まずはマラリアの存在を広く、国内とアジアの人達に知ってもらうよう、世界の方々に活動しています。その活動の中で、医療・医薬関連の国際会議に出席するのですが、おどろくほど日本人が少ない。国際会議が全てではありませんが、もっと海外に出て、世界に触れ、日本のプレゼンスを上げていく必要があります。一歩踏み出して、外に出てみる。そうすれば、自分の中に自然といろいろと感じることも出てくるでしょう。 世界はどんどん変わっています。日本の将来に悲観的な方もいますが、我々も変わればいい。変われれば生き残れます。私自身も、58歳ですけど、チャンスがあればもう一つ大きなところにチャレンジしたい、そう思ってMalaria No More Japanに活動の中心を移しました。チャンスは自分がチャンスと思えるかどうかです。チャンスかなと思ったときに、一歩前に出て掴むことは大事だと思います。
中井:ありがとうございました。今後も、企業研修などで、水野様のご経験を多いに語っていただき、グローバルリーダー育成をご支援いただけますと幸いです。本日は貴重なお時間をいただき、改めて御礼申し上げます。
コンサルタントの視点:課題を的確に捉え、解決策を考え、使命感を持って実行していく。 現場感はこの“当たり前”を海外でも実現するための鍵である。
それでは、ここまでの水野氏のお話から感じたことを、筆者のコンサルタントとしての視点からまとめておきたいと思います。 水野氏の話で印象的だったのは現地へどっぷりと浸ることで見えてくる風景、自身の認識の変化です。水野氏は工場に何度も足を運び、パートナーや従業員とかなりの時間を共有されていました。また、工場だけではなく、病院にも毎回足を運び、自分たちの商品を必要としている人々に触れていたことも見逃せません。現地にここまで浸ることで、水野氏自身の”現場感”が醸成され、その”現場感”が現地でビジネスを成功させるために必要な次の3つのことをもたらしたのだと感じます。 (1)現地における本質的な課題の理解 (2)現地に適した解決策のアイデア (3)課題を捉え、解決策を実行する上での使命感 課題を的確に捉え、解決策を考え、使命感を持って実行していく。これらはビジネスでは当たり前のことです。しかしながら、日本を離れ、文化も働き方も違う人々の中、乏しいリソースで新しい事業に挑戦する過程においては、このような当たり前のことを高い次元で行うことが極めて難しいことは読者の皆様もご存知の通りです。 オリセットネット事業では、バウチャープログラムや自社物流機能など現地に適したビジネスモデルを構築されていました。また、折り紙を使ったものづくり教育やお金の教育など、組織づくり・人づくりにおいても日本の常識では考えられない現地ならではの取り組みを実践されていました。このような現地に適したビジネスモデル・組織マネジメントは、水野氏が現地に深く入り込み、失敗も経験しながら、様々な工夫をしてきたからこそ生まれたものです。現地に浸り、現場感を持てたからこそ、課題を的確に捉え、解決策を考え、使命感を持って実行していくという当たり前のことを高い次元で実行することができたのです。 それでは、我々が”現場感”を持ったグローバルリーダーを目指すには、とにかく現地にどっぷり浸ればそれで十分なのでしょうか? 現地に浸る前に、我々が備えておくべき要件、磨いておくべき能力はないのでしょうか? この点についても、我々は水野氏から大事なことを学ぶことができます。グロービスが提供しているリーダー育成プログラムにおいて水野氏に講演していただいた際の参加者の感想は、水野氏が備えている情と理のバランス、そして自分自身の軸への感銘に収斂されます。参加者は、その彼我の差に大きな危機感を持つのです。私も何度か水野氏の講演を聞かせていただきましたが、水野氏はこのような情と理のバランスや自分自身の軸をオリセットネット事業に携わる以前からお持ちだったと感じています。これらの要件を備えていたからこそ、現地の方々に受け入れられ、現地で何が大事かを知るに至ったのです。これらの要件もあまりにも当たり前のことかもしれません。しかしながら、情と理のバランスや自分自身の軸を備えているリーダーがまだまだ不足していることも事実です。 以上、今回は、水野氏へのインタビューをもとに、”現場感”の重要性と、”現場感”を持ったグローバルリーダーになるための要件について考えてきました。 次回は、グロービスが提供しているグローバルリーダー育成プログラムを紹介しながら、どのようにすれば”現場感”を醸成できるか、あるいは、グローバルリーダーが備えるべき要件を身につけることができるかについて、紹介する予定です。 執筆:中井大介 全体構成:加藤康行 グロービス・コーポレート・エデュケーション マネジャー
水野達男氏ご経歴
Malaria No More Japan 専務理事(前住友化学株式会社ベクターコントロール事業部長) 1955年2月 兵庫県 西宮市生まれ。 1979年 北海道大学農学部卒業後、米系外資化学・薬品メーカに21年勤務し、1999年から住友化学。 2002年 レインボー薬品株式会社 常務取締役 開発室長を経て、2007年に住友化学株式会社 ベクターコントロール事業部長生活環境事業部 就任。 2012年11月より現職。 マラリア撲滅にむけた啓蒙活動、政策提言、さらに新技術開発の支援のためのNPO法人(現在申請中)を運営・指揮する。 ここ数年は、年に20数回 海外に出張、アフリカにも、年10回前後出張、滞在し、マラリア防圧のための仕事をしている。
※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。
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