- サステナビリティ経営
サステナビリティ経営の実現に向けて ~カーボンニュートラルの次に来る‟生物多様性”~
経営者にとって、経営戦略における重要な要素は何でしょうか?収益性、市場シェア、ブランド価値など、様々な要素が考えられますが、近年、サステナビリティ経営を実現する上で「生物多様性への配慮」が企業価値向上と持続可能性に大きく寄与するということが注目されています。本コラムでは、生物多様性の重要性と企業が取り組む意義について考えてみましょう。
生物多様性とは何か
生物多様性(biodiversity)は、「生物的な=biological」と「多様性=diversity」の2つを組み合わせて作られた造語で、1985年にアメリカの生物学者によって提唱された概念です。1992年に制定された生物多様性条約では、3つのレベルの多様性を示しています。
- ・生態系の多様性:森林、里山、河川、湿地、干潟、サンゴ礁など、それぞれ独自の生態系が形成される
- ・種の多様性:動物、植物、細菌など、地球上には500万~3,000万種の生物種が生息すると推定されている
- ・遺伝子の多様性:同じ種でも異なる遺伝子を持つことにより、形や模様、生態などに多様な個性が生じる
私たちは生物多様性が保たれていることにより、自然から様々な恩恵を受けています。これを生態系サービスと呼びます。
たとえば、ミツバチは農作物の受粉に欠かせない存在です。彼らの活動によって、私たちは美味しいフルーツや野菜を食べることができます。しかし近年、ミツバチの減少が深刻な問題となっています。農薬や生息地の破壊などが原因で、ミツバチの数が減少し、農作物の収量や品質にも影響を与えています。
また、マングローブは海岸や河口の干潟に生育する植物であり、海洋生物の保護や津波の被害軽減に重要な役割を果たしています。マングローブ林がある地域では、漁業資源の確保や海岸浸食の予防など、地域社会への多様な利益をもたらしています。しかし、人間の活動によるマングローブ林の破壊が進んでおり、その影響は深刻化しています。
このように、生物多様性が失われてしまうと私たちの生活自体が成り立たなくなってしまうのです。
世界経済の半分は自然資本に依存している
生物多様性は我々の生活だけでなく、ビジネスにも深く関係しています。世界経済フォーラム(WEF)は、世界のGDP(国内総生産)の半分以上を占める約44兆ドルが、森林や土壌、水といった「自然資本」に依存していると試算しています。つまり、こうした自然資本を使い続けるだけでは、企業が持続的に経済価値を生み出すことができないわけです。
それにも関わらず、世界の人口増加と経済成長は生物多様性に深刻な影響を与えています。アマゾンでは過去50年間で熱帯雨林の面積が17%縮小し、水産資源の33%が乱獲状態にあるといわれています(図1)。WEFのグローバルリスク報告書2023年版でも、生物多様性の喪失や生態系の崩壊が、今後10年間の世界的な脅威トップ5にランクインしています。
出所:自然関連リスクの増大:自然を取り巻く危機がビジネスや経済にとって重要である理由、WORLD ECONOMIC FORUM、2023年10月に確認
こうした状況から、投資家の注目度合いも高まっています。2021年1月、Responsible Investor(RI)というメディアが、生物多様性に対する投資家の考えを取りまとめた報告書を発表しました。この報告書では、35カ国327人の投資家の回答から以下のような結果が示されました(※1)。
- ・84%の回答者は、生物多様性の損失についてとても懸念している
- ・55%の回答者は、2年以内に生物多様性損失に取り組まなければならないと感じている
- ・半数以上にあたる51%の回答者は、生物多様性は2030年までに世界の投資家コミュニティにとって、最も重要なトピックの一つになる
このように、生物多様性は経営者が知っておくべきホットイシューとなっています。
企業による生物多様性損失の事例
アブラヤシから生産されるパーム油は、世界で最も多く消費されている植物油脂です。パーム油という名称ではピンとこない方も多いと思いますが、植物油やマーガリン、界面活性剤などの表記で原料に表示されており、日本人は年間約5kgのパーム油を消費しています。世界のパーム油生産の85%を占めるインドネシアとマレーシアでは、パーム油の需要増加に伴い、熱帯雨林の大規模な伐採が行われてきました。1990年~2010年までの20年間に約360万ヘクタールの森林が、プランテーションへと開発されました(※2)。これは九州と同等の面積です。
多くの企業が熱帯雨林の伐採や焼畑農業を行った結果、生物多様性の豊かな環境が破壊され、オランウータンやゾウなどの絶滅危惧種を含む野生生物の生息地も同時に失われています。オランウータンの個体数は、100年前に比べると約80%も減ったといわれています。スマトラ島では、過去75年の間に個体数が80%も減少、ボルネオ島でも過去60年の間に個体数が半分になったと考えられています。
こうした背景から、環境NGOによる企業への抗議活動も行われました。2010年、国際的な環境保全団体であるグリーンピースは、ネスレがインドネシアの森林破壊された熱帯雨林からパーム油を調達していることについて問題視し、キットカットのパッケージ内にオランウータンの指が入っているビデオを上映する抗議活動を開始しました。
キャンペーン開始直後は大きな影響はなかったものの、その後、動画が口コミで拡散し、さらに、グリーンピースがネスレの年次総会を抗議活動で妨害すると、株価が4%、時価総額も約90億ドル急落する事態となりました(図2)。これを受けてネスレは、自社のサプライチェーンの監査を行い、自社の使用するパーム油の50%を2011年末までに持続可能な調達に切り替えることを発表しました。このように、企業が生物多様性を無視してビジネスを行うことは、社会的な操業許可(ソーシャルライセンス)を失うばかりでなく、直接的に企業価値を損なうリスクを伴います。
出所:生物多様性とビジネス~危機的現状とビジネスの可能性~(完全版)、アクセンチュア、2023年10月に確認
企業に求められる情報開示
ここまでで、ビジネスと生物多様性の関係性についてご理解いただけたのではないかと思います。では、企業はどのように生物多様性への取り組みを進め、伝えていけばよいのでしょうか。開示基準となるのが、TNFD(Task Force on Nature-related Financial Disclosures:自然関連金融情報開示タスクフォース)です。
TNFDは、企業や金融機関が自然資本との関わりをどのように評価し、情報開示するかの枠組みを開発するために設立されました。TNFDは、TCFD(気候関連金融情報開示タスクフォース)の成功を受けて、生物多様性および自然環境に関連する情報開示の基準を策定することを目指しています。TNFDが2023年9月に公表した枠組みでは、TCFDと同様に「ガバナンス」「戦略」「リスクとインパクトの管理」「指標と目標」という4本の柱、14の開示項目が盛り込まれました(表1)。
出所:Getting started with adoption of the TNFD Recommendations、Task Force on Nature-related Financial Disclosures、2023年10月に確認 を元に作表
また、TNFDは業種に関わらず開示を求める内容として、「グローバル中核指標」を示しています。たとえば、土壌に放出される汚染物質の種類別の総量や、水ストレスのある地域からの総取水量や総消費量、使用・販売するプラスチックの重量などが含まれます。つまり、企業がサプライチェーン全体でどれだけ自然資本を使い、どれだけ悪影響を及ぼしているか、可視化して公開する、ということが求められているわけです。
TNFDは、2024年のダボス会議に向け、自主的に開示を宣言する企業を募集し、公表することを予定しています。まずは自主開示が求められるわけですが、TCFD同様、近い将来に開示が義務化される可能性は高いでしょう。まずは、自社のサプライチェーン上における自然資本との関係を分析し、正負の影響を洗い出すことが必要です。
次回は、サステナビリティ経営の実現に向けて先駆的に生物多様性の保全に取り組み、そして、自社が儲かれば儲かるほど自然資本も増える、というネイチャーポジティブに挑戦する企業の事例についてご紹介します。