- 経営チームの変革
人的資本経営の高度化に向けた“不都合な悪循環ループ”
昨今の人的資本経営の動きの中で、有価証券報告書や統合報告書で人的資本経営ストーリーを工夫し開示することの意識は各社で高まっています。また、2023年3月の東京証券取引所からの要請(※1)もあり、企業のガバナンス改革は、これまでのコーポレートガバナンス・コード対応からPBR(株価純資産倍率)という実績を追う段階に入っているとも言えます。その意味でも、人的資本投資・施策と、将来の成長期待や企業価値向上とのつながりが、より重要になってきます。しかし、最近のお客様の取り組みを拝見していると、一旦の人的資本ストーリーは開示できたものの(下図「人的資本経営の高度化に向けた4つのPhase」におけるPhase2)、その次のPhase3以降の取り組みに進むまでに各社で“キャズム(深い溝)”が発生していることが見受けられます。
今後、より高度化フェーズに入っていく企業も多くなる中で、最近の企業で起こりがちな3つの罠をご紹介してみます。対策の方向性は、次回の記事でご紹介していきます。
開示疲れと人事部主導の罠
最近、IR情報開示の負担の重さに悲鳴を上げられている企業も増えています。日本企業は、統合報告書などの任意開示を含めると、全開示情報「量」は英米と比較しても多い傾向にあります。それにも関わらず、特に投資家の期待に沿った開示になっていないという皮肉も抱えています(※2)。人的資本の開示も、人事部主導で相当な工数を投下し、網羅的な人事施策の整理と指標設定に奔走されている企業に出くわすことも少なくありません。しかし、そもそも、人的資本経営の問題は人事部という限られた部署だけで対応するものではありません。取締役会を含めた経営層の戦略的なシナリオが極めて重要になります。つまり、「中長期的な事業環境を洞察し、投資家を含めた市場、取引先、社内外のステークホルダーの期待を踏まえ、企業価値をどのように創造していくか」という経営改革シナリオを経営陣でどこまで合意し、結晶化させられているかが肝になります。
いまや企業価値の主たる決定因子は、無形資産であり、無形資産の中核の1つが「人的資本」です。人的資本情報のKPI開示は、その改革の実行力や戦略の実現可能性を、投資家や労働市場に適切に判断いただくための有用な情報になります。と同時に、その進捗を投資家との本気の対話を通じて、更に経営全体のアップデートに活かしていくということが前提になります。そのため、これらは、最高経営責任者(CEO)、全社の戦略管轄トップ(CSO)、遂行上の事業リスク・PBR対策トップ(CFO)、戦略実現を加速させるデジタルトップ(CDO)、全社的かつ中長期的な視点からの人的課題解決トップ(CHRO)が一体化することで初めて駆動していきます。つまり、CHROだけに留まらず、経営層が意思決定し、監督・モニタリングを進めていく体制が期待されます。この点は、人材版伊藤レポートにおいても強調されています(※3)。しかし、従来型の人事慣行から抜け出せず、「人的」資本経営においても、人事部の視座・管轄権限・調整力でできる範囲のデータ収集・検討を進めてしまい、Phase3以降の迷走を引き起こしている企業が散見されます。現時点では、人的資本経営における経営層の監督・執行体制がまだまだ機能し切れていないことを感じます。
人材ポートフォリオとサクセッションプランが迷走する罠
全社的な人材ポートフォリオの検討は、事業ポートフォリオと密接な関りをもつことになります(経営戦略と人材戦略の連動)。しかし、今後の各事業(コア事業・成長事業・新規事業)それぞれのKSF(事業成功要因)を踏まえたバリューチェーン上の優先度の高いキーポジションの要件の解像度が高まっていないことも多く見られます。あるいは、成長分野への事業拡大を構想し、キー人材の需給GAPを試算した際、内部の配置転換では到底補えない人材は、外部調達になります。しかし、昨今、各社が求めるキーポジションの人材像が異業種間でもオーバーラップしている状況もあり、従来の報酬制度の中で、労働市場から優秀人材を獲得していくことが困難にもなってきています。結果、要件を可視化したものの調達できないまま時間だけが過ぎていくという悪循環に陥っている企業も存在しています。
さらに、現在、多くの日本企業で進行が遅れていると言われるサクセッションプラン(後継者育成計画)において、指名委員会等で出されるサクセッションリストは、現任者に後継者候補をあげさせることに留まる企業が多いのが実態です(※4)。社外取締役もプロセス全体の妥当性に関与しつつも、内部候補者の情報に疎く、介入に苦心される声も聞かれます。また、コーポレートガバナンス・コード改訂に沿って、取締役会、指名委員会などの各種諮問機関の設置、社外取締役の人数等を順守しつつも、実態は未だ「形式」に留まっていることも多く、「実効性」が疑問視される声が、投資家だけでなく内部から上がっている企業も少なくありません。今後、中長期を見据え、自社の経営トップチーム体制はどうあるべきか。CXOの人材要件の解像度と共に、そこに向けたサクセッションマネジメントの全体構想、実効性あるガバナンス体制をどのように描いてくべきかの検討が急がれます。
現場の‟アクティビティ・トラップ”の放置が、人的資本経営を逆回転させてしまう罠
一方、最近、事業部門の現場にお邪魔すると、‟経営サイドや人事部の視界とも違う事象に陥っていることを感じます。今期の数値へのプレッシャーと共に、株主からの提案件数増加、政府からの要請事項、人的資本経営、生成AI導入など多数の変革アジェンダ推進に向けて、経営サイドから“丸投げ”とは言わずとも、随時、新たな検討依頼が下りてきます。これらは個別部署だけで対応できないテーマも多く、分科会や部門横断プロジェクトへの現場アサインも増加傾向にあります。また、最近は、労働基準法の改正に加え、ハラスメント防止法(※6)が全面施行されたことにより、現場ミドル層のコンプライアンス遵守意識は高まっています。ジョブ型制度へ移行した企業では、評価の新たな運用方法に戸惑うシーンも聞かれます。更に、人事部が良かれと思って導入するエンゲージメント施策が、多忙を極める現場では形式主義に陥っていることもあり、エンゲージメントサーベイ結果への対策が放置されている職場も散見されます。1on1は職場で実施されていても、多様な価値観をもつ若手層への効果的なコミュニケーション方法に悩まれている管理職の方々はたくさんおられます。一方で、顧客からの品質・要求基準は年々高まっていますので、負荷の高い業務は若手に任せきれず、自身がプレイヤーとして対応することを前提に日々の業務に向き合っていきます。結果、ミドル層の疲弊感は更に増し、新たに学ぶべきスキル習得の時間確保も行えず、目先の業務に必死に対応している状況が見受けられます。若手層は、このように疲弊感を募らせる上長を観て、「やはり自分は管理者にはなりたくない……」という想いを強め、副業機会や次のキャリアステップに意識が向かい始めます。
この一連の悪循環サイクルを“アクティビティ・トラップ”(目先の業務過多に忙殺され、戦略的に重要なアジェンダが後回しになる状態)と言っています。この状態が放置されると、人的資本経営で目指す姿とは、真逆の回転を引き起こすことになります。言うまでもなく、人的資本経営は、開示項目に記載された綺麗な計画・施策ではなく、「組織改善力・実装力」が年々問われていきます。投資家が求めるのは、単年度の開示ではなく、むしろ経年の改善デルタです。人的資本経営の高度化とは、経営や組織マネジメント全体をパラダイム転換させていく変革の営みでもあります。そのため、変革フェーズでは一定の歪みは発生します。しかし、果たして経営陣は組織全体の実態をどこまでリアルに把握できているでしょうか。経営サイド、人事部、現場ミドル、若手が見ている景色と実情の乖離が起こっていないかを経営層としては注視しておく必要があります。
それでは、どのようにこれらの難局を乗り越えていくべきか、次回の記事で考えてみたいと思います。
<参考文献>
- (※1)東京証券取引所「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応について」、2024年9月確認
- (※2)経済産業省「日本の企業情報開示の特徴と課題」、2024年9月確認
- (※3)経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書」、2024年9月確認
- (※4)PR TIMES「コーン・フェリーとグロービス、経営幹部サクセッション実態調査を実施」(調査期間:2023年11月~12月、有効回答数:105)、2024年9月確認
- (※5)2020年6月に「改正 労働施策総合推進法」が施行。中小企業を含めて職場のパワーハラスメント防止措置は、2022年4月から義務化