日本企業は人的資本経営をどう実践し、企業価値を向上すべきか。富士通が実践する企業価値向上における人事データ活用への挑戦
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人的資本経営の重要性が高まり、情報開示の流れも進む一方、経営戦略と紐づいた人事戦略を立案すること、あるいは人事施策が経営にもたらすインパクトを評価してステークホルダーへ示すことに悩む企業は多い。「人材版伊藤レポート2.0」(経済産業省)で提言されている内容をいざ実践しようとすると、さまざまな課題に直面するのが現実だ。
こうした人的資本経営への課題意識を共にした日系5社のCHROによる「CHROラウンドテーブル」では、グロービスがファシリテートする形で、企業価値向上につながる人的資本経営の実践方法を6回にわたって議論した。
今回は、CHROラウンドテーブルの発起人である富士通株式会社 執行役員EVP CHRO 平松浩樹氏と、モデレーター役を務めたグロービス・コーポレート・エデュケーション フェロー 西恵一郎、運営サポートにあたった同部門のシニア・コンサルタント 鶴谷未恵が一連の取り組みを振り返り、その意義と今後の構想を語った。
人的資本経営は「部分的な議論」に留まっている
CHROラウンドテーブルでは、富士通株式会社様、パナソニックホールディングス株式会社様、丸紅株式会社様、KDDI株式会社様、オムロン株式会社様の日系5社のCHROが集まり、企業価値を向上させるための人的資本経営を具体的にどう実践すべきか、議論を重ねた。
その発起人である平松氏は、問題意識をこう語る。
「各社のCHROが情報交換する機会は普段から多くありますが、時間が限られていることもあって深い議論になりにくく、もったいないと感じていました。
その一方、CHROの皆さんとの話から、日本企業の人事には共通する課題があるように思っていました。また、近年の重要テーマである人的資本経営への向き合い方についても、どの情報を開示すべきか、もしくは人事施策が業績にもたらす効果をどう証明するか、といった部分的な議論が多くなっているという問題意識もあったのです。そのため、日本企業の人事のあり方について、CHROの皆さんとじっくり議論をする場を設けたいと考えていました」(平松氏)
モデレーターとして参加した西も、日本企業の人的資本経営へ課題感を抱いていた。
「昨今の投資家はESG経営(Environment:環境、Social:社会、Governance:企業統治に配慮した経営)を重視する流れにあり、各企業は、ESGへの取り組みが経営にどのようにインパクトを与えるのかを示す必要性が増しています。
人に関する取り組みは、S(Social:社会)に含まれます。自社は人に関してどのような考えのもとで経営し、どんなアウトプットを生み出そうとしているのか。その結果、どう成長していくのか。このストーリーを、資本市場、商品市場、労働市場の3つの市場に対して語ることは避けて通れなくなっていると感じます。ところが、この説明はかなり難しいものであり、各社ともコミュニケーションに苦心しているのです」(西)
そこで、平松氏と西がこの問題意識を共にする4社に話を持ちかけ、本質的な人的資本経営のあり方について議論する本ラウンドテーブルが発足した。
人事戦略をストーリーで語ることで、組織への浸透が進む
本ラウンドテーブルの成果として、人的資本経営を構想するフレームである「人的資本価値向上モデル」や人的資本経営の検討プロセス、人事データの分析結果や実践手法が導き出された。その内容をレポートにまとめた「CHRO Roundtable Report」1)も発行している。
参加した5社は、このレポートで多くの日本企業へ何を伝えたかったのか。
まず、人的資本経営が企業価値の向上にどうつながっているかを可視化するための「人的資本価値向上モデル」は、各社が経営戦略と紐づけて人事戦略を考える際の参考になる。
「人事戦略は各社各様だと思っていましたが、意見交換を重ねる中で、各社で共通している部分が見えたことは大きな収穫でした。この気づきがあったからこそ人的資本価値向上モデルを作成できましたし、多くの企業の参考になると思います」(西)
もう一点は、このモデルを活用しながら、ストーリーを作ることの重要性だ。
平松氏は、「人的資本経営においてCHROをはじめとした企業人事が果たすべき役割は、経営戦略を実現するための人材ポートフォリオについて、経営チームや事業部長クラスと早い段階からコミュニケーションすることです。そのうえで、現場が納得し、実行につながる人事施策を展開する必要があります」と強調する。その納得を生み出す後押しをしてくれるのが、ストーリーの存在なのだ。
人事施策は、効果が出るまでに時間がかかる。先行投資として施策を行うものの、ビジネスへの貢献度合いを明確に示せなかったのは、企業人事における積年の悩みだった。多くの企業の人事施策を見てきた西も、「行う意味が不明瞭な人事施策は、事業部門にとっては負荷に感じられるため、どうしても事業活動を優先されてしまいます」という。ストーリーで語られない人事施策は説得力に欠け、あっという間に形骸化するのだ。
「ストーリーの効果は大きいものがあります。経営戦略と人事戦略を紐付け、データで裏付けしながら各人事施策の関連性を語ると、事業部門のメンバーが納得しやすく、組織全体への浸透が進みます。『この人事戦略や施策は、事業を成長させてくれるものだ』と感じられるからです。実践につながる人的資本経営のためには、経営チームはもちろん、事業部長クラスも自分事として捉えることが欠かせません」(平松氏)
また、平松氏は、人的資本価値向上モデルを検討する過程で、自社の人事施策をストーリーで繋げられない部分が浮き彫りになったという。それは、着手できていない施策や抜けていた論点だった。なぜ着手しきれていなかったかを掘り下げていくと、事業部門と綿密なすり合わせが求められるがゆえに実行に二の足を踏んでしまっていた、といった具体的な状況も見えてきたという。
こうした現在の人事施策の棚卸しだけでなく、人的資本価値向上モデルに今後の事業戦略や人材ポートフォリオをあてはめて将来に向けたストーリーを再構築すると、投資の方針やデータによるモニタリング方法なども見えてくる。そして数年後には、投資の効果検証もしやすくなるだろう。
このように、人的資本価値向上モデルを元に人事施策を再整理する営みは、非常に多くの気づきをもたらしてくれるのだ。
人的資本経営における人事データ活用の「現実解」とは
CHROラウンドテーブルでは、富士通様の実際の人事データを用いて分析を行い、財務指標にインパクトを与えているKPIを見出した。
多くの企業では、人事データが揃っていないことがほとんどであり、富士通様も例外ではなかった。人的資本経営においてデータ分析をしようにも、経年データがなかったり、一部の社員のデータしかなかったりする課題に直面する。あるいは、紙媒体やExcelなどでバラバラに保管されている場合もあるだろう。
多くの企業では、このような状況を目の当たりにして、人事データを用いた現状把握や、施策の効果検証を諦めてしまうという。しかしながら、本ラウンドテーブルで業績にインパクトを与えるKPIを見出せた要因は何か。西は、「発想を切り替えて、最初から完璧を求めないことが肝心」だと提言する。
「現状のデータをどう使っていくか、という視点でデータ分析を進めない限り、経営へのインパクトはいつまでも見出せないと思います。そのうえで、まずは重点施策から足りないデータを集めるなどの改善を重ねていくのが現実解ではないでしょうか。最初から大きな理想を描くよりも、現実的に着手できるところから動くことで道は開けるのだと、今回のCHROラウンドテーブルで感じました」(西)
データの利活用を進め、未来の企業価値を向上させる人的資本経営を
CHROラウンドテーブルを終えて、平松氏は「投資家や未来の富士通社員がワクワクするような成長シナリオが実現されている人材資本経営を目指したい」と語る。人的資本経営は未来に向けた持続的成長を表現するものだという考えのもと、今は大きく2つの取り組みを進めているという。
一つ目は、経営戦略を実現するための人材ポートフォリオや組織、人材像を再定義して施策を実行すること。二つ目は、これまで同社が注力してきたエンゲージメント向上や人材流動性の担保が、目指す人材ポートフォリオの実現に資するものであると証明することだ。
人材ポートフォリオが明確に定義され、そのための投資をして施策を行い、結果を検証する。このPDCAサイクルを回すことによって人事戦略が磨かれていくと考えている。
今後、富士通様では、人材ポートフォリオのよりよい描き方を模索するとともに、必要なデータを取得し、利活用を進めていく構想だ。現在構築しているグローバル共通のデータプラットフォームの運用が始まれば、人事データと事業側のデータとを統合して分析できるようになり、データ利活用の可能性は広がる。そしてCHROが果たすべき役割について、「人事施策に思い切った投資ができるチャンスが訪れたのと同時に、投資に対する説明責任も増すと考えています」(平松氏)と語る。
グロービスは、今後も富士通様へのサポートを続けていく。現在は、戦略を実現するための人材ポートフォリオを、ポジションごとのジョブディスクリプションに落とし込んでいる最中だ。各ポジションに適切な人材がスピード感をもって社内外からアサインされ、高いエンゲージメントをもって働いている状態を目指す。
「ここから全社に人的資本経営を浸透させるには、現場を率いるミドルマネジメント層の力が不可欠です。人的資本経営への理解や、新たなジョブディスクリプションに沿って活躍してもらうためのリスキリングやアップスキリングも必要だと考えます」(西)
グロービスのシニア・コンサルタントである鶴谷は、継続することの重要性を語る。
「富士通様のような大企業では、人的資本経営の浸透にはどうしても時間がかかるため、取り組みを続ける難しさがあります。ただ、人事データ分析がさらに進めば、注力すべき施策もよりクリアになるので、そこに対してソリューションを提供し、伴走し続けていきたいと思います」(鶴谷)
日本全体で人的資本経営を進め、競争力を高めたい
西が本ラウンドテーブルを振り返り、複数企業のCHROが議論する場を有意義なものにするポイントとして挙げたのは、本音で語り合うために、最初に関係性構築をすることだ。そのため、本ラウンドテーブルの初回はキックオフと位置付け、問題意識をざっくばらんに吐露し合った。
さらに、富士通様が人事データを開示する意向を示したことで5社共通で取り組むゴールが設定できたとともに、各CHROが場に貢献する意欲を高められたという。「錚々たる企業のCHROが集まる場ですから、データを提供することは最初から決めていました」と語る平松氏は、データを開示したことで得られた気づきは大きかったと振り返る。
「他社のCHROの皆さんから率直にフィードバックいただいたことは、貴重な機会となりました。データ分析で行き詰まってしまった際も忌憚のない意見をいただいたおかげで、私も分析を担当したメンバーも、諦めずに示唆を見出すところまで辿り着けたと思います。また、このプロセスを経て漠然とした問題意識をクリアにすることもできました」(平松氏)
場づくりの重要性は、事務局として運営サポートにあたった鶴谷も感じている。
「西が場をファシリテートしたことで、CHROの皆様は議論に集中できたのではないかと思います。経営や人事戦略への知見があり、経営大学院での講師、顧客企業の役員研修や役員会のファシリテーションなどの経験も多い西が、各社の意見から共通項を見出して議論を整理していったことは、グロービスが大きく貢献できたポイントでした。本ラウンドテーブルのような、複数の知見や課題を持ち寄ってアウトプットを生み出す場においては、第三者視点が必須だと実感しています」
そして「CHRO Roundtable Report」の提言は、ぜひ多くの企業に活用してほしいと西は考える。
「これから本格的に人的資本経営を進めようと考えている企業の皆さんには、まずは自社の人事施策を、人的資本価値向上モデルに当てはめて捉えていただくことをお勧めします。ある程度ストーリーで語れることが出てくるはずですし、自社が注力してきた施策も把握できます。
さらに、戦略を実現するうえで要となる人事施策も仮説として見えてくるので、その施策のデータだけでも取得して、売上や利益と相関があるかを見てもよいのではないでしょうか。仮にデータで証明されなければ、他の施策が業績に効いているのかもしれない、というように考えを進められます」(西)
人的資本経営に注目が集まるいま、人材への思い切った投資ができるチャンスが訪れている。平松氏は、「日本企業全体で、競争力を上げていくための人的資本経営をしていきたい」と今後の展望を語った。
※文中の所属・役職名は原稿作成当時のものです。