- サステナビリティ経営
経営者が理解しておくべき「ビジネスと人権」
前回のコラム「存在感を増すESG投資」では、拡大し続けるESG投資の市場規模と非財務価値の可視化に取り組む企業の事例をご紹介しました。今回はESG投資の主なトピックの一つである「ビジネスと人権」について取り上げたいと思います。
今、世界で起きている人権問題とは
皆さんは、人権問題と聞いて何を思い浮かべますか?
職場でのハラスメントや差別、長時間労働をイメージされる方も多いのではないでしょうか。一方で、ビジネスと人権が対象とするのは、こうした狭義の人権だけでなく、企業のサプライチェーン全体で発生しうる人権リスクです。
2022年にサッカーワールドカップが開催されたカタールでは、2010年に同国での開催が決定してから6,500人以上の移民労働者が死亡していると報道されました(※1)。カタールでは、外国人労働者を雇用主に拘束するカファラという制度があります。これは、労働者の転職を制限し、雇用主の許可なしに国外に出ることを禁止するもので、搾取的な労働に従事させられている外国人労働者の実態が問題視されました。また、女性の権利や表現の自由が守られていないこと、LGBTQに対する迫害といった問題からもカタール政府や開催国として選定したFIFAの責任が追及されました。
アパレル産業における人権問題も絶えません。日本で若者を中心に人気となっているSHIIN(シーイン)は、実店舗を持たずにトレンド衣類をECのみで販売する「ウルトラファストファッション」として世界各国で展開しています。イギリスTV局の潜入調査(※2)によると、同社の2つの生産工場では、1日18時間という長時間労働が行われていることや、労働者が1着につきわずか約6円しか賃金を得られていないこと、1つミスをすると日給の3分の2の罰金が科せられていることなどが明らかになりました。
SHIENは2022年11月、東京・原宿に国内初となり実店舗をオープンしました。我々、消費者がどのような姿勢を取るのか、一人ひとりの購買行動が問われています。
日本企業も他人事ではいられない
こうした人権問題に日本企業も決して無関係ではありません。中国の新疆ウィグル自治区における人権侵害に対する懸念から、国際アパレル人権 NGOである公正労働協会(FLA:Fair Labor Association)は 2020年、加盟企業に対して、同地区で生産される原材料や最終製品の調達を禁止すると発表しました。
ユニクロは、以前からサプライチェーンマネジメントに取り組んできましたが、自社の原材料について強制労働が関わっていないことの証明が不十分であるとして、米税関・国境警備局(CBP)より輸入を差し止められる事態となりました(※3)。
また、日本の外国人技能実習制度も海外からは批判の対象となっています。実習制度の目的は、開発途上地域への技術移転であり、労働力の調整手段として行われてはならないと定められています。しかし、企業側からは安価な労働力として期待されていることが実態です。実習生は、来日前に自国の送り出し期間で研修を受けますが、費用は実習生負担となっており、多くの実習生は借金をして支払います。さらに、ブローカーに仲介手数料を支払うために、来日時点で複数の債務を負っており、借金返済のために債務労働に陥りやすい仕組みとなっています。
実習生が人権侵害の被害を受けたという報道も目立ちます。岡山市内では、ベトナム人の技能実習生が、実習先の建設会社で2年間にわたって暴行を受けていた事件が明らかになりました。熊本県でも同じく技能実習生として働いていたベトナム人の女性が、強制帰国を恐れて妊娠を明かすことができず、死産の後に死体遺棄で有罪判決を受けてしまうといった耳を疑うようなケースも起きています。
アメリカ国務省は、世界各国の人身売買に関する報告書で、日本国内外の業者が技能実習制度を外国人労働者搾取のために悪用し続けていると批判し、日本政府の取り組みについて最低基準を満たしていないと評価しています(※4)。技能実習生の多くは中小・零細企業で受け入れられていますが、大企業にとっても「取引先で起きた問題、自社には関係ない」では済みません。取引先が人権侵害を防ぐためにどのような体制を構築しているか、人権リスクが顕在化した際に、どのように対処するのか、発注者として事前に把握していたのかが問われます。
このようにビジネスと人権をめぐる問題は経営にとっての死活問題となっているのです。
企業に求められる人権対応とは
こうした中、経済産業省は2022年9月、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を策定しました。ガイドラインでは、直接的な取引先に関わらず、自社のサプライチェーン全体で人権尊重に責任を果たすべきであることが明記されています。このガイドラインは、法的拘束力を持たないソフトローですが、企業規模を問わず、個人事業主も含めて、日本国内で事業活動を行うすべての企業を対象としています。ガイドラインで定められている企業の対応は大きく分けて3つです。
人権方針の策定
人権方針は、企業が人権を尊重する責任を果たすというコミットメントです。人権方針には次の5つの要素が求められます。(表1参照)
人権方針は、企業の人権に対する姿勢を社内外のステークホルダーに示すものであり、経営トップの承認を得たものでなければなりません。策定においては、外部専門家の知見も借りながら検討していくことが望ましいでしょう。また、人権方針は一度、公表して終わり、ということでは当然ありません。自社の取り組みの進捗に応じて、随時アップデートしていくことも必要です。
人権デューディリジェンスの実施
人権方針は、企業が人権を尊重する責任を果たすというコミットメントです。人権方針には次の5つの要素が求められます。(図1参照)
デューディリジェンスというと、M&Aにおいて実施される企業価値の算定を思い浮かべる方が多いと思いますが、人権DDは人権リスク低減のために継続的に実施していくことが求められます。
グリーバンスメカニズムの構築
聞き馴染みがないかもしれませんが、「グリーバンスメカニズム」とは、人権侵害がなされた場合に、適切な救済へのアクセスが備わっていることを確保する仕組みです。たとえば、サプライヤーの従業員も利用することができる相談窓口の設置や問い合わせを踏まえて調査・対応を行うチームの設置等があります。人権リスクに脅かされるすべての人が利用できるよう、識字能力や使用言語に関わらずにアクセスできることが重要です。また、通報者が雇用主から報復を受けることがないよう、安全に利用できるものでなければなりません。
経営者としては、まず自社のサプライチェーンで起きうる人権リスクを洗い出し、事業活動が及ぼす影響を明らかにすることが必要です。「ビジネスと人権」という、避けて通れないテーマについて、企業としての責任ある行動が求められています。
本コラムでは、世界で起きている人権問題と企業に求められる対応について取り上げました。次回は、「人権尊重に取り組む企業事例」についてご紹介します。