- グローバル・D&I
本気で向き合う情熱がグローバル事業を動かす
日本企業のグローバル化を見ると、製造業では積極的に海外進出を進めている企業が多くある一方で、サービス業はまだまだこれからと言えるでしょう。しかしサービス業としてグローバル化に成功し、急速に成長した稀有な例があります。それがリクルートグループです。数多くの失敗や試行錯誤を重ねつつも、Indeedの買収とその大幅な事業成長に成功し、今や売上高の半分近くが海外事業からもたらされるようになりました。その立役者の一人が瀬名波文野さん。リクルートグループがいかにグローバル化に取り組み、なぜ成功できたのか。グロービスの西が、瀬名波さんにご自身の歩みとともに聞きました。(※本インタビュー記事の部署・役職、プロフィールは2022年10月取材時点のものです)
グローバルに事業展開しなければ先はない
強烈な洗礼から始まったロンドン赴任
西:リクルートのグローバルビジネス展開に以前から注目していました。ですから今回、瀬名波さんとお話しする機会を大変楽しみにしています。瀬名波さんがグローバル事業に携わるようになったのは、ロンドンに赴任されたのが始まりでしょうか。そこに至るまでの話も少し聞かせてください。
瀬名波:私が入社したころは、海外事業はなくて。最初の配属先は経営企画室で、楽しかったしやりがいもありましたが、ずっとそこにいると現場の苦労や商いの醍醐味を理解できない寒いビジネスパーソンになりそうだったので、「最も厳しい現場に出してください」と上司に直談判しました。結果的に、人材関連事業で超大手企業を担当する営業部署に配属してもらいました。
西:そこですばらしい業績を挙げられたと聞きました。
瀬名波:成果も出ていてやりがいもあったのですが、ある時、たまたま参加した研修がきっかけで大きくキャリアを転換することになります。当時の事業トップがリーマンショック時の経営者としての葛藤について話していて、彼の視座や事業への愛に衝撃を受けました。初めて、「経営者を目指してみたい」と思ったんです。ちょうど会社がグローバル展開に乗り出した時期で、英国の人材派遣会社を買収し、そこを立て直すための経営補佐を募集していました。
西:そこに手を挙げたのですね。
瀬名波:そうです。応募には、英語はもちろん、駐在経験、マネジメント経験、ファイナンス知識などいくつかの条件が必要でしたが、ほとんど私は該当しなくて。でもとにかくチャレンジしたいという意志を伝えたところ当時の上司が面白がってくれ、採用してもらうことができました。
西:立て直しということは相当厳しい業績だったわけですね。その会社をリクルートはなぜ買収したのでしょうか。
瀬名波:経緯をお話しすると、人材派遣事業では、まず先に国内で経営メソッドが確立されていたんです。そのメソッドを導入して、実際に国内で自社よりも大きな競合企業(スタッフサービス)を買収して既に成果を挙げていました。当時は、そのメソッドが海を越えて通用するか試してみよう、というような時期でしたので、厳しい業績のところを買収するのでよかったんです。むしろそれは伸び代というように見えていましたから。そのひとつがこの英国の会社だったのです。
西:ロンドンでは、どんな状況でしたか。
瀬名波:まさに孤立無援でした。現地の方々にしてみれば、聞いたことのない極東の一企業に買収され、そこから20代の女性がやってきて経営に意見してくるわけですから、冗談じゃない、というのが本音だったでしょうね。私の提案はまったく聞いてもらえず、情報も入ってこない。半年くらいは何をやってもうまくいかず、家でも会社でもたった一人で、かなりつらかったですね。
ロンドンでの孤軍奮闘の日々は人生の財産
悪化した業績をキックオフで公表
西:何がターニング・ポイントになったのでしょう?
瀬名波:悪戦苦闘の中で私が気づいたのは、根本的な課題は、会社の危機的な経営状態をほとんどの社員が知らないということ。そこでCEOに、キックオフミーティングを開いて社員に会社の現状を知らせ、業績回復のための施策や提案を伝えるべきだと言ったんです。
西:CEO の反応はどうでしたか。
瀬名波:激しく反対しましたね。業績が悪いことを開示すれば優秀な社員から辞めていってしまうという彼の主張も十分理解できますから。しかし、今の業績では非常に厳しいリストラをせざるを得ない。そこに議論の余地はない。何も知らせずに実行したら、社員の不信感は大きくなるばかり。それならばむしろ問題を共有し、皆で現実に目を向けてこそ活路が開けるはずだ、と説得しました。資料は私が書くからと重ねて頼み、なんとか同意を得たんです。
西:その結果はどうでしたか?
瀬名波:危機的な業績が一目瞭然の棒グラフがスライドに映し出されたそのとき、全員が息を飲む音が舞台袖にいた私にもはっきり聞こえました。そこで空気が一気に変わったのを今も覚えています。社員が現実に向き合ったこのとき、ロンドンに来て初めて一つ仕事をした、と思えました。
西:20代後半、しかも赴任してわずか半年ほどで、普通そんな過酷な立場には置かれないし、経営に真っ向から向き合う機会もないはず。買収側なので、経営ポジションを取ってそのパワーを使って改革もできたはずだが、瀬名波さんはそれなしでやるべきと考えて実行した。すごいことだと思います。
瀬名波:状況はシンプルで、すべきことは明確でしたからね。それに私は心底、事業を良くしたかったし、できるとも思っていた。
西:
それには現場の理解が必要ということですね。それをポジションパワーではなくリーダーシップ一つでやり遂げたことに感嘆します。CEO の様子はどうでしたか。
瀬名波:キックオフの後には彼も手応えがあったのでしょう、その夜、初めてビールで乾杯したのを覚えています。そこからは私がセンターに立って変革を進めていき、一年後には社長を任せたい、とバトンを渡してくれました。
西:まさにターニング・ポイントだったのですね。
瀬名波:こういう経験ができたことはものすごくラッキーだったと思います。自ら望んで行ったものの、何もかもうまくいかず、自分の能力や経験がいかに足りないかという事実と向き合い、そのうえで腹を括って、成果を出すことができた。
西:私も中国に日本人一人で行って合弁事業をしたことがありますから、瀬名波さんのそういうアウェイ感はわかります。最初、冷ややかな反応だったものが、こちらの本気が伝わると、打ち解けていきますよね。
瀬名波:そうですね。私がこの仕事ですごく感謝しているのは、本当のダイバーシティを経験できたこと。人種も文化もキャリアも世代も全く異なる人々が、事業で一緒に勝っていくことで本当の仲間になれた。私の人生における大きな財産になったと感じます。
ジャカルタの風景が生んだIndeed買収
西:その後、帰国され、今度は、米国の求人検索エンジンのIndeed に関わられたのですね。
瀬名波:はい。人事室長をしていたとき、Indeedを手伝ってもらえないかと出木場(出木場久征氏・リクルートホールディングス代表取締役社長兼CEO)から言われ、2018年から本拠地のテキサス州オースティンに駐在しました。
西:そこからはリクルートホールディングスの執行役員、さらにCOO、取締役、と大活躍されていますが、そもそもリクルートはどうやって事業をグローバル化できたのでしょうか。
瀬名波:私が入社する前の2000年頃からグローバル展開が議論されていました。国内の人口減少などを受け、海外にリソースを振り向けるべきだと。そこで2000年代はバーティカルモデルで、情報誌ビジネスを、中国で自前で展開しようと試みたんですが、結局うまくいきませんでした。そこから学んで、今度は勝ちパターンを国内で確立した派遣事業をM&Aという手段で、米国で最初に展開しました。
西:Indeedとの出会いはどのように?
瀬名波:きっかけは出木場が、旅行事業のM&A 候補先企業を求めてジャカルタに出張したときに見た風景です。当時のジャカルタでは、車両あたり3名以上乗っていないと市内を走行できない、という交通規制があり、女性たちが他人の車に乗車してわずかなお金を稼いでいたのです。出木場が、他の仕事を探さないのか、と尋ねてみると、「どうやって仕事を探せばよいのかわからない」との返事。世界中で仕事探しの領域には改善の余地があるなと直感した。そこからたどり着いたのがIndeedなんです。
西:
それにしても、よく経営陣が投資を決断しましたね。
瀬名波:彼の、一瞬の直感を経営戦略に昇華させるまでのスピードや精度は、運ではなくて地道なプロセスの賜物です。徹底的に買収候補を探し、議論を重ねるなかでIndeedに出会った。それでも役員会は大反対でした。売上高は当時60~70億円程度、利益も出ていない企業を 1000億円以上で買収すると起案している訳ですから。
西:その大反対を乗り越えられたものは何ですか。
瀬名波:グローバルに事業展開しなければこの先はないという認識は共通していました。またリクルートではほとんどの新規事業が社員のアイディアから始まっているし、役員の誰もが、身の丈以上の何かを「やりたい」と言ってチャレンジしてきた経験があるから組織全体として「やりたい」には寛容です。言い出しっぺが自分でやるという文化なので、買収後も出木場はオースティンに駐在してIndeed のリーダーとなりました。
西:それはすばらしい企業文化ですね。
「やりたい」思いに寛容な企業文化
3カ年計画や中経は作成しない
西:企業組織を変えようとするとき、グローバルに通用する方向に導くには何をすべきでしょうか。
瀬名波:我々も日々試行錯誤です。新しく始めたことも、やめたこともあります。グローバルで勝負できる報酬制度を新設した一方で、例えば配当性向30%とか、中期経営計画などはやめました。もちろん長期のビジョンは明確にあり、それに沿って毎年 IRガイダンスは出しますが。いずれにしても、日本流や自己流を貫くのではなく、まずはテックジャイアントから謙虚に学ぶことが大事かなと思います。
西:人材についてはどうですか。
瀬名波:役員も含めて適材適所でやっています。リクルートは新卒文化と思われていますが、実は国内でも約8割が中途入社者です。役職は最も向いている人に任せるという発想です。
西:日本企業が世界標準で運営するのが難しい理由は報酬面にも出てきますね。
瀬名波:そうなんです。知恵を絞って新しい報酬体系を作りました。ポートフォリオを進化させていく途上にいる我々にとって、日本企業だけのベンチマークではグローバルの採用マーケットで全く勝負できないし、一方で一気にアメリカのテック企業と同じ様に何十億も報酬を出すというのも一足飛び過ぎるなぁ、と。そこで、3つの全く異なる事業ポートフォリオの変化にともなって、報酬そのものも変わっていく、というメカニズムにしました。ポートフォリオがHRテック事業に寄るほど報酬もそこに近づき、そうでないなら離れていくという連動的な仕組みにしたということです。
西:HR テック領域の売上が急速に増えましたね。
瀬名波:そうですね。海外比率は 2010年に1%未満だったのが今では55%を超えています。
西:国内事業を減らさずに海外事業を足し算してこの比率まで持っていったことは驚異的です。また製造業でなくサービス業で海外売上高比率50%超えという日本企業は稀有です。リクルートのグローバル化成功の軌跡は、サービス業全般に勇気を与えてくれると思います。
瀬名波:ありがとうございます。でも本当にまだまだです。ジャイアントの背中がようやく見えるか見えないかという位置についたくらいだと思っています。
事業成長と社会貢献を両立させるために
西:今回、私がお聞きしたかったもう一つのテーマがサステナビリティについてです。ここに来て社会へのコミットにかなり注力されています。グローバル企業としての責任感からでしょうか。
瀬名波:2020年に取締役に就任するにあたって色々なことを考えました。HRマッチング市場で世界一になりたいという目標を掲げていましたが、宇宙から見たら、どの企業が世界一かどうかは本質的に意味がないな、と。大きくなっていく私たちの影響力をいかに社会にとって良いことに使うかが大事だと思いました。ちょうど時を同じくして、コロナがあって。世界中でたくさんの人が仕事を失う中で、あらためて自分たちの生業である「人と仕事を結びつけること」の意義を強烈に意識するようになりました。
西:そこからサステナビリティ方針が出てきたのですね。
瀬名波:そのとおりです。方針をきちんと言語化し、具体的な定量目標をおくことで、ドライブをかけています。
西:本業+マテリアリティと設定される企業が多い中で、リクルートは本業を通じたマテリアリティ実現とされていますね。どのようなお考えによるものですか?
瀬名波:事業の横で何かちょこっといいことをする、ということではなく、骨太に、事業の真ん中で社会に貢献するべきだという考えは元々強くありました。例えばOECD のデータによれば、「世界の人々の40%は仕事を失うと3カ月で貧困に陥る」という現実があり、それに対して「2030年に就業までに掛かる時間を半分にする」という目標を掲げました。貧困に陥る人を少なくするという意味でも仕事探しのスピードは重要ですが、同時にこれは我々のマッチングの精度が圧倒的に高くなっている、つまり、競争優位が高まり業績にもつながることを意味しています。サステナビリティを事業の真ん中で実行するからこそ世界を変えられる。そんな気持ちでやっています。まだ道半ばですけどね。
西:収益力と社会的インパクトの両立ですね。そこに瀬名波さんの本気度を感じます。2030年を迎えたとき、世の中が変わり、新しい価値観が浸透していたらすばらしいと思います。これからも、日本で、世界で、リーダーとして活躍されることを応援しております。
瀬名波さんの挑戦ストーリーと、リクルートのグローバル化、そしてSDGsを本業としてチャレンジするストーリーがシンクロする対話となりました。今後の日本の成長はサービス業のグローバル化が重要になると考えています。今回の対話を通じて、グローバル化を実現するためにも、社会のために、未来のために企業が何ができるのか、本業を通じてどのように実現するのかに真摯に向き合うことの大事さを再認識しました。(西)