立ち尽くすミドルの「途切れた環」

2009.09.18

「終わってホッとしました」
自社経営課題に対する提言をまとめる研修の最終回で、経営陣への提言を終えた際に参加者から聞く声だ。偽らざる気持ちだろう。伴走を続けてきた私もそう思う。しかし、同時にもやもやした気持ちが残る。これでいいのだろうか、と。

執筆者プロフィール
河尻 陽一郎 | Kawajiri Yoichiro
河尻 陽一郎

東京大学法学部卒業、ケース・ウェスタン・リザーブ大学(米国)修了 (Master of Nonprofit Organizations)。外資系戦略コンサルティングファームに入社。経営コンサルタントとして戦略立案及び実行支援を行う。その後、グロービスに入社。現在グロービス経営大学院の研究開発チームの1つ、グローバルなアジェンダにフォーカスしたグローバル・ファカルティ・グループの研究開発リーダーを務める。経営大学院におけるグローバル領域科目や、企業の経営幹部育成研修における講師も務める。共著に「個を活かし企業を変える」(東洋経済新報社)「新版MBAマネジメント・ブック 」(ダイヤモンド社)など。


「ホッ」としているだけでよいか

10年ほど前から導入が広がった研修スタイルに、アクションラーニング(以下、AL)がある。現実の自社の課題を取り上げ、その解決策を考えることによって、人材と組織の開発を狙う。グロービスでは、とくに次代を担うリーダー候補を対象としたALに数多く取り組んできた。上述のコメントもそんなALでよく見られる風景だ。具体的な事例をあげてみよう。

製造業X社は、「衆知を集め、世の中に独自の価値を提供し続ける」をモットーに躍進を続けてきた。グローバルに販路が拡大する一方、生産は国内拠点に大きく依存している。顧客層は広がっているものの、新興国の台頭により価格の安い競合品の追い上げに苦しんでいた。そのX社におけるALは、およそ6ヶ月間をかけて行われた。その前半戦のクライマックス、経営陣に提言をぶつけて、アドバイスをいただく中間報告会のこと。発表者はB氏、営業を中心に20年近くのキャリアを持つ。

「わが社のコスト構造を抜本的に改革することを提言します。国内の生産拠点を大幅に縮小し、海外に移します。同時に調達先も新しい海外生産拠点を中心にゼロベースで見直します。具体的には…」

B氏の発表が終わると、社長からいくつかの質問が投げられた。

「コストのうち、生産拠点に関連するコストは具体的に何でいくらかかっている?それがなぜ問題と言えるのか?」
「海外拠点はどこに作るつもりだ?国内拠点より優れているという理由は?」
「結局海外への生産拠点シフトはうちのモットーである『独自の価値』に貢献するのか?」
「国内の生産拠点はいくつある?そこで働いている従業員の数は?既存の調達先はいくつくらいある?彼らに今回の改革をどうやって説明する?」
「君は明日からこの生産拠点シフトプロジェクトのリーダーをやる気があるのか?」

社長のそれらの質問を前に、B氏は言葉に詰まってしまった。

経営課題を取り上げるALにおいて、上記の風景は珍しいものではない。経営課題に対する着眼において、経営とミドルとの間に差があるのは当たり前だ。逆にそのギャップに気付くことがこうした場の目的の一つでもある。上述のB氏自身も営業では歴戦のツワモノ、その実績を見込まれてこの場に集められている。そんなB氏でさえ、自分たちで調べたデータについて、社長に問われると明確に答え切れないときがある。経営からの質問の嵐が過ぎるのを待つかのように時が流れる。そして、報告会を終え、経営陣が退出すると「ホッ」とした空気が場を支配する。私もまた「ホッ」とする。次の瞬間、「ハッ」とする。これでいいのだろうか、と。

ALに伴走させていただく際に、参加者の皆さんに何度も聞く質問がある。
「●●さんは、どうしたいのですか?」
この問いによって引き出したいのは、その方の持つ直感だ。答える本人ですらどこから出てきたのかよくわからない問題意識や解決の方向性の表出を狙っている。しかし、直感とはいえ単なる思いつきではない。上述のB氏にすれば20年間の実務の積み重ねの結果であり、それらに裏打ちされた揺るぎない感覚のはずだ。いや、「実務の積み重ね」と言ってしまっては言葉が軽すぎるだろう。次代のリーダー候補として集められた方々であれば、二度とやりたくない胸突き八丁の体験、人には言えない痛い思い、そしてその結果として(誰にも言わないかもしれないが)誇りと矜持があるはず。それはそうした経験にから生まれた、いわばその人の仕事観といえるだろう。上述の直感は、こうした仕事観の中で醸成されて表出するものだ。だからこそ、私はその直感に真実が宿っていると信じている。

経営陣に向けた提言は、この直感を言葉として紡ぎ、事実で裏付けたもののはず。とすれば、提言が終わったのみの段階で「ホッ」としているだけよいのだろうか?まず、経営からの主張に対して、面と向かって反論してほしい。退かないでほしい。さらに、退かないだけでなく、迫ってほしい。攻め側に回るのは、聞き手の経営側ではなく、主張する提言側のはず。「これを自分達にやらせてほしい、今すぐ決めてほしい、なぜ決められない、なぜできない、これができなくてこの会社が存在する意義はあるのか」そう、畳み掛けてほしい。

・・・と、一気に書いてしまって思う。これは理想論だろうか?組織では、しがらみがあってそんなこと言えるはずもないという意見もあろう。ただでさえ日々の業務で忙しいのに研修でここまで本気にやるのか?という疑問もあろう。

しかし、経営陣がリーダー候補に期待するのは、経営陣に本気で立ち向かう姿勢だ。X社社長の「君は明日からこのプロジェクトリーダーをやる気があるのか?」と相手の覚悟を問う質問に、その期待が端的に現れている。

ここで、正直に申し上げる。残念ながら私たちが携わる研修でこの状態を実現することはごくまれだ。それには私たちの力不足を強く感じている。なぜ実現できないのか。ここでは、今日のリーダー候補の抱える課題について考察したい。

途切れた環:「粗さ」と「低さ」と「弱さ」と

日本の多くの優秀なミドルが、提言や意思決定の局面で立ち尽くしてしまう‐多くの研修現場でそんな場面に直面した経験を通じて、その要因は3つだと私たちは考えるに至った。それは「思考の粗さ」「当事者意識の低さ」「可能性への信頼の弱さ」だ。

■思考の粗さ

「思考の粗さ」とは、ビジネスや人間理解にあたって、ぼんやりと画素の粗い状態でしか考えられないことをいう。一見ぼやっとした像を分解して具体的に考える力、逆に複雑な事象を統合して考える力、そしてある事象が何を引き起こすのかどんな影響を与えるのかを見えない先まで詰めて考え抜く力、こうしたことがリーダーには求められている。

経験のある領域においては、過去の蓄積で何とかなる。しかし、過去の蓄積が活かせない領域に足を踏み出した途端に、ハッキリと考えられず足踏みしてしまう。たとえば、前述のB氏は、コストのうち生産拠点に関わるコストを具体的に把握しきれていなかった。加えて、コスト削減ばかりに目が向いて、閉鎖対象となる拠点の従業員の心持ちに配慮が及ばなかった。その結果、社長の問いにも答えられず、納得を得られることができずに、巻き込むこともできなかった。もし仮に、彼の案が実行に移ってしまえば、そのアイデアは単なる無謀な計画として失敗を招くことになりかねない。

■当事者意識の低さ

第二に挙げる「当事者意識」とは何だろうか。自分の後ろには誰もいないという自覚だと私たちは考える。誰にも頼ることのできない環境に立つ自らの意思決定が、組織全体に影響を与える。時に組織の命運を分ける。そうした自覚だ。だからこそ、自らの決断の影響範囲を広く見据えねばならない。なぜなら、そのカバー範囲が狭ければ判断を誤るから、人を動かすこともできないからだ。時間軸として、過去から将来を踏まえ、空間軸として、一個人一部門の利害に止まるのでなく、組織全体や社会を見る。広く全体を俯瞰できる高みに自分を押し上げつづけねばならないのだ。

さらに、なぜ自分がしんがりを務めねばならないのか、務めたいと思うのか、その原点はどこにあるのか深く掘り下げる必要がある。誰も頼ることのできない環境では、最後に頼れるのは自分の価値観だけである。同時に、その価値観は周囲の共感を得られる深みを持っていなければ周囲を動かせない。言わば、一人の人間として問われることになる。

B氏は、生産拠点の移転に伴う関係者へのコミュニケーションをいかに行うかまで目配りできていなかった。いや、たとえそこに気づいていたとしても、自分がその責任者として閉鎖拠点の従業員に説明しなくてはならないという意識を持てていなかった。自分が最後だという自覚が足りなかった。国内生産拠点閉鎖の困難さや影響範囲までを見渡す高さまで、自分の視座を高めることができなかったといえる。

■可能性への信頼の弱さ

三番目の「可能性への信頼の弱さ」とは、前回ご紹介した「諦め」である。動詞表現は「諦めない」。否定形ではなく、肯定形に言い換えると「やればできると(可能性を)信じる」となる。これまで多くの方と議論する中で、この考えはなかなか理解することが難しいと感じている。否定形「諦めない」はまだ理解しやすい。一方、肯定形「やればできる」は誤解を生む。具体的には「無謀と何が違うのか?」「精神論ではないか?」という声が寄せられる。もう一歩踏み込んで考えてみよう。

「やれば」は一見軽く見える。だからこそ上記のような問いが寄せられる。しかし、ここでいう「やれば」は軽く重い。まず、やってみないと何事もわからないという意味で、踏み出すことのハードルを下げることが大事だ。だから軽くもある。同時に重い。ハッキリとビジネス上の可能性を考え抜く。厳しい現実を直視したうえで、考えられるありとあらゆる手を打つ。それは一回で済むものではない。何度壁にぶち当たっても、現実を直視しながらその時点の最善の方法を考え抜き、「できる」までやり抜く。「やるべきことをやり抜けばできる」ということだ。松下幸之助氏の次の言葉を信じているともいえる。

「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる」

しかし、言うは易し、行うは難しだ。研修現場でお会いするビジネスパーソン、とくに次代を担う方々は、僭越ながら”ハッキリと考えられる”方が多い。しかし、先が見えてしまうがゆえに、まず一歩踏み出すこと、「軽く」やってみることを躊躇してしまう。そのうえで、せっかく一歩踏み出したとしても、立ちはだかる障害の「重さ」ゆえに途中で挫けてしまう、やり抜けない。やってみる「軽さ」とやり抜く「重さ」、この一見矛盾する両者を兼ね備えることは簡単ではない。しかし、この矛盾を選び取ることこそ、「やればできる」という可能性を信頼することに他ならないと思うのだ。

B氏の提言は、自社のモットーである「独自の価値」を貫くために何をすべきかを十分に検討したものだろうか。なぜ生産拠点の海外移転を決めたのだろうか。仮に、「独自の価値」を貫くために国内に生産拠点を持つことが大事だとしよう。低価格の競合品への対処も同様に大事だ。だが、この国内生産拠点と安価な競合品への対処との両立は簡単ではない。ただ、この困難に直面して、安易に「できない」と思っていないか。社長は、そう問うているのである。

こうして見てきた「思考の粗さ」「当事者意識の低さ」「可能性への信頼の弱さ」だが、この三者は本来相互につながっている。

人間は、本来、何かを成し遂げて成長したいという願いを持っている。その願望をベースに、まずやってみる。壁にぶつかることもある。その壁を乗り越えるために考え抜き、試行錯誤する。なんとか成功する。そこでやればできるんだと思う。そしてまた新たに自らチャレンジする。この繰り返しこそが、「緻密なハッキリとした思考」「高い当事者意識」「強い可能性への信頼」を形作り、互いを鍛え強化していく。好循環を生み出していく。

しかし、いま企業組織の中で次代を担うリーダーたちが立ち尽くしている。なぜなら、彼らが本来持つべきグッドサイクルが途切れてしまっているからだ。彼らのこうした環を途切れさせたものは何か。外部環境の変化や内部の施策群、それらの歴史的な経緯も要因として考えられそうだ。思いつくだけでも次々と考えられる要因の多さと複雑さに混乱しかねない。少なくとも言えるのは、彼らだけの責任ではないということだ。悩みに悩んだうえ、私たちは、その構造的原因を「人間は環境に適応する」という、人間の特徴に見出せるのではないかと考えている。次回は、この点をさらに考察してみたい。

注)今回扱う予定であった「個を活かす組織」「自律変革型組織」「学習する組織」の定義については紙面の関係上次回以降に述べたい。

※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。