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財務が「フロントランナー」になる――キリンHDが挑む財務機能人財の育成

経営環境が激変する時代においては、リスクをマネジメントしながら事業を持続的に成長させることが不可欠です。近年、この両立を担う機能として、日本企業でもFP&A(Financial Planning & Analysis:財務計画・分析)組織の設置を進める動きが広がっています。しかし、組織を置くだけで実際に財務機能が事業をリードできている例は、決して多くありません。従来の「与えられた役割のもとで正確な仕事をする」というマインドセットが壁となり、現場に入り込みながら戦略的な示唆を出す自律型人財をいかに育てるかは、大きな課題です。
キリングループ様では、財務機能人財を「数字を管理する存在」から「事業の意思決定をリードするフロントランナー」へと変革することを目指しています。その実現に向け、2025年よりグループ各社で財務機能を担う人財を対象とした半年間の育成プログラム「企業価値向上フロントランナー育成プログラム」(以下、本プログラム)を、グロービスと共に実施。受講後には、事業部門へ自ら入り込み、能動的にコミュニケーションを取るといった行動変容も生まれ始めています。
今回は、キリンホールディングス株式会社 執行役員 財務戦略部長 松尾英史様と、本プログラムで講師を務めるグロービスの鷲巣大輔が対談し、財務機能の変革に込めた思いや、本プログラムを通じて生まれた変化などを語りました。(役職・プロフィールはインタビュー当時)
時価総額3兆円へ。財務が企業価値向上をリードする
鷲巣:キリングループでは、財務機能の強化に向けて、かねてから様々な取り組みをされていますね。まず、現在の構想からお聞かせいただけますか。
松尾:私たちは今、2035年に向けた新しい長期ビジョン「Innovate2035!」のもとで動いています。経営理念であるCSVの考え方は変わりませんが、今回のビジョンでは、目指す水準として「時価総額3兆円」の早期達成を掲げました。これまでは「企業価値の最大化」というやや抽象的な表現に留めていましたが、そこに明確な規模感を入れたのです。
指標としては、EPS(一株当たり純利益)成長率一桁台後半、ROIC(投下資本利益率)10%以上を掲げています。そして今回、そこにPER(株価収益率)を加えました。
鷲巣:EPSとROICは、以前から置いていた指標ですね。一方でPERは投資家の期待値ですから、投資家がこの会社は伸びるな、収益性あるなというビジネスモデルを明記しない限りは上がりません。それでもあえて入れたということに、強い意思を感じました。
松尾:まさに、市場から公正に評価される状態をつくるところまでを財務機能の仕事として引き受ける、と考えているからです。社外に対して表現することも財務機能の役割なんですよね。そこからバックキャストして何をしなければならないか、というところから組み立てています。
そのきっかけは、2019年にスタートした「キリングループ・ビジョン2027(KV2027)」にありました。ここでは「ヘルスサイエンス領域に取り組む」と打ち出したのですが、当時はビール事業のように目に見える工場やアセットがない中で、将来の無形資産(非財務価値)をどのように企業価値に結びつけるのかというストーリーを、私たちは投資家にロジカルに翻訳して示すことができませんでした。そのため、株主からは信じてもらえなかったのです。その経験から、企業価値が本来の水準より低く評価されている状態を、早く解消したいと考えています。財務の数字を積み上げていくだけでは時間がかかりますが、将来の財務価値に繋がる非財務の価値まで含めて語り、信じていただくことで、評価は変わっていくものです。だからこそ、非財務から財務へのストーリーを投資家に向けて発信し、公正な市場価値を早期に獲得する必要性を感じています。
鷲巣:目標が具体的になり、市場との対話まで射程に入ると、財務機能の役割はさらに増しますね。
松尾:そう考えています。目標達成に向けた財務戦略のうち、重要なポイントが「領域ごとのグローバルマネジメント」です。各事業会社がそれぞれ戦略を立てていた時代から、コーポレートと各事業領域が一体となってグローバルに戦略を立てる体制へと移行します。
キリングループは、これまでどちらかというと地産地消のモデルでやってきました。しかし領域単位で考えるなら、事業会社が個別に動いていても価値は最大化しません。ですから、ヘルスサイエンス領域であれば、ファンケルやブラックモアズといった各社が持つ強みと、キリンの力を組み合わせ、共通の戦略と資源配分のもとでシナジーを生み出していきたいと考えています。
これは、ビジネスモデルそのものが変わるということ。事業が縦軸なのであれば、機能が横軸になります。ですからその横軸にも、しっかりと通る戦略を立てなければなりません。財務機能は経営システムを担っているのですから、ここに深く関与しない限り、経営の土台はできないと考えています。
鷲巣:私が好きな戦略の定義に、「目的を達成するために、資源をどう組み合わせるか」という表現があります。各社の持つ資源をどう組み合わせたら、領域ごとの価値が最大化するのか。そのメカニズムを設計し、実際にトラッキングして、必要であれば修正していく。まさに財務機能が大きく関与する領域ですね。
松尾:おっしゃる通りなのですが、そのためにはまず、「データの見える化」が必要です。グループの全員が同じものを見られる状態をつくらなければ、資源配分の議論は始まりません。データ基盤を整え、AIも活用しながら分析を自動化し、現状に対する認識を全員で揃えていく。見える化は、人が動きやすくなるための前提でもあります。
財務機能人財には、「フロントランナー」になる覚悟を持ってほしい
鷲巣:今お話しいただいた構想を実現するには、財務機能を担う人財に求められるものも変わっていきますね。
松尾:大きく変わります。先ほど分析の自動化についてお話しましたが、これは人財の要件に直結する話です。
FP&Aの将来を考えると、分析業務はどんどん自動化され、AIに置き換わっていきます。そうなると、「分析をしています」という仕事の大半は残りません。スマイルカーブに例えるならば、両端だけが残るのです。片方は事業の現場に近いインプット側、もう片方は構想を練って計画する側、真ん中は消えていきます。
つまり、スキルだけではもう無理だということです。シミュレーションはAIがいくらでも回してくれる。だからこそ、決める人の重要性が増していきます。将来的には、M&Aの検討にもそれぞれのAIエージェントが入ってくるでしょう。AIの共生を前提に人財を考えたときに、人の役割は何なのか。そこで決定的に必要になるのが、マインドセットです。
鷲巣:そのマインドセットとは、従来の財務部門に求められてきたものとは、かなり違うものになりますね。
松尾:全く違います。かつての財務部門は、自分の職掌の範囲内で、与えられた仕事を正確にこなすことが求められていました。しかし、事業が縦軸なのであれば、機能が横軸として通る戦略を立てなければなりません。ところが、自分の持ち場のことを考える組織のままでは、グループ全体に踏み込んでいくことは難しい。つまり、従来の財務部門のあり方が「制度疲労」を起こしていたのです。
ですから、機能別人事制度への移行や、相対評価から絶対評価への変更といった制度面の見直しを進めました。比較軸を社外に置くことで、今までと同じように言われたことを正確にやり遂げるだけでは評価されない、という前提をつくりたかったのです。間接部門的な内向きのマインドはやめましょう、という話をしました。
ただ、制度を変えれば人が変わるわけではありません。仕事に向き合う価値観そのものを変えていく。ですから、求められる人財像として、ファイナンスのスキルを持って課題を解決していく、そのためにあらゆる事業に対してオーナーシップを持ってリーダーシップを発揮する、という定義を出しました。それが「フロントランナー」です。
財務部門は、バリューチェーンの川下にいると考えていると、どうしてもトランザクションの処理をする役割だと捉えてしまいがちです。しかし、川上にいる段階から話ができる存在になれば、物事は変えていける。だからフロントに立ってほしい、という意味を込めています。
鷲巣:EPS×PERで株価、ひいては時価総額を高めていくという先ほどのお話ともつながりますね。EPSを伸ばすためには売上と利益を生み出すメカニズム、PERには投資家の期待値に応えられるビジネスモデルが必要です。そう考えると、会計原則に対して100点満点の仕事をしたとしても、EPSもPERも上がらないわけです。
将来あるべき姿は何か、より良い方法は何か。それを考えて組織を動かさない限り、企業価値には結び付きません。だからこそ、「フロントランナー」という言葉を選ばれたのだと受け取りました。
松尾:おっしゃる通りです。私たちの仕事は、レポーティングをして終わりではありません。IRや開示の専門部隊を財務戦略部の中に持ち、投資家と対話し、財務部門がそのフィードバックを戦略やCSV、人財の議論に還して活かしていく。こうした循環をつくりたいのです。
ただ、そうした人財になるのは容易ではありません。例えば、FP&Aをやりたいと口で言うのと実際にやるのとでは、使う筋肉が違います。自信を持って話をして、相手からの信頼を少しずつ積み重ねていく。私は「信頼の貯金」という言い方をしていますが、この活動はなかなかしんどいものです。受け身のマインドセットを変え、それに見合う力を鍛える必要がある。そこをどう進めていくかが、次の課題でした。
ブレーキだけでなく、アクセルも踏める存在へ
鷲巣:どのように取り組まれたのでしょうか。
松尾:まずは仕事に向き合う価値観そのものを変えていくために、四半期ごとの対話集会を数年にわたって続けています。これまで粘り強く積み重ねてきたので、方向性についてはようやく皆が同じ方を向いてきたという感覚が出てきました。
ただ、方向が分かったからと言って、いきなり100メートルを10秒で走れるわけではありません。やはりそのためのスキルが必要です。そして、そのスキルを磨いていくためには、マインドセットが必要になります。
鷲巣:まさに、「フロントランナー」になるためにはマインドとスキルの両方を磨く必要がある、ということですね。
松尾:財務系の人財は、周りの様子を見て、手を挙げようかどうしようかと考えているうちに時間が過ぎていく、という傾向があります。それではフロントに立てません。グロービスはディスカッション中心の参加型セッションで、参加者が積極的に手を挙げて学ぶスタイルをとっていらっしゃる。それが、私たちが目指す方向とぴったり合ったと感じました。我々の課題感を深く理解したうえでプログラムを組み立てていただき、感謝しています。
鷲巣:御社では、ビジョン実現に向けた財務戦略のひとつとして「チャレンジを後押しするリスクマネジメント」を入れられていますが、これは本プログラムを設計するうえで私が最も重視している項目です。
変革を進めようとすれば、現場からも投資家からも懐疑的な目が向けられることがあるでしょう。それでも、高い目標に対して挑戦しなければなりません。リスクがあるからやめるのではなく、リスクをどう取れば大けがをしないのか、どうすれば期待値が上がるのかを考える。これはまさに、ファイナンス人財だからこそできることと言えるでしょう。
松尾:おっしゃる通りです。財務系の人財というと、リスクを踏まえて事業を止めるブレーキ役というイメージを持たれがちです。ですが、本当に賭けるべき場面では、事業サイドの背中を押すというアクセルを持つことが重要だと考えています。
鷲巣:セッションの中でも、そこは意識的に落とし込んでいますね。たとえば投資案件の評価といっても、NPVを計算するだけで終わりにはさせません。ビジネスモデルをファイナンスモデルで分解し、リスクファクターを解像度高く見出し、どのようにコントロールすれば自分たちの管理下に置けるのか、というところまで議論するように設計しています。
※「企業価値向上フロントランナー育成プログラム」では、財務機能人財に求められる役割を理解したうえで、財務情報を経営判断に活かすための要点を理解する。さらに事業サイドとの対話を通して信頼関係を構築するコミュニケーションも学ぶ内容になっている。議論で生まれた「ケミストリー」が、組織として動ける状態をつくる
鷲巣:「企業価値向上フロントランナー育成プログラム」は、2025年の第一期を終え、現在第二期が進行中です。ここまでの進捗をどう感じていますか。
松尾:第一期の受講者は、財務一筋のベテランから、営業や研究開発から異動してきた若手まで、多様なバックグラウンドを持つ22名が集まりました。財務の経験値やスキルについては、かなり差がありましたね。ビジネスは知っているけれどファイナンスがわからない方もいれば、ファイナンスの専門知識はあるけれど現場のことはあまり経験がない方もいる。ただ、その差については埋めに行くというよりも、お互いに補い合ってほしいと考えていました。
大切なのは個人で実践できるだけでなく、組織として動ける状態になることです。もちろん最初は個人の頑張りから始まると思いますが、それをどう組織のコミュニケーションにつなげていくか。そのためにはまず、自信を持って話ができないと一歩を踏み出せません。
本プログラムでは、受講者間で非常に活発な議論が繰り広げられていました。それを引き出すグロービスのノウハウがあったからこそだと思います。
鷲巣:講師の立場から感想を申し上げると、第一期の皆さんは、受講者同士の「ケミストリー」が起きていたように感じました。本プログラムで扱うテーマは、財務の視点だけ、あるいはビジネスの視点だけでは結論を導き出せません。両方に強い方々が集まって議論することで、昇華されていく。積極的に参加することでお互いが刺激を受け合い、ある種の「同期意識」ができて、それが良い方向に活性化していったと感じました。
松尾:同じ期間に学ぶ研修同期として、いわゆる相談できる場にしていきたいということは、最初から考えていました。研修を受けながら仕事に行き、また戻ってくる。学んだことを実践で使い、その中で出た疑問をまたセッションで話す。こうしたサイクルをしっかりと実践したことによって、良い「ケミストリー」が生まれたのではないかと思っています。
鷲巣:
第一期を終えて、受講者の皆さんに変化は見られましたか。
松尾:具体的な成果はこれからですが、事業貢献にコミットする意欲は確実に高まりました。その表れとして、受講者アンケートでも「自分の業務を、会社のパーパスや目的と繋げて捉えられるようになった」「自社の存在意義を意識して、価値の出し方を考えなければならない」といった声が多く聞かれました。
実際に、受講者は修了後にも事業に入り込み、関係者と能動的にコミュニケーションを取り始めています。自信を持って話をすれば、信頼が返ってきて、それが積み上がっていく。まさに、「信頼の貯金」の積み上げが始まっていると思います。
鷲巣:現場での行動変容に繋がっているのは素晴らしいですね。
松尾:一方で、現在実施している第二期の受講者は、第一期に比べて少し若い世代が中心です。与えられた業務を確実にこなす経験を多く積んできたメンバーなので、まずは方向性から共有する必要がありました。
また、ちょうど新たな長期ビジョン「Innovate2035!」を描いたタイミングでもあったので、財務機能のビジョンを深く理解することからプログラムを始めています。会社の方向性を踏まえて、ファイナンスの視点でやるべきことを自らの言葉で話せる人財になることを期待しています。
鷲巣:経験が浅いと、視座が自分の周りに閉じてしまいがちです。これは誰のせいでもなく、任されている仕事や役割から来るものも大きいでしょう。ただ、ファイナンス人財に求められる水準は上がっているので、第二期では、あるべき姿をイメージしていただけるようになることを意識しながら毎回のセッションを実施しています。たとえば、投資ファンドから株主提案を受けた際にどう対応するか、ポートフォリオを最適化するための視点は何か、事業のリスクをどうコントロールすべきか、といった日常業務では扱わないことをテーマにして議論を重ねているところです。
川上から意思決定者と協働する財務へ
鷲巣:今回の第一期、そして現在進行中の第二期の皆さんが、これからのキリングループの財務機能をリードしていくことになりますね。
松尾:各事業部にいる財務機能人財が中心となって、組織間の横串を通すとともに、事業部内の各機能と縦のコミュニケーションも取れるようになりたいと考えています。現場の対話では、事業の論理と財務の論理でコンフリクトが起きることも当然あるはずです。その際は、財務機能人財同士の横のネットワークを活用して解決に導いてほしいという話をしています。
鷲巣:最後に、財務機能人財の育成においてまさに「フロントランナー」である松尾様にお伺いしたいことがあります。事業により深く貢献し、価値創造をリードする財務機能人財を育てたいと考える日本企業は、どのようなことから始めるべきだと思われますか。
松尾:スキルとマインドでいうと、私はマインドセットがより重要だと考えています。当社が機能別の人事制度に移行する中で見られた傾向が、自ら仕事の領域を狭めてしまうことでした。その一方、これからの財務人財に求められるのは、事業サイドや上司などを含めたステークホルダーを動かしていく力です。つまり、ジョブ型に偏るのではなく、メンバーシップ型のような行動も必要になります。そうしたマインドセットがあれば、組織における財務の位置付けも変わり、事業サイドから「財務とも話しておかなければならない」と思ってもらえる存在になっていくのではないでしょうか。
こうしたマインドを持つことが組織全体で当たり前になると、変革は大きく進むと考えています。人財育成に加え、こうした組織変革も財務戦略部の大切なミッションです。
鷲巣:組織をつくっただけでは、絶対に機能しません。意思決定をする人と協働することで、意思決定のプロセス自体が変わっていかなければ意味をなさないのです。ですから、日本企業で特に大切なのは、ファイナンスの専門知識があるだけでなく、現場に入り込んで事業サイドからの厚い信頼感を得ることだと考えています。そのうえで、意思決定の場に入り込んでいく行動が求められますね。
財務がフロントに立つことで、企業の変革スピードは必ず加速します。キリングループのこれからの挑戦が、日本企業の財務のあり方を変えるモデルケースになっていくのではないでしょうか。
松尾:ありがとうございます。財務機能がフロントランナーとして走り続け、ステークホルダーからの信頼を得ていくことで、一人ひとりが価値にこだわって行動することを粋に感じる、そのような組織となれるよう邁進していきたいと思います。
弊社の担当者がいつでもお待ちしております。




