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社会価値と経済価値 その二つをつなぐ経営

2026.06.30
社会価値と経済価値 その二つをつなぐ経営


味の素グループは、創業以来、事業を通じて社会価値と経済価値の共創に取り組むという経営姿勢で歩んできました。現在はこれをASV(Ajinomoto Group Creating Shared Value)と名付け、経営の根幹に位置付けています。同グループでは数年前からこのASVをより実効性、機動性に富む形に進化させました。この挑戦には、これからの日本企業の経営にとって大切な要素が数多く含まれています。経営企画部門の長としてこの進化に取り組んだのが執行役 経営企画担当の嵐田高彰さん。グロービスの板倉義彦がその内容や深層をお尋ねしました。

※味の素のポートフォリオ経営については、こちらのレポートにてご覧いただけます。

サステナビリティに社会価値と経済価値の両立は不可欠

理念を投資判断にまで引き寄せる

板倉:

味の素グループは以前からASVという考え方を掲げていますが、それを近年より実効性のある形に進化させようとされた背景には、どのような問題意識があったのでしょうか。

嵐田:

ASVは当社の基本的な価値観であり、創業以来の思想でもあります。ただ、サステナビリティという言葉が世の中に広がる中で、理念と事業の実体との間に、どこか距離があるように感じていました。事業の現場に十分に理念がビルトインされているとは言い切れない状態だったのだと思います。

板倉:

理念としては共有されているが、実際の判断には結びついていない、と。

嵐田:

そうですね。社会価値の創出は時間差のあるテーマが多く、短期的なリターンでは評価しづらい。企業としてはスケールしなければならない以上、投資の優先順位をどう付けるかという問題に必ず直面します。そのときに、経済合理性だけで判断してしまうと、どうしても社会価値は後回しになってしまう。

板倉:

そこをどう乗り越えたのでしょうか。

嵐田:

一つは、サステナビリティと事業戦略を切り離さず、意思決定の中に組み込むことです。例えば、「2030年ロードマップ」におけるキャッシュフローを考えるときに、サステナビリティに使うための枠をあらかじめ設定したことです。これによって、短期的なリターンだけでは評価しにくいテーマにも、経営として資金を投じることが可能になりました。

板倉:

サステナビリティは、事業部単位では持ちにくいテーマでもありますよね。

嵐田:

おっしゃる通りです。個別の事業では回収しきれないものや、全社で取り組むべきテーマも多い。そうした領域については、共通コストや共通アセットとして捉え直す必要がありますし、会計の考え方も含めて見直していく必要がある。ASVを単なる理念にとどめず、企業価値の向上につながる投資として扱うための枠組みを整えようとしています。

板倉:

理念を掲げるだけでなく、判断の仕組みまで変えるということですね。

嵐田:

そうですね。ASVはルールというより、企業のDNAに近いものだと思っています。ただ、それを本当に機能させるには、最終的には投資判断にまで落とし込む必要がある。その意味で、理念をどう実装するかという挑戦と言えると思います。



味の素株式会社 執行役経営企画担当 嵐田 高彰 氏
味の素株式会社 執行役経営企画担当 嵐田 高彰 氏

少し遠い未来の「ありたい姿」とのギャップを考える

中計廃止という決断で得たもの

板倉:

一連の変革の中でも、46年も続いた3カ年中計(中期経営計画)の廃止はインパクトの大きい決断だったと思います。中計廃止の理由は何ですか。

嵐田:

大きくは四つあります。第一に、「計画疲れ」すること。前社長の藤江太郎さんが計画で疲弊する弊害を、これではPDCAでなくPPPP(計画、計画、計画、計画)だ、と表現していたのを思い出します。第二に、「外部の環境変化に対応できない」こと。中計の策定にはかなりのエネルギーを注ぐだけに、思い入れも強くなる。すると、環境が変わってもすぐには軌道修正しなくなってしまう。第三に、部門別に作る中計の達成度が賞与につながるため、「達成しやすい計画になりがちである」こと。第四に、3年単位の計画だとなかなか組織を超えた「大きな夢を追えない」ことです。部門に閉じた現状の延長の個別最適の計画になりやすいのです。

板倉:

中計を廃止しても、経営自体は問題なく回るようにしなければなりませんが、どのような方法を採ったのですか。

嵐田:

「2030年ロードマップ」として、少し遠い未来の“ありたい姿”を描き、マイルストーンを設けた上で、バックキャストとフォーキャストを組み合わせて運用しています。「2030年ロードマップ」で示したのは8年先の姿です。そこから逆算して今何をすべきかを考えるという発想で、挑戦的な「ASV 指標」を掲げています。

板倉:

「ASV 指標」は、以前の中計のKPIを一部踏襲していますね。

嵐田:

そうです。ただし、経済価値指標と社会価値指標をセットとして考え、また日常的には、毎月目標をアップデートし、将来予測を最新の状態に更新していくローリングフォーキャストを行っています。経営会議では常にその最新の見通しを共有しています。
従来は単年度予算があり、目標と実績とのギャップを見て、その理由を説明することが中心でした。しかし、今は将来のありたい姿と比較して、そこを埋めるためにどうするかを考えるやり方です。

板倉:

将来とのギャップは毎月見直すのですか。

嵐田:

半年に1回ですね。8年先にどこまで行けるかを考えて年に2回、ギャップの解消を考えます。

板倉:

中計では3年単位ですが、8年先となれば長期的視野で取り組むことができますね。

嵐田:

企業がさらなる高みをめざすにはイノベーションが必要です。3年くらいの計画だと現状の延長になりやすいのですが、未来の、簡単には届かない姿を設定するとイノベーションが喚起されます。

板倉:

こうした改革によって、組織のマインドセットも含めてどのような変化がもたらされましたか。

嵐田:

イノベーションへの積極性もそうですが、過去の実績とのギャップを埋める“ 言いわけ”ではなく、未来の姿とのギャップを解決する手段を考えるようになりました。それまでは年度末の数字、短期の数字を積み上げることに時間をかけてきましたが、今は投資にせよ戦略にせよ、短期的目標のために中・長期的目標を後回しにすることがなくなりつつあります。
中・長期的な目標は当社が本当にしたいことと言ってもよく、そこに向かうことが真の成長だと考えています。

板倉:

組織の機動力も向上したのではないですか。

嵐田:

意思決定プロセスがシンプルになったことで、機動力、実行力が増したと思います。また、経営企画をはじめコーポレート部門もかなり変わったと実感しています。支援・サポートの域を脱しつつあり、価値創造へのチャレンジをリードしようとする場面も出てきています。



株式会社グロービス コーポレート・エデュケーション マネジング・ディレクター 板倉 義彦
株式会社グロービス コーポレート・エデュケーション マネジング・ディレクター 板倉 義彦

味の素の強みが重なる領域に経営資源を集中

板倉:

ここで改めて「2030年ロードマップ」について伺います。未来に向けて、事業のポートフォリオをどのような方向へ向けていこうとしたのでしょうか。

嵐田:

味の素グループのビジネスは多様化を重ね、約150のビジネスユニットがあります。これを整理・検証し、「2030年ロードマップ」では成長戦略の基本方針として、味の素グループの強みである「アミノサイエンスを活かせる領域」、「市場の成長性が高い領域」、「社会価値が高い領域」の3領域の掛け算となる部分に経営資源を集中することを明確にしました。2030年には事業利益ベースで、食品:バイオファインの比率を1:1にする予定です。食品より収益率の高いバイオファインの比率を増すことで、強靭でユニークなポートフォリオになると考えています。

板倉:

社会価値の領域は数値にしにくいですから、これを含めてポートフォリオを考えると難易度は高くなりますね。どのように組み立てていったのでしょうか。

嵐田:

一般的には競争力や市場成長性だけを考えればすむわけですが、社会価値を組み込まないとASVの意味がありません。まず事業の将来性や競争優位性など数値になる部分で有望領域を決め、そこにパーパスとの照合、無形資産の蓄積、グループ内シナジーなどの非財務的な要素を加えて検討し、絞っていきます。ただこうした部分は数値分析ができないので、経営企画では数値以外の指標軸、切り口などを示しています。一律の方法はないですね。

板倉:

そうした財務・非財務の両面から事業を絞り込んでいく中で、実際の意思決定や推進は、どのように各部門に委ねていらっしゃるのでしょうか。

嵐田:

経営企画がすべてをコントロールしようとする発想はありません。組織的には、事業部単位で小さく回す事案、事業本部・地域本部で回すやや大きな事案、会社全体で横断的に動かす事案の三つがあり、経営企画が入るのは全社レベルの事案です。前の二つは、モニタリングはしますが自律自走してもらうやり方で進めています。



味の素株式会社 執行役経営企画担当 嵐田 高彰 氏
味の素株式会社 執行役経営企画担当 嵐田 高彰 氏

タイ農家への支援で実感したASVのポテンシャル

板倉:

先ほどの非財務的な要素について少し具体的に伺いたいのですが、味の素ではインパクトパス(非財務的活動が、最終的な企業価値向上につながる道のり)を描かれていると伺いました。これについて、具体的な事例はありますか。

嵐田:

タイの農家への支援プロジェクト「Thai Farmer Better Life Partner Project」は、私がオーナーとなって始めたもので、全社に先駆けて行ったインパクトパスの事例です。タイ味の素では、うま味調味料の天然原料であるタピオカ芋がなるキャッサバの栽培農家に恩返ししたいと思い、彼らの課題を探り、どのような支援ができるか考えました。我々の事業活動がどんな社会価値を生み、それが財務につながっていくのかを描きました。自分としてはプロジェクトを通じて農家の収入や生活が少しでも改善するとともに、タイ味の素の原料調達がサステナブルになればと思っていました。この企画に共鳴して産官学の40ものパーティが集まり、エコシステムができていったのです。この動きを目の当たりにして感動するとともに、ASVのパワー、ポテンシャルを感じましたね。

板倉:

嵐田さんがプロジェクトを成功に導けた理由はどこにあるのでしょうか。

嵐田:

この農家支援プロジェクトの前になりますが、当時タイの現地では退職者が多いなど、いろいろな問題があり、まずは企業文化を変えたいと思いました。そこである程度時間をかけ、組織を活性化させるための取り組みを行い、一定の成果を得ることができました。そのとき、組織は変われるものだと実感しましたね。私が意識していたのは、バランスマネジメントから逃げないということです。短期と中・長期、バックキャストとフォーキャスト、事業部と全社など、経営には二律背反する要素が常に存在します。社会価値と経済価値も同様です。それらをバランスさせ、両立させることが競争力にもつながるだろうと。



味の素株式会社 執行役経営企画担当 嵐田 高彰 氏
味の素株式会社 執行役経営企画担当 嵐田 高彰 氏

人財や企業文化こそ残すべきかけがえのない資産

戦略の要諦は、実行力にある

板倉:

タイでのご経験から、組織が変わる瞬間を肌で感じてこられたのですね。その原体験を今、味の素グループ全体の経営にどのように反映されているのでしょうか。

嵐田:

そうですね。戦略は大切ですが、私はそれ以上に大切なのは、戦略の実行力だと思っています。これを左右するのが企業文化ですね。だからそこを大事にしています。また、経営陣は一丸となってワンチームにならないといけません。ですから、経営企画が1年に1回実施している役員合宿を非常に大事にしてきました。

板倉:

役員合宿などの場で印象的だったことはありますか。

嵐田:

2024年に、経営会議や役員合宿で我々の挑戦や変革の実行力を妨げている原因について、議論しました。障壁や妨害するものを「魔物」と名付けて抽象化した形で抽出し、アンケートなども使ったら、74体も魔物が出てきました。

板倉:

客観的な視点から見ることができるし、おもしろさもありますね。どんな「魔物」が出てきましたか。

嵐田:

「マイクロマネジメント魔物」、「上司の了解を取ることをゴールにする魔物」、「お前ら挑戦しろ! 魔物」、「過去の成功にしがみつく魔物」など。さらに魔物同士のループ図も作り、因果関係も探りました。魔物は時間や環境とともに変化するし、波及の仕方も違います。実は自分たち自身、経営チームが、挑戦や変革を妨げる要因になりえることに、皆さん途中でハッとしていましたね。

板倉:

この取り組みから嵐田さんが感じたことは何ですか。

嵐田:

二つあります。一つは挑戦する力や創造性を高めるには、足し算だけでなく、引き算、つまり「魔物」のような障害を取り除くだけでも効果があるということです。もう一つは、ある時点での善が、時間の経過や環境変化で魔物化する場合もあるということです。そのため、単に魔物を退治するだけでなく、自分たちの立ち位置を変えたり、環境変化に応じて適応させたりといった対応も必要だという気づきがありました。

板倉:

今後もASVを進化させ続けていくために、どのような点が重要になるとお考えですか。

嵐田:

私の持論ですが、戦略はコモディティ化しやすいものです。だから人財や企業文化とセットで考える必要があります。私としては今後も人財や企業文化を残す仕事をしていきたいですね。土台づくりに終わりはありません。ロードマップを策定して3年ほど経ち、 2030年を待たずに変えるべきところは変えていきたいと考えています。
2030年になって一気に改定するのではなく、今のロードマップをローリングしながら進化させるコンセプトです。既にそのための準備は始めています。

板倉:

ASVを通じて味の素グループのさまざまな取り組みがつながっていること、そこに貢献した嵐田さんの思いや発想がよく理解できました。本日はありがとうございました。



集合写真
対談を終えて

社会価値と経済価値の両立を掲げる企業は多いものの、それを実際の意思決定や投資判断にまで落とし込めている企業は決して多くありません。本対談では、味の素グループがASVを額縁の中に入った理念にとどめず、経営の仕組みとして実装してきたプロセスが具体的に語られました。中計廃止や「2030年ロードマップ」の策定、さらにはASVの実効性を高める組織文化の変革など、戦略・仕組み・文化を一体で動かす実践は、多くの経営リーダーにとって示唆に富むものとなっています。本対談が、経営のあり方を見つめ直し、次の一手を考える契機となれば幸いです。(板倉)

嵐田 高彰

味の素株式会社
執行役経営企画担当

嵐田 高彰 / Takaaki Arashida

1994年、味の素株式会社に入社。生産技術研究所、発酵技術研究所、国際生産推進センターにて、核酸系うま味調味料「I+G」の新製法開発に従事し、コスト削減および海外工場建設に貢献。その後、本社の加工用調味料部、生産戦略部を経て、タイ味の素社に長期駐在。工場製造部長、技術センター長、副社長を歴任し、生産・技術・品質・環境・SCM・組織開発など幅広い領域のマネジメントを担う。帰国後は経営企画部門にて、ASV(Ajino moto Group Creating Shared Value)の進化および2030年ロードマップの策定を主導。2021年に執行理事 経営企画部長、2023年より執行役 経営企画担当。2026年より執行役常務 バイオ&ファインケミカル事業本部長に就任。

板倉 義彦

グロービス・コーポレート・エデュケーション
マネジング・ディレクター

板倉 義彦 / Yoshihiko ITAKURA

アグリビジネスの大手企業で商品企画、および生産企画での経験を積んだ後、IT業界に転じて製造業向けソフトウェアの営業・導入コンサルティング、および不採算営業部門の組織改革にリーダーとして携わる。その後、グロービスにてさまざまな業種・業界のクライアントに対して人・組織能力開発の側面からのコンサルティング活動を行う。名古屋エリアの法人事業統括、新サービス開発、部門経営企画を歴任し、現在は、マネジング・ディレクターとして、人・組織能力開発のコンサルティング部門の経営、およびグローバル事業の推進に携わる。経営戦略ファカルティにも所属し、経営戦略領域のコンテンツ開発にも従事する。国立東京農工大学 農学部卒業、豪ボンド大学経営大学院修了(MBA)、英国 ロンドン・ビジネススクール SEP(Senior Executive Program)修了。

※本インタビュー記事の部署・役職、プロフィールは2026年3月取材時点のものです
グロービス・コーポレート・エデュケーションマネジング・ディレクター 板倉 義彦

グロービス・コーポレート・エデュケーション
マネジング・ディレクター

板倉 義彦 / Yoshihiko ITAKURA

アグリビジネスの大手企業で商品企画、および生産企画での経験を積んだ後、IT業界に転じて製造業向けソフトウェアの営業・導入コンサルティング、および不採算営業部門の組織改革にリーダーとして携わる。その後、グロービスの法人部門(グロービス・コーポレート・エデュケーション)にて、自動車業界を中心に様々な業種・業界のクライアントに対して、人材育成・組織開発の側面からのコンサルティング活動を行う。また組織開発の新サービスの立ち上げにも従事し、現在は同部門の経営企画を担う。
経営戦略ファカルティにも所属し、経営戦略領域のコンテンツ開発、エグゼクティブスクールでの経営戦略領域を統括する。 国立東京農工大学 農学部卒業。豪ボンド大学経営大学院修了(MBA)

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