社員のエンゲージメントに好影響を与える施策へ大胆に投資し、コロナ禍の苦難を乗り切ったCHRO の歩み

公開日
テーマ
  • CHRO
執筆者
  • グロービス コーポレート エデュケーションのプロフィール

    グロービス コーポレート エデュケーション

(左)株式会社ユナイテッドアローズ 執行役員 CHRO 山崎万里子氏
(右)グロービス・コーポレート・エデュケーション マネジング・ディレクター 花崎 徳之

コロナ禍で大きな打撃を受けた小売業界において、人事施策によって従業員エンゲージメントを大きく回復させたのが、株式会社ユナイテッドアローズだ。

同社の執行役員CHROの山崎万里子氏は、1996年に新卒2期生として同社へ入社。以来、広報宣伝や経営企画、マーケティングなどの責任者を歴任し、現在はCHROとして経営に携わる、生え抜きの執行役員だ。

コロナ禍の苦難を乗り越え、社員のエンゲージメント向上を軸に数々の変革をリードしてきた山崎氏の考えに迫った。

「社長以上に人材のことを経営レベルで考えて実践する」

山崎氏は、販売促進、広告宣伝などのマーケティング業務に長年携わり、人事部長および人事本部長を経て、2023年に執行役員CHROに就任した。

近年は日本でもCHROの役職を置く企業が増えつつある。しかし、その割合はまだ少なく、人事部長との役割の違いを見出せないケースもある。人事部長とCHROの両方を経験した山崎氏は、両者の役割の違いをどう考えているのか。

「人事部長はほとんどの会社にある役職で、職務要件がはっきり定まっているポジションです。対して、CHROは一言で表すと『経営者』。ミッションを自分で考え、社長以上に人材のことを経営レベルで考えて実践することが求められます。逆に言えば、CHROに人事部長の役割は求められていません」(山崎氏)

さらに、CHROは時代の変化とともに生まれたポジションであることをふまえると、CSO(チーフ・サステナビリティ・オフィサー)などと同様、「永続的にあるものではない」とも考えている。

「近年は人的資本経営への注目が集まり、HRにフォーカスすることが経営のトップアジェンダなので、人事の側面から経営を考えるCHROが必要です。時が経ち、人を価値創造の資本と捉え、その意思を尊重するマネジメントが日本企業の経営に根付いたら、CHROは不要になると思っています」(山崎氏)

株式会社ユナイテッドアローズ 執行役員 CHRO 山崎万里子氏

エンゲージメント調査の分析をもとに、人材育成への大胆な投資を決断

ユナイテッドアローズでは2018年頃から人的資本経営に向き合い始め、近年は様々な取り組みを本格化させている。

同社における人的資本経営は、エンゲージメントを中心に据えている。エンゲージメント(eNPS)調査を実施し、結果に基づいて次年度の投資対象を決めるのだ。

スコアに与える影響度が高い因子を分析すると、以前は、仕事量の多さがエンゲージメントにマイナスの影響を与えていた。しかし、コロナ禍に入ると一変したという。エンゲージメントスコアに悪影響を及ぼしていた因子は、仕事量ではなく、経営方針と教育だった。

その背景には、緊急事態宣言が出され、店舗の休業を余儀なくされたことがある。社員の8割以上を占める店舗スタッフは自宅待機となり、失職するリスクを感じていたという。「このまま、この会社にいていいのか」「店舗販売職という職種は残り続けるのだろうか」という不安がエンゲージメントスコアを大きく下げる因子となり、退職率も5ポイントほど上がってしまった。

「会社の業績が悪化し、お客様のロイヤリティも下がり、従業員エンゲージメントもマイナスになるという悪循環が生じてしまいました。これを好循環にするために、エンゲージメント向上に投資することで、業績を回復させられるのではないかと考えたのです」(山崎氏)

退職者が増える中でも同社に残った社員の多くが、ユナイテッドアローズの経営再建に貢献したい、そのためにマーケティングやデジタルなど今後のアパレル小売業に必要な分野を学びたいと考えていたという。

エンゲージメント調査結果と、社員の意思をふまえ、山崎氏は社員教育に大きな投資をする意思決定をした。

図:従業員エンゲージメント~顧客ロイヤリティ~業績は循環する(出典:beBit 16業界eNPS調査結果)

仕事に直結する分野だけでなく、周辺領域を学ぶ重要性

ユナイテッドアローズでは、学びたい社員が多いことを背景に、公募型でグロービス・マネジメント・スクール(GMS)へ通学する人材育成制度を取り入れている。

「会社に貢献したい意欲をもつ社員が望むことは、少しの賞与アップなどではなく、実務では学べない分野を学習できる機会でした。それを実現できるのが、GMSだったのです。仕事をしていると、過去の経験や販売スキルだけでは対処しきれない問題に直面することがありますから、今の仕事に直接関係しない分野を学ぶ機会は必要です」(山崎氏)

花崎も、「販売職の方々は、来店したお客様の期待に一生懸命応えるがゆえに、他分野に意識が向きにくい傾向があると思います。だからこそ、広い分野を学び、外の世界に関心を向ける人材育成は貴重です」と、周辺分野を学ぶ重要性に同意する。

デジタル化が進み、店舗スタッフは店頭での接客だけではない。オンライン接客、ECサイトやSNSでのコーディネート発信など、仕事の幅が大きく広がっている。これからも、周辺分野を学んでおくことで役立つ場面は豊富にあるだろう。

店舗をもち、シフト勤務をしている社員が全国にいる企業が人材育成に取り組むにあたっては、集合研修を開くことが難しいという悩みがある。同社では、参加する曜日や時間帯を選べるGMSへの通学制度のほか、オンライン研修を取り入れたり、午前中の3時間で集中研修を実施など、多くの社員が参加しやすい工夫をしている。

これらの豊富な人材育成制度によって、同社のエンゲージメントスコアは大幅に回復した。スコアの変動に影響する人事施策を明らかにし、投資対象を決定していく大切さを、山崎氏は改めて感じている。逆の視点から捉えると、社員には好評であっても、エンゲージメントに良い影響を与える施策以外は行わないという冷静な決断をしているのだ。

こうした人材育成制度を積極的に活用する社員が、トップランナーとして活躍しているという。売上が高く、かつ他者からの推薦があった社員を「セールスマスター」に認定する制度も設けている。

「自分で考え、自責で行動する姿勢をもって、自己改革している社員が大きく成長しています。当社では以前から、人材開発理念として『創造的商人』という言葉を掲げ、CS(顧客満足)マインド、商売マインド、クリエイティビティマインドをもつ人材を育成しています。近年は役職を問わず、このマインドをもちながらPDCAを自ら回す重要性が高まっていると考えています」(山崎氏)

「これからも時代の変化とともに必要なスキルも変わり続けることを考えると、経験だけではなく、学びによって得たスキルが役立つ時が来るはずです。トップランナーとして活躍する方は、このような成長が自然とできているのだと思います」(花崎)

グロービス・コーポレート・エデュケーション マネジング・ディレクター 花崎 徳之

業績を高めるためのエンゲージメント向上を目指す

エンゲージメント向上によって、危機を乗り越えたユナイテッドアローズ。次なる課題は、成長鈍化からの脱却だという。「業績を高める」エンゲージメントにフォーカスすべく、人的資本経営モデルとして「高いケイパビリティ」「高い心理的安全性」「高いエンゲージメント」の3つを柱としている。

セレクトショップ事業で成長し続けてきた同社だが、既存事業だけでは成長が頭打ちになると考えている。新たな市場への進出など、これまでとは異なるチャレンジをし、成果をあげるためにも、組織のケイパビリティが必要だ。

心理的安全性は、こうした新たな挑戦をする組織にしていくために欠かせない要素だ。心理的安全性の本来の意味は、安心して挑戦すること。周囲から阻害されない安心感や、残業がなく働きやすいことではない。

グロービスの花崎は、ユナイテッドアローズの一連の取り組みと今後の展望に対し、「戦略的な背景や外部環境変化をふまえたうえで、社員一人ひとりの心理状態に目を向けている点がすばらしい」との感想を抱く。マクロとミクロ、両方の視点を大切にしているからこそ、施策の実現可能性が高まる。

「エンゲージメントスコアの測定は世の中で注目を集めているだけに、スコアに一喜一憂し、社員の機嫌をよくするような取り組みに終始してしまうケースも散見されます。ユナイテッドアローズ様は、目の前のスコアに踊らされない施策を徹底していると感じましたし、社員が世の中に価値を届けるために挑戦することを後押ししていますよね。人的資本経営で後回しになりがちな人材育成にも、しっかり取り組んでいることを感じます」(花崎)

CHROとして、人事以外のスキルや経験、学ぶ必要性

山崎氏がCHROとして経営の舵取りをするにあたって意識しているのは、「情理と合理の掛け算」だという。人事の世界は情理を優先されがちだが、そこにデータドリブンの要素を取り入れ、バランスを取っていくことが大切だと考えている。

同社では、エンゲージメントスコアなどの定量データだけでなく、社員から寄せられた定性コメントに、CEOとCHROである山崎氏が全てに目を通す。そして、この2人以外がデータを見ることはないと社員に宣言することで、本音をコメントしやすくするとともに、高い心理的安全性を確保しているのだ。

数々の人事戦略を実行してきた山崎氏に、CHROに必要なことを問うと「人事以外の分野を勉強すること」という答えが返ってきた。

「CHROは経営者なので、人事しか知らないと太刀打ちができなくなってしまいます。遠回りかもしれませんが、人事の仕事をしていてCHROを目指したいなら、他の分野を学んだり多様な仕事を経験したりして、経営の全体像をおさえるべきだと思います」(山崎氏)

山崎氏自身は、マーケティングや広告宣伝の経験がタレントマネジメントに生かされているという。社員のインサイトを掴むとともに、最も貢献度の高いメンバーのニーズを把握し、施策に落とし込む取り組みは、マーケティングと共通する点が多い。「人事以外の知識やスキルと、人事のスキルを掛け合わせて自分の強みを出し、CHROのミッションを果たしている」と自らの経験を振り返りながら語る。

そして、経営の第一線に身を置く今も学び続けている。最近ではグロービス・エグゼクティブ・スクール(GES)へ3か月間通い、経営の幅広い分野を学んだ。知っている知識も多かったが、一通り学び直すことで自己理解が深まったという。

「自分のスキルが足りない分野に気づくとともに、経営判断をする際の思考の癖にも気づきました。他のメンバーがやっている仕事に、これまで以上に思いを馳せることができるようになったと感じます」(山崎氏)

花崎は、CHROに必要となるのは「自分が社長の立場なら、どう意思決定するかを常に考えられること」だという。経営の知識は必須。幅広い事業に興味を持ち、各ビジネスモデルがどのように価値を創出しているのかを理解する。また、バリューチェーンやサプライチェーンを統合するスキルとマインド、そして人間的な魅力を兼ね備えた人材こそが、CHROにふさわしいと考える。

ユナイテッドアローズで山崎氏が今後取り組みたいことは、多様な人材を雇用し、人材育成とサクセッションプランを通して、若くして抜擢される人材をつくることだという。こうした人材が出てくることで、組織が活性化すると考えている。

人を価値創出のための資本として位置付け、その意思を尊重するマネジメントが日本企業に根付き、CHROが不要になる日が来ることを望んでいる。

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