- 組織風土改革
人的資本経営推進のための、ウェルビーイング経営の実践(後編)
前回のコラムでは、人的資本経営を推進するためのウェルビーイング(幸福)経営の重要性やあり方、多くの企業が抱える課題についてお伝えしました。
本コラムでは、幸福経営においておさえるべき要素と施策、具体的な事例についてご紹介します。
幸福経営にて押さえるべき要素と、その実践施策とは
前回のコラムで、「情熱実感」「成長実感」「貢献実感」の3つの要素が実感できる仕事がアサインされ、日々働きがいを感じながらエンゲージメント高く働くことができたら、個人にとって最高の職場環境となるのではないかとお話ししました。
これらを踏まえ、企業が社員一人ひとりの幸福度を高める幸福経営を実践するには、個々人に幸せを感じていただくにあたり押さえるべき4つのメインファクターと、そこから派生して出てくる4つのサブファクターが浮かび上がってきましたので、ご紹介します。
個人の幸福に不可欠な4つのメインファクター
「自分らしさ」とは、素のままの本来の自分を活かす姿勢です。会社や組織では与えられた役割を演じようとして肩肘を張ったり、仮面を付けて仕事をしたりしがちですが、ありのままの自分を表せるか否かは、幸せに働くために欠かせません。
生きる意味そのもの、個人のパーパスと言ってもいいでしょう。生きる目的を明確に持っている人は意外と少ないものですが、人生の目的を見出せると、自分の中から自然と大きなエネルギーが湧いてくるものです。
いかに自分の可能性に蓋をすることなく、無限大の可能性を信じることができるかどうかが肝心です。
幸福に関する数々の研究では、他者と良好な関係を築くことの重要性が謳われています。人間は社会的な動物であり、他者との関係なくしては生きていけないのです。
これら4つのメインファクターは、マーティン・セリグマン教授によるPERMA(Positive Emotion、Engagement、Relationship、Meaning、Accomplishment)や、キャロル・リフ教授による6軸(Autonomy、Environmental Mastery、Personal Growth、Positive Relations with Others、Purpose in Life、Self-Acceptance)、前野隆司教授による幸せを構成する4つの因子(やってみよう、なんとかなる、ありがとう、ありのままに)といった幸福学のあらゆる研究結果とも符合しています。
ここからは、この4要素の組み合わせによって生じるサブファクター(図1のオレンジ部分)について着目し、さらに具体化して解説しましょう。
メインファクターから派生する、4つのサブファクター
メインファクターにおける「自分らしさ」は主に価値観に焦点を当てたものですが、ここで言う「強み」とは、自分の可能性を信じ自己効力感を高めることを通じて、自分ならではの知見や能力、軸といった、物事に向き合う上で重要となる「強み」を認識することです。
人生の目的や目標が高いほど、今の自分のままでは太刀打ちできません。ここで自分の可能性を信じることができれば、諦めることなく自己研鑽に励むことができます。人は自分の能力が高まり、できなかったことができるようになると、大きな喜びや充実感を覚えるものです。
無理に相手に合わせて付き合う関係性ではなく、ありのままの素の自分でいながらも自然に良い関係性を築けるコミュニティがあることを表しています。自分ならではの“居場所”を多く持つ人ほど、大きな幸福を感じられるのです。
自分を人生の目的・目標に向けてストレッチさせてくれるコミュニティを指しています。お互いに切磋琢磨し、刺激を与え合うコミュニティをどれくらい持てるかも幸福度に関わってきます。
これら8つの要素と、前編のコラムでご紹介した働きがいを構成する3つの要素(情熱実感、成長実感、貢献実感)には関連性があります。
情熱実感は、「自分らしさ」を発揮しながら「人生の目的」のためにやりたいことができているかに関係します。成長実感は、図1の左側で示している「強みの認識」をして「自己成長」することだといえますし、貢献実感は「周囲との繋がり」を感じられる意味において、図1の右側と深く関連しているのです。
幸福経営を支えるメインファクター、サブファクターの実践例
会社に所属しているだけで、人生の目的に近づけていると感じられたら、その組織は本人にとって理想的です。グロービスでは、社員がそのように感じられるよう、会社経営において工夫を重ねています。当社の具体的な施策について、一部ご紹介します。
※当社は日経ビジネス(2024年1月29日号)で発表された「社員の士気が高い企業」ランキングで第9位にランクインしており、また、Great Place to Work(R) Institute Japan(以下 GPTWジャパン)が実施する日本における「働きがいのある会社」の2024年版総合ランキングにおいても、653社の参加企業のうち中規模部門で総合ランキング8位となり、11年連続で選出されています。
まずは、メインファクターに関連する取り組みからご紹介します。
社員が「自分らしさ」を発揮して働くためには、価値観を棚卸して自覚するとともに、心理的安全性を担保する仕組みが必要です。グロービスでは、階層研修において、自身の価値観を見出すためのワークショップを実施しています。この場では心理的安全性の担保も重要になるため、ファシリテーターが率先して自己開示をしたり、弱さを見せたりすることも大切にしています。
当社には「自己実現の場の提供」という経営理念があり、個人の自己実現を成し遂げてもらうことを当たり前のものとしています。具体的には、毎年の目標管理制度において、自分の人生の目的に繋がる目標を設定してもらうよう支援しています。さらに、マイ・パーパスを見つけるワークショップを開催したり、ラインの上長とは異なる「斜めメンター」を付けて人生やキャリアの相談をしやすくする制度を設けたりもしています。
自分の「可能性への信頼」を高めるには、周囲のメンバーが前向きな気持ちになれるようなコミュニケーションが重要です。そのために、成功体験を積めるような業務アサインが必要だと考えています。人が自分の可能性を信じ続けることは簡単ではないので、自己効力感を高めるための周囲の支援も欠かせません。
所属するチームや部門に閉じず、社員同士の交流を活性化する場を、経営が主導して設けています。その一例として、ランチにケータリング料理を用意して部門を超えて交流できるイベントを定期的に開催したり、業務では直接関わらない社員同士が知り合うことを目的とした雑談ミーティングを推奨するなどしています。
続いて、サブファクターに関連する取り組みについてもご紹介します。
「クリフトンストレングス®というツールを用いたり、360度フィードバックによって、自分が認識していない強みを周囲のメンバーから伝えています。また、表彰制度においては、わかりやすく具体的な成果を挙げた社員のみならず、一隅を照らすような活動をした社員も表彰し、より多くの社員に自分の強みを認識してもらうきっかけにしています。
社員が自分の能力を上げるために年間20万円まで使える自己啓発支援制度、DXや生成AIといった最先端テーマの研修に加え、年1回は自分のキャリアを再考して新たに希望するポジションを考えてもらうためのジョブポスティング制度や異動希望制度を用意しています。
社員がクラブ活動や自主活動イベントを開催しやすいよう支援する制度や、懇親会の予算の利用基準を設け、普段のライン業務以外にも社員一人一人が自然体でいられるコミュニティを社内の中に作れるよう、働きかけています。
自分の志を語り合うという青臭い議論ができる組織文化の醸成を意識しています。具体的な施策としては、個々人の人生の目的やキャリア観に応じた勉強会や読書会を自主開催してもらうことが効果を発揮し、学び合うカルチャーを形成しています。
このように、具体的な施策をいかに経営に取り入れられるかによって、幸福経営の実現に近づいていけるのではないでしょうか。
自分の「内なる心の声」を聴く重要性
4つのメインファクターと、そこから派生する4つのサブファクターをどれだけ満たせるかが、人の幸福度に大きく影響してきます。しかし、これらの要素は勝手に出来上がってくるものではありません。これらを導き出すために重要な、9つ目となる隠れた要素(=シークレットファクター)があると考えています。
このシークレットファクターとは、自分の「内なる心の声」を聴くことです。自分では気づきにくいものですが、人は、頭で考えていることと心で感じていることが異なる場合が多くあります。自分の価値観や人生の目的を見出したり、誰とどのように繋がっていたいかを考えたりするには、内なる心の声を聴くことが最も重要ですが、これは簡単なことではありません。組織で働いていると、頭で考えていることが優先されがちで、自分の心の声が何を叫んでいるのか聴こえなくなってしまうものです。
社員が自分の「内なる心の声」を聴けるようになるために会社が支援できることは、その重要性をしっかり伝えるとともに、常識とされるものを取り払って心の声を感じ取るための時間や場所を提供することではないでしょうか。そして、自分の心の声を聴けるようになるのは容易なことではありませんので、粘り強く待つことも必要だと考えます。
幸福経営の3つの難所とその乗り越え方
幸福経営の実践にあたっては、難所も存在します。今回は、3つの難所とその突破の鍵について解説します。
1つ目の難所は、「ウェルビーイング(幸福)経営で飯が食えるのか?」という根強い認識が壁となり、実践に繋がらないことです。この認識を改めるには、本コラムを通してご紹介した、社員の幸福度向上によって創造性や生産性が高まり業績がアップするという因果関係を理解していただくことが必要だと考えます。前編でご紹介した通り、幸福を感じている社員はそうでない人と比べて創造性は3倍高く、生産性は1.3倍高いなど、具体的な研究結果も明らかになっています。組織における認識をアップデートいただくうえで、ご活用いただければ幸いです。
次に、「幸福」というビッグワードを要素分解できずに思考停止してしまうことが往々にして起こります。「幸福」が重要とはわかっていても抽象度が高いため、具体的な取り組みがイメージできず、わかりやすい身体的な健康のみを意識した健康経営に留まってしまいがちです。抽象度の高さに諦めてしまう前に、今回ご紹介したような要素分解をしてみると、具体策が考えやすくなります。
最後に、染み付いた管理統制型マネジメントから抜け出せず、幸福経営が絵に描いた餅に終わってしまうことも珍しくありません。組織の上位層にとっては、社員の行動を抑制すると管理しやすくなるものの、働くことで幸せを感じてもらうためには社員本人がやりたい仕事をアサインする必要があります。そのため、管理統制型のマネジメントはウェルビーイング経営とは相反する性質があるのです。長年にわたって習慣づいているマネジメントスタイルを変えるのは難しいものですが、「人の可能性」を信じきれるかがポイントになります。管理職が、小さなところから社員を信じることを実践し、人の可能性が開花する瞬間に立ち会う経験を積み重ねていくと、その効用の大きさを実感できると思います。
グロービスでは、この3つ目の難所を乗り越えるために、性善説で人に向き合う姿勢を貫いています。性悪説で向き合うと、管理やルールを厳格にせざるを得なくなり、社員はいつまでも幸福を感じられません。ぜひ性善説で相手に向き合い、可能性を信じて委ねたときに何が起こるのかを見定めていただきたいと思います。
企業経営において生み出される商品やサービスは、すべて人が生み出すものです。だからこそ、この原点や起点となる人の能力を最大化させるべく、社員の幸福に向き合う幸福経営の実現に向けて、考えていただくことが重要です。本コラムでは前後編にわたり、幸福経営が求められる背景やあり方、実践方法、難所の乗り越え方などをご紹介してきました。皆さまの企業が幸福経営を実践するにあたり、少しでも参考になれば幸いです。